カウンターで作業をしていた女性の職員に話しかけると、彼女は愛想よく笑って建物の奥へと案内してくれた。ジークリンデは無明達がギルドへ行くと先触れを出してくれていたらしい。話がスムーズに進んでいることにホッとしつつ、通されたのはギルドマスターの執務室だ。
エスメラルダがノックをして、ドアを開ける。すると中では、大きな執務机の前で頭を抱えるロイドの姿があった。
「失礼します。ロイド叔父様、ごきげんよう」
「おお、エスメラルダ、それに無明か。二人共よく来てくれた。ずいぶん大変だったそうじゃないか、ともかく、そこへ座ってくれ」
「はい」
促されるままに二人が並んで座ると、絶妙なタイミングでもう一人女性が入って来た。スーツ姿のその女性は長い髪を短くまとめ、眼鏡をかけたいかにも秘書という出で立ちの若い女性だ。年齢的には、ジークリンデよりも一つか二つ年上に見えるがトウが立っている感じはしない。まさに彼女が手にしているやや小さなトレーには、二人分のお茶と茶菓子が乗っている。そして、それを流れるような手捌きで二人の前に並べ置いた。
「どうぞ。ハルワンから取り寄せた高級茶とケーキでございます」
「わぁ、サティさんありがとうございます。無明さん、頂きましょう。このケーキ、すっごく美味しいって評判なんですよ」
「やや、これはかたじけない。有り難く頂戴いたす」
無明はそう言うと、湯気の立つティーカップをスッと持ち上げおもむろに口元へ近づけた。だが、無明は目出しの覆面を被ったままだ。そのままでどうやって飲むのかと、ロイドがじっと観察していると、そのまま無明はカップを下ろした。
「ん?無明、ここは俺達だけだ。気にせずその覆面を外しても構わないぞ」
「いや、それには及ばぬ。結構なお点前でござった」
「え?」
「叔父様、無明さんはもうお茶を飲んでますよ。あとケーキもちゃんと食べてます。……んんー、美味しい♪」
「……いやいやいやいや、待て待て!?どうやったんだ?!今の!」
初めて無明がものを口にする所を見たロイドは、あまりの出来事に驚きを隠せない様子だ。しかし、一週間以上無明と生活を共にしているエスメラルダには、それが当たり前の光景過ぎて気にも留めていない。とんでもない温度差の中、無明は悪びれた様子もなく、目を閉じて味の余韻に浸っていた。
「拙者は忍びゆえ、余人に素顔を晒す訳にはいかぬのでな」
「なんなんだ、シノビってのは……訳が分からん……!」
「叔父様、無明さんとうまく付き合っていくコツは、無理に理解しようと思わないことですよ」
「姪の無明に対する無駄な解像度の高さが怖いんだが!?おい、無明!お前、この子に何かしてるんじゃないだろうな?!許さんぞ!」
「心外にも程があるでござる!?」
ぎゃあぎゃあと喚くロイドと無明のやり取りなど気にも留めず、エスメラルダはケーキと紅茶に舌鼓を打っている。結局、諸々の事情を全て話し終えたのは、それから一時間ほど経ってからのことだった。
「――そうか、じゃあ兄貴も含めて皆無事なんだな。よかった、安心したぞ。しかし、ジークリンデに惚れた貴族のやらかしとは……全く、今後も頭が痛くなるな」
「なぁに、ジークリンデ殿は黙っていれば美しい
「仮にも叔父の前で黙っていればとか言うな。……まぁ、概ねその通りだと思うが」
「叔父様も十分お姉様に失礼ですよね。お姉様は見目が麗しすぎるので、あれくらいでちょうどいいんです!」
「……拙者はエスメラルダ殿の評価が一番厳しいと思うでござる」
「それよりも叔父様、さっきは何か大変なお仕事が入ったと言ってらっしゃいませんでしたか?」
露骨に話を変えたエスメラルダの問いかけに、ロイドは驚きつつも視線を逸らして溜息を吐いた。厄介な事を思い出さされたと言わんばかりの表情だが、一方のエスメラルダはニコニコと太陽のような笑顔を浮かべている。そんな二人のギャップに無明は思わず圧倒されかけているようだ。
「ああ、そうなんだ。報酬はいいんだが仕事の内容がな……誰も引き受けてくれなさそうなんで困っていた所なんだよ。もしも依頼を引き受ける人間がいない場合は、我々ギルド職員が担当する羽目になるからな」
「ご安心下さい、叔父様。そんな時こそ無明さんの出番です!どんな厄介な相手でも無明さんなら立ちどころに退治してくれますよ。ね?無明さん」
「そうでござるな。この世界の事はまだ未知な事も多いが、エスメラルダ殿に貸してもらった図鑑とやらなどで大まかに知識は頭に入っているでござるから、大抵の魔物……モンスターというのでござったか?その手の退治は引き受けてごらんにいれよう」
「……そうか?無明がやってくれるなら有り難いな!じゃあ、この依頼書にちょいちょいっと名前を書いてくれ」
「そうです、それでこそ無明さんです!さぁ、叔父様。どんなモンスター退治ですか?ドラゴン?それとも、デーモンとか!?」
「いや、モンスター退治じゃない。休耕田の復元依頼だ」
「は?」
「いやぁ、助かった!先日、現地を見てきたが中々の荒れ地になっていてな。あれを復活させるのは相当な労力が必要だったんだ。しかも、こういう仕事は冒険者達も進んでやりたがらないもんだからな、ハッハッハ!よろしく頼むぞ、無明!」
「ええええっ!?そ、そんな!叔父様、おかしいですっ!?インフィニティ・レゾナンスの皆さんみたいに、村を襲っているモンスター退治とかじゃないんですか!?」
「あのなぁ、そんなに頻繁に村を襲うようなモンスターなんかが出る訳ないだろう……魔王がいたという大昔とは違うんだぞ?」
「どうしてぇ……無明さんにピッタリなお仕事だと思ったのにぃ……」
「まあまあ、エスメラルダ殿。
「うぅ、こんな純粋な無明さんを騙すなんて、叔父様は酷い人です……!」
「な、何かスマンな……」
さめざめと泣くエスメラルダを宥める無明の姿に、ロイドはだいぶ罪悪感を覚えたらしい。特別に、ロイド本人の懐から報酬に色を付けてくれることになった。ただでさえ、ライトニング家は内情が大変な時なのだ。タダ飯喰らいでいることに抵抗があった無明としては、どんな仕事であっても助かる事に変わりはない。もっとも、今のライトニング家に必要なのは金ではなく人材なのだが、それでも金があって困る事はないだろう。それに、無明が育った忍びの里では野良仕事も重要な役割を果たしていた。そういう経験があるので、無明自身は本当にその手の作業が嫌いではないのである。
こうして、エスメラルダの思いとは裏腹に無明は新たな依頼を受ける事となったのであった。