「っ……!?こ、これは……」
「おや、もうお目覚めとは流石ですな。もう少し眠っていて下さるものと思ったのですが」
ジークリンデが目を覚ました時、そこにはセバスを始めとして数人の人物がいて、後ろ手に縛られて椅子に括られた彼女をじっと見つめていた。どのくらいの時間が経ったのかは定かではないが、手を出されていない所や、投げられた言葉から察するに、意識を失っていたのはそう長い時間でもないようだ。
「セバス、どういうことだ?お前がココフィに何かを……」
「ええ、そうです。あのココフィにはたっぷりとイネミルの粉を入れておきました。本来なら、明日の朝まで起きられないほどの量だったはずですが。僅か三十分ほどでお目覚めになるとは思っておりませんでしたよ。流石はお嬢様ですな」
「くっ……!何故だ!?何故こんな事を?!」
「決まっているでしょう、私は執事です。執事というものは主の為に働くのみ。……私はあくまで、主の為にやっているにすぎません」
「主だと?それは、お父様のことではないのか!?」
「違いますな。私が主と認めておるのは、以前からたった一人、この方のみでございます」
セバスはそう言うと、少し後ろに立っていた若い男に立ち位置を譲り、頭を下げた。すると、譲られた男が居丈高に歩を進め、ジークリンデの前に立つ。やや影になっていたその顔をよく覗き込むと、男はニヤリといやらしい笑みを浮かべてみせた。
「お前は……」
「やぁ、ジークリンデ。久し振り、学園卒業以来だね。ようやく君を手に入れる事が出来そうでワクワクしているよ。フフフ」
「お前……イオか!?どうしてお前がここに……待て、私を手に入れるって、まさか私を」
イオと呼ばれた男は、薄気味の悪い笑みを浮かべて、ジークリンデを見つめていた。彼の名は、イオ・フォーマー。ジークリンデのライトニング家と同じくフォーマーという伯爵家の次男で、学園でもジークリンデと同級生だった。
「フフ、ジークリンデ。そうだよ、僕はあの頃からずっとこの時を待っていたんだ。君はあの頃『告白の悪魔』だなんて呼ばれるほどに恋多き女性だったけど、一貫して君より強いかもしれない男にしか目を向けなかった。仕方ないよね、明らかに力で劣る僕では不足だった事は百も承知さ」
「告白の悪魔……?」
「そ、その話は止めろっ!若気の至りだ……!」
告白の悪魔とは、かつての学園時代、ジークリンデに名付けられた渾名である。彼女は学園の生徒で見込みのある男子に目をつけると、手当たり次第に勝負を持ち掛けてはボコボコにするという、通り魔のような行いを度々やっていたのだ。当時、既にAランク冒険者以上の実力を誇っていた彼女に敵うものなどいるはずもなく、ただただ無惨な犠牲者が増えていくばかりであった。そうしてついた渾名が告白の悪魔だ。一応、ジークリンデの中では黒歴史であるらしく、顔を真っ赤にして恥ずかしさを堪えている。
「解っているよ、でも、そんな君の事が僕は好きだったんだ。だから色々と手を尽くし、乾坤一擲、一度だけでも君を上回れる男だと証明したかったのさ」
「それでこのザマか?こんな状況でよくも私を上回れるなんて言えたものだな……!こんな事をして、私が負けを認めるとでも思ったのか?」
「認めるに決まっているさ。君の大事な妹と父親の命がかかっているからね。僕は力ではなく、策略で君の上を行くんだ」
「貴様、お父様とエスメラルダに何を……許さないぞ!絶対に!」
「多少強引な手を使う事になってしまった点は認めるよ、すまない。本当は家族を失い、天涯孤独になった君を魔暴石化症から救って認めてもらうつもりだったんだけどね。あのよく解らない男のせいで台無しだ。伝説の転生者だなどと、そんなものいるはずもないのに」
「き、貴様ぁっ……!」
イオはやれやれと両手を上げて顔を振っている。事も無げに話しているが、明らかにこの男は常軌を逸している。ジークリンデが欲しいと言いながら、魔暴石化症にかかるよう仕向けたのも彼だったのだ。一歩間違えれば思慕、愛着の対象であるジークリンデが石となって死んでしまうようなことさえ、イオは平気で行うという。これが狂気でなくて何なのか。
ジークリンデは怒りに震え、縛り付けている縄を解こうと力を込めたが、異常なほど頑丈な縄はそう簡単に解けそうもない。むしろ、括りつけられている椅子の方がミシミシと悲鳴を上げている有り様だ。ジークリンデはそのスキルにより、常人とは一線を画すパワーをも持っているはずだが、その力でもどうしようもないのは何か秘密がありそうだった。
「フフフ、無駄だよ。いくら力を入れようとも、そのロープは切ることも解く事も出来ないさ。そいつはしっかり魔法で固着させているからね。僕は君に勝つ、勝って君を手に入れる……その為に、僕は君の全てを調べ上げた。君の力がどれだけ強いのか、どうすれば君に解けない強度で縛れるのかも……全てだ」
「イオっ……!」
イオの言葉通り、その縄はいくら力を込めてもびくともしなかった。悔しいが、イオは確かにジークリンデの力を熟知しているらしい。対して、ジークリンデの方はイオの事をほとんど知らなかった。ジークリンデの知る限り、イオ・フォーマーという男は目立たず大人しく、人の影に隠れて佇んでいる少年だったはずだ。どうしてここまでジークリンデに執着するのか、その接点すら全く身に覚えがないのである。
ジークリンデが抵抗しようとする姿が楽しいのか、イオは恍惚とした表情で薄笑いを浮かべている。そんな中、廊下から足音が聞こえてきて、やがて後ろ手に縛られたエスメラルダと、彼女を逃がさぬようにがっちりと取り囲んだ数人の男達がジークリンデの部屋へと入ってきた。
「坊ちゃま、お連れしました」
「ああ、最後の仕上げがやっと来たか。さぁ、よく顔を見せてやるといい」
「エスメラルダッ!」
「お、お姉様っ!なんて酷い姿で……っ!」
「フフ、ジークリンデ、感動の対面だろう?これで僕がどれだけ本気なのか解ってもらえたはずだ。君の父上もここには連れてきていないが、ある場所で
「くっ……わ、解った。負けを認める。お前は私より……つ、強い。だ、だから」
「お姉様!ダメです!止めてぇっ!」
「わ、私は……い、イオのもの、に……っ」
「あいやしばらく。そこから先は待たれよ、ジークリンデ殿」
「!?」
それは、聞こえるはずのない人物の声だった。ジークリンデ達の父親、アレックスを探しに出かけ、ジークリンデ達の屋敷から山と谷を越え遠く離れた場所で戦っているはずの男。晴晒無明が、そこにいた。