凄まじいスピードで、無明は夜の森を駆け抜けていく。
時に木々を飛び移り、風に乗って移動することで、これほどの高速移動であってもほとんど足音は目立たない。近くに人がいたとしても、精々、木立を抜ける風の音くらいにしか聞こえないだろう。
「そろそろ、最初に指定された場所でござるかな。む、あれか」
地図を頭の中に浮かばせながら進んだ先には、ちょうど切り立った崖の麓に出来た洞窟があった。人為的に作られた洞窟には見えないが、人や大型の獣が出入りするには十分な大きさの洞窟だ。もしかすると熊のような動物のねぐらだったのかもしれない。
ジークリンデから頼まれたこと、それは、賊の討伐に出た彼女達の父、アレックスの行方を捜すことであった。ジークリンデによると、アレックスが供回りの騎士達を連れて賊の討伐に出たのは今から二週間ほど前のことである。無明がエスメラルダを助けたのは一週間ほど前の事だが、その前日まではアレックスから連絡が届いていたようだ。最後に届いた連絡では、他の領地から移動してきた盗賊達の拠点となりそうな場所を潰して回っているらしく、その時点で残っているのは三か所だけだったらしい。その連絡を最後に行方が分からなくなっているので、その三か所の内のどこかで、アレックスの身に何かが起きたのだと、ジークリンデは推察していた。
そして、無明がやってきたのはその三か所の内の一つである。
「人の気配はないようでござるが……ふむ」
無明は外から洞窟を観察し、やがて静かに洞窟の入口へと移動した。山間の洞窟に賊が居を構えるのは、よくある話だろう。ただし、一人や二人ならまだしも、それなりに群れて数のいる盗賊団が洞窟などで集団生活をすれば、確実にその痕跡が残るものだ。ましてや、アレックスはそう少なくない人数の騎士達を供として行動していた。そんな彼らと戦えるだけの人数がいれば、その存在を隠しきるのは難しいだろう。
頑強な岩で出来たその洞窟は、入り口の広さはさておき、内部の広さはかなりのもののようだった。中へ入って確認するのは簡単だが、時間が惜しい。ここが外れならすぐに別の場所へ向かわねばならないのだ。中に人がいるかだけでも、効率的に調べたい所である。
「あれを使うか。ハヤメ、少し下がっておれ」
無明がそう言うと、ハヤメはその意を酌んで素早く近くの木の上へと移動する。それを確認した後、無明は手近に落ちていた拳よりやや小さな石を拾い上げ、洞窟の中へと勢いよく投げ入れた。
「……忍法・
高速で投げられた石は壁にぶつかり、更に跳ね返って反対側の壁にぶつかって奥へと進んでいく。蝙蝠耳目は、鍛え抜いた耳でその反響音をつぶさに聞き取り、そこから内部の状況をイメージして察知する術である。その名の通り、蝙蝠が超音波で障害物を認識して進む様からヒントを得て生み出された技だ。この技を極めた忍びは、その音だけで手に取るように建物内部の構造や状況を知ることが出来るという。
また、蝙蝠耳目にはこういった状況の際に敵を誘き出す効果もある。穴倉で暮らしている生き物などがいたとして、外から石が飛んでくれば無視する事など出来ないからだ。
カカカカッ!と石が跳ね返る音が続き、その反響音で無明は状況を察知する事が出来た。この洞窟はそれなりに広いが一本道で、恐らくここにいるのは盗賊ではなく全く別の、大型の獣だ。最初に予想した通り、ここは獣の巣穴だったのだ。そして、それを証明するかのように穴の奥から響くような足音が伝わってくる。無明はすぐさま入口から離れ、ハヤメの止まっている木の上へと駆け上った。
「何と大きな……………………熊であるな。この森のヌシ、といった所でござろうか」
出てきたのは
しかし、人間が相対すればかなりの強敵であるのは見ての通りで、こんな怪物染みた熊が中から出てきた以上、ここに賊の一味が潜んでいないのは明らかだった。
キョロキョロと周囲を見回す
「寝ていた所をすまぬな、熊よ。勘弁するでござる。……さて、次へ行くか。なんとっ!?」
木から木へ飛び移ろうとした無明の眼前に、
咄嗟に横へ飛んで回避したが、その動きはいつものような目にも留まらぬ速さではなかった。木の上という安定感を欠いたバランスの悪い足場だった事に加えて、目の前空中に突然大岩が現れたのだ。流石の無明でもその状況では普段の力を発揮しきれるものではない。
だからこそ、それは
「ちっ!ハヤメ、ここへ!」
舌打ちをしつつ、忍び装束の前を少し開いてハヤメの逃げ込む先を用意する。あの岩を出現させたのが
「危ない所でござった。なるほど、あれがマホウというものか。面妖なものよ、獣がそんな術を扱うとは。この世界なら、
無明はそう呟いて苦笑する。所謂、忍術の中には獣遁と呼ばれる獣を使役して扱う術もあるが、無明は獣遁の術をほとんど使った事はなかった。何せ彼はその常軌を逸した身体能力のせいで、自分で戦った方が早いからだ。例えば忍犬などは、その人間を超えた素早さで相手を翻弄したり、賢さを駆使して伝書鳩のように離れた味方へ伝言を送ったりするのに一役買うものだが、そのスピードだけでも無明はどんな犬よりも速かった。そして、それは万事がその調子である。そういう事も相まって、獣遁を使う事はなかったのだ。
「グルルルルッ……!」
一方、
「ガアアアッッ!」
「おっと!」
両腕の鋭い一枚爪はシャベルのような形で手首から生えていて、腕を振り回すだけでもかなりの脅威だ。大岩を削り取るだけの破壊力があるので、刀で受けるのも不可能だろう。しかも、その大きな図体に見合わぬスピードを
「……ふむ。なるほどな。マホウとやらを使えても、それを効率的に運用するだけの頭はないということか。あくまで本能で使っておるのでござるな。となると、殺すのは忍びないか。拙者こう見えて、動物好きなのでな。止むを得ない場合でなければ殺したくはないのでござる。という訳、で……っ!」
一瞬の隙を突き、無明が大きく跳ぶ。ただ真上に飛び上がるのではなく、
「
重力と回転を味方につけた無明の右脚が、雲間から覗いた月明かりを受けてまさに彗星のように光って見えた。そして、その凄まじい勢いのままに蹴り足が
「綺麗に決まったが、安心せい、峰打ちでござる。死にはせんでござろう」
殺しはしないと言った手前、無明はやや不安そうに