ロイドの案内で馬車に揺られつつ無明達がやってきたのは、街から少し離れた土地に広がる広大な農場だった。近くにはそれほど高くはない山があり、湧水が豊富な土地らしい。しかし、せっかくの農地も半分ほどしか稼働していないようで、外から見ても勿体ないと思える状態だ。
「着いたぞ、ここがサムロ爺さんの農場だ。広いだろう?」
「うわぁ……!凄いです!ここがあの有名な黄金畑なんですね」
エスメラルダが感激するのも無理はない。ここはライトニング領の中でも一、二を争う有名な農場だ。別名を黄金畑といい、この畑で取れた作物はどれも黄金色に輝くと噂されるほどの品質を誇っている。ギルドを出るまでぐずっていたエスメラルダが今では笑っているのも、依頼主がこの農場だったからというのも大きいだろう。
「ふむ。これだけの田畑を管理するのはかなりの手間がかかるでござろうな、小作人の数も多かろうて」
「それがなぁ、サムロ爺さんの所はほとんどが親族だけで仕事を賄っているんだよ。うちの領内じゃ伝説の農家と呼ばれてる理由がそこにあるんだよな」
「ほう、大したものでござるな。しかし、仕事にあぶれたものからすれば目に毒であろうが」
畦道というには大きすぎる農道を馬車で進みながらそんな話をしていると、その行く先、広い畑の中央に屋敷が見えてきた。あれがサムロ爺さんの家だろう。屋敷自体もかなり大きく、ライトニング邸に匹敵する、或いはそれ以上のサイズだ。この広大な農場を親族だけで回しているというのが事実なら、複数の家族が暮らしていてもおかしくはない。それだけの家族が生活していても余裕がありそうな屋敷の大きさだった。
「おーい!サムロ爺さん、俺だ!ロイドだ!いるかい?」
玄関のドアを叩き、大声でロイドが呼び掛けるも返事がない。まだ夕方までには時間があるし、家人は皆畑で作業をしているのかもしれない。こういう時、貴族の家屋敷なら使用人が出てくるのだが、一般の農家ではそういう訳にもいかないのだろう。三人が手持ち無沙汰に立ち尽くしていると、屋敷の裏手から大量の農具を乗せた荷車を引く、小さな老人が姿を見せた。
「おう。ロイド坊、来おったか。すまんな、皆収穫の時期で畑に出ておるのだ。もう少しすれば各々帰って来るじゃろうが」
「いや、こっちこそ忙しい時間帯にすまなかった。依頼の引き受け手が決まって、今日の内に現場を見ておきたいと言うもんだからな」
「ほう、やる気のある奴がおるもんじゃのう!……って、おい。二人しかおらんぞ。しかも、一人は華奢な娘ではないか。女だろうと使えるなら構わんが、相当な力仕事になるぞ。大丈夫なのか?」
「あ、サムロさんですか?初めまして、私はエスメラルダ・ライトニングと申します。どうぞよしなに」
「ライトニング?!お主、領主の所の娘子か!?おい、ロイド!どういうことじゃ!?」
「爺さん落ち着いてくれ、この子は俺の姪だ。何もこの子を働かせようっていうんじゃない。実際に働くのはコイツだ」
「どうも、お初にお目にかかる、サムロ老。拙者が今回仕事を引き受けた、
「待て待て!?いくらなんでもこんなヤツ一人で何が出来るっていうんじゃ!?ロイドよ、冒険者共はどうした!?」
「いや、コイツも冒険者なんだよ。それに腕は確かなんだ。ひとまずコイツに任せて、足りなければ追加の人員も探してくるからそうカッカしないでくれ」
「しかしなぁ……お前も見たじゃろう、あそこを使えるようにするのに一人では……」
ロイドが取り成してもまだ、サムロ爺さんは不満げである。それでも何とか宥めすかして案内されたのは、屋敷から最も遠い区画だった。
「おお、これはまたずいぶんと……荒れ地でござるな」
「だから言ったろう。お前さん一人でどうなるもんでもないわ」
「でも、凄く広いのにこんなに荒れてしまって……どうしてなんですか?」
