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第16話 物言えば唇寒し秋の風

「ハヤメ……いい名前ですね!かわいいなぁ。よかったね、ハヤメちゃん」


「ピッ!」


 エスメラルダに話しかけられ、ハヤメは器用に翼で敬礼をしてみせた。とても鳥とは思えない動きだ。言葉を理解している所といい、チャロという鳥はただの鳥とは思えない能力を持っているようだった。


 こうなると面白くないのはリジェレである。後から来た新参の鳥如きに、自分の立場を奪われそうになっているのだ。そもそもリジェレとて、無明と暮らすようになってから数日しか経っていない。まだ自分の立ち位置があやふやな時に、それを脅かすものが現れれば面白くないのは当然だろう。


 ぶすっとした顔で、解りやすく頬を膨らませている姿は子供らしくてかわいいものだが、エスメラルダもジークリンデも彼女を甘やかしてくれる存在ではない。二人にとっては、リジェレは未知の魔族でしかないのだから。


「むー……!ズルい。ずるいのだ!そのトリばっかり可愛がられて、私だって子供なのだ!もっとかわいかわいしろーっ!」


「ええ!?」


「こら、リジェレ。我儘を言うなでござる、全く」


「無明まで!私だってかわいいのにーっ!もーっ!」


 ジタバタとソファの上で暴れる姿に無明は呆れ、エスメラルダは困惑している。そんな中で、ジークリンデだけは、フッと笑ってリジェレに近づいた。


「仕方のないヤツだ。リジェレと言ったな、後で私が可愛がってやるから我慢しろ」


「ホントに?」


「ああ、一緒に遊んでやろう。用事が終わったらな」


「わーい!ちょっと臭いけどジークリンデはイイヤツなのだ!エヘヘ、楽しみなのだー!」


「く、臭っ!?まだ薬の臭いが残って……ま、まぁ、魔族と言っても可愛いものじゃないか。昔のエスメラルダを見ているようだよ」


「こらこらジークリンデ殿、いくらなんでもエスメラルダ殿はそんなに我儘を言わないでござろう。一緒にしたら失礼でござるよ」


「いや、ほんの数年前まではもっと我儘だったさ。最近はすっかり甘えてくれなくなったがな。なぁ?エスメラルダ」


「え、あ、いや……もう!知りませんっ!」


 ジークリンデに水を向けられ、エスメラルダは顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。だが、無明は怪訝な顔をしている。ジークリンデはほんの数年前と言ったが、数年前のエスメラルダがそんなに我儘を言うとは思えなかったからだ。その思いは、つい口に出てしまっていた。


「数年……?」


「ん?無明君、もしかしてエスメラルダの歳を知らなかったのか?この子はまだ十二歳だぞ」


「じゅっ!?十二っ!嘘でござろう!?」


「無明さん、私のことを何だと思ってたんですかっ?!」


「いや、拙者てっきりエスメラルダ殿は成人しておるものとばかり……」


 言われてみれば、私服のエスメラルダは少し子供っぽい服装だったし、ハヤメへの態度を見ても歳相応な感じはする。ただ、無明の目から見て、エスメラルダはあまりにも大人びていた。余談だが、無明の生きてきた江戸時代では、女性の成人は十三歳ごろに半元服、その後十五~十七歳くらいで本元服と呼ばれ、れっきとした成人として扱われていたようだ。つまり無明からは、エスメラルダは十七歳くらいの女性に見えていたのだ。

 なお、ジークリンデ達の暮らすこの異世界での成人は二十歳からである。その間違いは、かなり失礼な部類に入るだろう。


「もう少し年上と思われることは割とありますけど、大人だと思われていたのは初めてです。……私、そんなに老けていますか?」


「い、いや、そういう事ではござらんよ。エスメラルダ殿がそれだけ美しくて艶やかであったというだけでござる」


「十二歳の子供に何を言ってるんだか。あ、ちなみに私は」


「二十二歳って所でござろう?ジークリンデ殿は実に解りやすいでござるよ」


「ピッタリその通りなんだが、何だかムカつくな……!」


 無明がジークリンデの歳をズバリ言い当てられたのは、江戸時代頃の成人女性とジークリンデの様子が噛み合っていたからである。この異世界では、貴族は早い内から婚約者を持つ為、二十歳そこそこでも結婚しているパターンが多いようだ。学生の内から結婚することはあまりないようだが、卒業と同時に婚姻するケースは非常に多い。

