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第18話 名前も知らない

「どうやらここも違うようでござるな。……しかし、どうにも腑に落ちぬな」


 二つ目の敵拠点候補を潰し、無明は地図に印をつけた。ここにいたのは先程の岩堀熊ロックベアと同じく、見上げるほどに巨大な蟹の怪物であった。鎧殻蟹アーマーシェルクラブという大型の蟹で、普通は泥や地面の中で生活している蟹なのだが、かなり大型に育ったせいか洞窟を棲み処にしていたようである。

 鋭い爪と、強酸性の体液を含んだ泡を噴射する難敵だったのだが、それだけでは無明の敵にはなり得ない。あっさりと火遁の術で焼き尽くして倒してしまった。そして、先程の呟きにつながるのである。


 無明が気にしているのは、この外れた二か所について作為的なものを感じたからだ。


 どちらの拠点候補にも、およそ常人が単独で対処できるとは思えない怪物が潜んでいた。これが無明でなかったら、かなりの苦戦を強いられるか、場合によっては敗北していてもおかしくない敵ばかりだ。どちらのモンスターもこの異世界において一般的な生物ではあるが、討伐するとなればパーティを組んで戦うレベルの相手だったからだ。

 そうとは知らず、あっさりと倒してみせた無明だったが、それでも不信感は拭えない。たった二か所連続で外しただけ、普通に考えればよくあることだろう。だが、果たして本当にそうだろうか?


 ライトニング家の使用人達の中に裏切り者がいるという、ロイドの読みが当たっていたとしたら……無明は予感めいた胸騒ぎを覚え、用意された紙に何かの文字を記してそれをハヤメの足に括りつけた。


「頼むぞ、ハヤメ。これをジークリンデ殿の所へ届けてくれ」


「ピッ!」


 任せてくれと言わんばかりにハヤメはまた敬礼をし、一気に飛び立つ。全力で飛び去るハヤメのスピードはかなりのもので、あれならライトニング邸まで十分とかからないだろう。無明はその後ろ姿が見えなくなるまで確認した後、深く息を吐いて、全身をほぐすように身体を動かしてみせた。


「さてと、久方振りに少し本気で疾走はしるとするか。鈍っていないと良いでござるが……どれ」


 最後にトントンと軽くジャンプをして、呼吸のリズムを整える。そして、やや前傾姿勢になった次の瞬間、文字通りその場から無明の姿が消えた。ここまではハヤメのことを気遣って移動していたが、別行動となった今ならば、思いきり駆ける事が出来るはずだ。あっという間に山を越えて谷を抜け、目指す最後の候補地へ到着した。


「ふぅ……さて、ジークリンデ殿から貸して頂いたこの懐中時計とやらは便利でござるなぁ。こんなに短い刻限を測れるとは。ええと……この長い針が一から二へ移動しているので、五分、でござるな。ふむ、速いのか遅いのか初めて測るので解らん。……が、何となしに身体の動きがしっくりこないでござる。もっと早く動けるはずだが」


 無明の生きていた江戸時代前期頃において、時計は一部の大名や豪商だけが持つ高級品であった。しかも、当時の日本は不定時法と言って一日を昼と夜をそれぞれ六等分した時間の計測をしていたのだ。従って、異世界における一般的な時間の測り方である定時法とは考え方が異なっている。あの後、昼間から夕方までガッツリ説教を食らった後で、無明はジークリンデからこの懐中時計を渡されて時計の見方を教わったのだが、どうにもまだ使い慣れていないようだ。それでも感覚として、体の動きに違和感があるせいか、無明は自身の速さに納得がいっていないのだった。


「しかし、大きな砦でござるな…ジークリンデ殿の話では打ち捨てられた廃墟だと聞いていたが」


 辿り着いたその場所は単なる洞窟ではなく、それまでの候補地とは違って明確に人の手が入っていることを感じさせるものだった。


 無明は少し離れた草むらから、目の前にそびえ立つ建物を見上げている。どうやら、その建物は遥か昔、人間と魔族の戦いがあった頃に作られたものらしい。圧倒的な力を持つ勇者が転生してくる以前、人間達は強力な魔族に対抗する為、多くの人間の命を壁としていた。その運用の為の砦である。

 だが、大昔に使われていたにしては周辺は整理され、拓けている。建物事態も所々古い破壊の跡があるものの、肝心な部分は補修がされていて実用に耐える状態のようだ。

 ジークリンデの屋敷がある街からは一番離れた場所だけあって、ここが本命なのは間違いないだろう。


 戦争の相手もいなくなって久しい現在、取り壊すのも金がかかるので放置されているという訳だ。それを悪用されているのだとしたら、なんとも侘しいものである。


 無明はしばらく様子を窺った後、おもむろに右腰に提げた小袋から畳まれた縄を取り出した。縄の先端には小さな鍵爪がついており、無明はゆっくりと立ち上がってそれを縦に振り回し勢いを付けて砦の外壁上へ投げた。


「うむ。問題なさそうでござるな。さて、鬼が出るか蛇が出るか……!」


 外壁上の溝に上手くハマった鍵爪を引っ張って確認したが、特に問題なさそうである。そして、無明はその縄を使って一気に外壁をよじ登った。


 外壁の上に登ってみると、砦の中の様子がよくわかった。巧妙に隠されているものの、ここには明らかに人の気配がある。やはりここに、ジークリンデ達の父、アレックスが囚われている可能性は高そうだ。


 無明が外壁から中庭部分に降り立つと、突然庭全体を目映い光が包んだ。一瞬、顔を背けた隙に大勢の男達が中庭に出てきて、無明を取り囲む。


「む、これは」


「ヒャッハハ!マジで来やがったぜ。おい、!調子に乗るのもここまでだ!この間の借りを返してやるぜ!」


「お、お主は!?………………………………すまぬ、誰でござったっけ?」


「ふ、ふざけるな!?森で女を襲おうとした時にテメェが邪魔をしやがったんだろうが!忘れたとは言わせねぇぞ!」


「あー……ああ、あの時の。いやー、久方振りでござるなぁ。元気そうではないか。夕餉ゆうげは何食べたでござる?」


「思いっきり忘れてんじゃねーよ!俺らは友達じゃねーからな?!っつか、ダチだってそんな会話しねーだろ、会話下手くそか!?」


「そう言われても、憶えがないでござるからなぁ」


 リーダーと思しき男は激昂して怒鳴り声をあげた。対して無明は涼しい顔で、悪びれもせず口笛を吹いている。とはいえ、無明が覚えていないのも無理はない。彼はこの集団のリーダーではあるが、あの時エスメラルダを襲った際には四番目くらいに倒された影の薄い存在だったからだ。無明からしてみれば、適当にぶちのめした有象無象の中の一人でしかないのである。


「舐めやがって……!この人数が見えねぇのか?こっちゃ百人からいるんだぞ!それに」


 リーダーの男が手を振り上げると、途端に後方から火の玉が現れて無明の足元に着弾した。すると、小さな爆発と共に地面が抉れている。手や足に直撃すれば、間違いなくその部位を吹き飛ばすだけの破壊力がありそうだ。リーダーの男はその結果を見て満足そうに笑った。


「見たか!コイツらは元Bランク冒険者の魔法使い達だ、これだけの人数揃えるにゃあかなりの金がかかったが、テメェを殺れりゃは取れる!運よくここを最初に狙ってきたんだろうが残念だったな。テメェの悪運もここまでだぜ。観念するんだな!」


「むぅ」


 勝ち誇る男の様子を見て、無明は小さく唸った。果たして、百対一という圧倒的な数の差を前に無明に勝ち目はあるのだろうか。

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