「ここは、儂のひいひい爺さんが最初に耕した畑なんじゃがな。魔族の生き残りとの戦闘の煽りを受けてこんな風になっちまったらしいんじゃよ。まぁ、幸い他の畑は無事だったんで、農業は続けてこれたんじゃが……実は最近、二人の孫に立て続けで子供が産まれてのう。もう少し残してやるものを増やさねばならなくなっちまったんじゃ」
「ほう、曾孫さんが御生まれになったと?それはめでたき事にござるな。祝着至極、心よりお喜び申し上げ
「本当ですねぇ、おめでとうございます」
「うん?ああ、まぁありがとうよ。そういう訳でな、儂が残してやれるものなぞ畑くらいしかないんじゃよ。仕事を引き受けてくれるというのは助かるが、これを一人というのはどう考えても無茶じゃろうが」
「ふむ。ひのふの……ざっと見た所広さは一町半といった所でござろう。これなら三人もいれば十分でござるかな。ちなみに期限はいつまででござるか?」
「三人て……そんなバカな。少なくともその十倍は欲しい所じゃぞ。見ろ、あの大岩なんぞ十人やそこらじゃビクともせんじゃろ。一応、期限は特に決めとりゃせんが、いつまでかかってもよいって訳にもいかんからな。一月くらいを見込んどるが……」
「ああ、この程度ならそんなにかからぬよ。どれ、早速仕事に取り掛かるとするでござる」
「はぁ?人の話をちゃんと聞いとったんか?お前。おい、ロイド!コイツはダメじゃろ」
「まあまあ……まずはやらせてみようじゃないか」
怒鳴り散らすサムロ爺さんを尻目に、無明は畑の前に立つと静かに目を閉じた。両手は胸の前で重ねられ、指で何かの印を組んでいる。そして、誰もが思いもよらぬことが起こった。
「……臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前っ!ちぇぇいっ!」
「ええっ!?」
ボンッ!という小さな爆発音がしたかと思うと、無明の身体が煙に包まれて見えなくなった。そこへ緩やかな風が吹き、煙が晴れていく。そうして目にしたのは三人に増えた無明の姿であった。
「む、無明さんが………………増えてるっ!?」
「ウソだろっ!?な、なんの魔法だっ!?」
「忍法・分身の術……!うむ、久方振りだが、問題なさそうでござるな」
左の無明はコキコキと肩を慣らし、右の無明は屈伸をして体の動きを確かめている。そして、中央の無明はふうと息を吐き、それを合図に三人の無明が振り返った。
「という訳で、これから拙者らが作業に入るでござるよ。少々荒っぽい仕事になるので、そなたらはもう少し下がっていて欲しいでござる」
「え、えええ……」
「もう何でもアリだなお前」
「な、なんなんじゃコイツは!?バケモノか!?バケモノなのか!」
初めて無明の無茶苦茶を目の当たりにするサムロ爺さんはさておき、だいぶ無明に慣れているはずのエスメラルダも流石に言葉が出ないほど驚いているようだ。いくら無明が自分達の常識を超える人間だとはいえ、一人の人間が突然三人に増えるなど誰が想像出来ただろう。人によっては悪夢のような展開である。
「さて、どこから始めるでござるかな?」
「拙者はまずあの大岩をどうにかするのが先決だと思うでござる」
「うむ、拙者もそう思っておった」
「流石は拙者でござるな、ではそのように」
三人の無明が顔を突き合わせて相談する姿はかなり不気味だ。というか、相談する意味はあるのだろうか?不可思議にも程がある光景を見せつけられ、エスメラルダ達の顔色が真っ青になっている。
「こんな事言うの悪いですけど、ちょっとキモチワルイ、かも……」
「何もかも全く同じ姿だからな。無明酔いとでもいうか……幻覚の類いじゃなければ頭がおかしくなりそうだ」
だいぶ酷い印象を持たれていることなど知らず、三人の無明は畑の中央に鎮座する大岩へとスタスタと歩いていくのだった。