 一方、江戸時代に於いて町民の娘などは十六~十七歳くらいが結婚適齢期であり、二十歳を過ぎて独身の場合は『年増』と呼ばれた時代でもある。もっとも、当時成人の平均寿命は女性でも六十歳くらいだったので、二十歳ともなれば既に人生の三分の一を終えた計算になる。それを考慮すれば、そうおかしな感覚とも言えないだろう。

 それを加味して見た時、二十二歳で独身、かつ婚約者や恋人もいないジークリンデは、無明のよく知る未婚の女性達とよく似ていたのである。


「私知ってるのだ、そういうつがいのいない大人の女を行き遅れって言うのだ!」


「ぶふっ!?」


 リジェレの特大爆弾を聞き、無明とエスメラルダが思いきり噴き出す。当のジークリンデは黒い長髪が浮き上がるほどの怒気を発して、何故か無明を睨みつけていた。


「無明君……?」


「ご、誤解でござる!?拙者が教えた訳では……お、おいリジェレ!何故そんな言葉を知っているのでござるか!?」


「ダンジョンコアが人間の事を教えてくれたのだ!アイツは物知りだから、色んな事を教えてくれるイイヤツだったのだ~」


「あ、あのリジェレちゃん。その言葉はあんまりよくない言葉だから、使わない方がいいと思うな」


「そ、そうでござるぞ!世の中には色んな事情で結婚しない男女がおるのだからなっ。ジークリンデ殿だってその気になれば出来るのをしないだけでござろう。ちょっと短気で怒りっぽい所はあるが、気が強くて癇癪持ちな女が好きという稀有な男もどこかに」


「誰が短気で怒りっぽいだって?私を怒らせているのは誰だと……!というか、癇癪持ちとはどういう了見だっ!私のことをそんな風に思っていたのか!?」


 いつの間にか無明の傍にいたジークリンデが、ハヤメの止まっていない方の肩をガシッと掴んでいた。その迫力は怒鳴りつけられるよりも数倍怖い圧を感じさせるもので、正直に言ってかなり恐ろしい。というか、肩が痛い。このままでは肩が握り潰されてしまいそうだ。無明はなんとか彼女の怒りを鎮める方法はないかと視線を泳がせたが、それは徒労に終わった。リジェレは震えて涙目になっているし、エスメラルダは目を逸らして無関係を装っているのだ。やはり、この場に味方はいないようである。


 そうして、無明はジークリンデの憤怒をその身で受け止めることとなった。たっぷり五時間以上の説教を食らい、謝り倒してどうにか許しを得たのだが、代わりに頼まれたのはジークリンデ達の父親であるライトニング伯爵の捜索であった。








 ――現在、伯爵邸の屋根上。時刻は日付が変わり、深夜を少し回った所である。吹きすさぶ冷たい風は少しずつ勢いを増していて、夜空でも解るほどの分厚い雲が月を何度も覆い隠しては去って行く。上空は更に風が強いのだろう、もしかすると、明日か今夜中には嵐が来るかもしれない。


「やれやれ。口は禍の元とはこういう時に使う言葉でござるかな。しかし、考えようによっては丁度よいか、二人の父上殿の事は気になっておった所でござるしな」


 手元に用意された地図を確認してから、無明は遠くに見える山へ視線を投げた。忍者、或いは忍びと呼ばれる者達は、総じて闇に紛れて行動することが必須とされる者達だ。必然的に夜目が利くよう鍛錬されているのだが、その中でも無明は特に暗闇でも良く目が見える人間だった。今夜のようなすぐに隠れてしまう月明かりは、常人ならば頼りなくてモノを視る事など出来ないだろう。だが、無明はそんな事などお構いなしに、しっかりと地図を確認できているようだ。


 その時、不意に屋敷の庭から足音が聞こえた。どうやら、夜回りをしている下働きの男のようだ。ざくざくと砂利の上を歩いては身を縮ませて屋敷の中へ向かっていく。


「う~……今夜は特に寒いな。こんな晩に夜回りの当番なんてツイてねぇや。ん?あれ?今、屋根の上に誰かいたような……気のせいか?」


 次の瞬間には、もう屋根の上から無明の姿は消えていた。足音一つすら立てず、夜の闇に溶け込むように。

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