国教・
アストレアは世界を創っただけの神とは違って、様々な問題が生まれるとすぐにその力をもって解決していったらしい。時折、この世界に現れてはその力で世界を変えていく転生者の存在も、女神アストレアが遺した奇跡だと言われている。その為、無明のような転生者はガディースにとって超がつく重要人物に成りうる。なので、あまり目立つ格好をされては困ると今回は無明に変装をさせているのである。
「おお、中々荘厳な雰囲気でござるな。見たこともない様式の神社でござったが、これはこれで見物でござる」
「無明さん、楽しそうで良かったですね。お姉様」
「ああ、こうしていると無害でかわい……いや、呑気なものなんだがな。まぁ、今日は女神の瞳を買った帰るだけだし、問題など起こしようがないだろうが」
(そうかなぁ…?)
ここまで無明のハチャメチャっぷりを目の当たりにしてきたエスメラルダは、ジークリンデのあまりの楽観的な意見に疑問を浮かべたようだが、それを口にすることはしなかった。姉の顔を立てたということもあるが、何故かそれを口にすると現実になりそうな気がしたからだ。
大きな女神像に祈りを捧げる人々の横を通り抜け、奥の部屋で新しい女神の瞳を購入しようと進んだ、その時だった。
「無明さんっ!」
「え?」
「む?」
「なっ!?」
集団から少し離れた場所に佇んでいた一人の若い女性が、無明の姿を見つけると駆け寄ってきて、そのまま無明に抱き着いたのである。どうやらこの女性、祈りを捧げに来たのではなく、出入りする人物を見定めていたらしい。そして、目的の人物……つまり、無明を見つけて走ってきたのだ。
「あ、あれっ?!」
「そなた、何者でござるか?何故拙者を知っている?」
「今、無明が抱き着かれたような……?」
確かにジークリンデとエスメラルダにはそう見えたはずで、何なら抱き着いた女性本人も抱き着いたと思っていたようだが、何故か無明が立っていた場所には近くに置かれていたはずの長い燭台が立っていて、彼女はそれに抱き着いた形になっている。
「む、無明さん、今のって……?」
「忍法・変わり身の術、俗に空蝉の術というものでござる。そんな事より、この
「……そんなことより?どう見てもただならぬ関係だろう。無明、君こそこの女性に何をした?」
「いだだだだっ!?な、何も!何もしておらぬでござる!?肩が、肩が潰れるっ!ジークリンデ殿、後生だっ、放してくれ!」
どう見てもジークリンデの嫉妬が混じった八つ当たり行動なのだが、無明は力づくでそれから逃れようとはしていない。無明が本気になれば逃れる手段はいくらでもあるはずなのにそうしないのは、二人の間に確かな信頼が結ばれている証だとエスメラルダは思っている。エスメラルダの目には、無明とジークリンデのやり取りが微笑ましいじゃれ合いに見えているのだ。だが、無明は割と本気で肩を潰される恐怖と痛みに抗っていた。
そんなやり取りを前にして、突如現れた女性は少し唇を尖らせた後でゆっくり答えた。
「ごめんなさい。ここで待っていれば会えると解っていたんですが、つい……」
「ほう。やはり、無明の知人であるのは間違いないようだな。そんなスケジュールを教える仲だとは……」
「ち、違うっ!拙者は知らんでござる!濡れ衣でござるぞ!?」
「…………あの、ここで騒がれると皆様の迷惑になりますので、出て行って頂けますか?」
「え?す、すみません……!」
結局、様子を見ていた神父に窘められてしまったので、無明達は教会から出て行くこととなった。最悪な事に、目的の女神の瞳も買えずじまいだ。忙しい合間を縫ってやってきたジークリンデにとっては相当な痛手である。そして、その怒りの矛先が自分に向けられるのではないかと、無明は恐れをなしていた。
外へ出て立ち話もなんだという事になり、四人は連れ立って近くの喫茶店へ入った。そこにはテラス席が用意されているが、テラスの一番奥の席は植え込みで隠されており、意外と人目に付きにくい場所だ。その店を選び、席を選んだのは女性だったが何か目的があるのだろうか。
まず最初に女性が座り、その向かい側に無明が、そして両脇にジークリンデとエスメラルダが座る形となった。
「それでは、改めて自己紹介を。私は、フィーリル・アルデノワと申します」
「初めまして、私はジークリンデ・ライトニングです。こっちは妹のエスメラルダ、それと……」
「存じおります。
「え?」
「………………そなた、本当に何者でござるか?拙者のその名は、こちらに来てから誰にも知らせておらぬ。ここにいる二人だけではない、文字通り誰にもだ。それを、どうして知っている?」
「え?え?」
「どういう事だ?無明。私達に嘘を吐いていたというのか?」
「すまぬが二人共、言いたい事は後で聞くので、まずは黙っておいてくださらんか。フィーリル殿の返答次第では、色々と考えねばならぬことがあるのでな」
無明にそう言われては、今すぐそれ以上問い詰める事はできなかった。何しろ無明の言葉からは、信じられないほど冷たい意志が感じられた。その事情如何によっては、フィーリルを抹殺しかねないほどの、殺意に近い感情だ。隠密を旨とし、例え相手がジークリンデとエスメラルダでもあっても、決して素顔を見せようとしない彼のポリシー…もしくは決意に近い何かを感じさせるものだ。だが、フィーリルはそれを受けて僅かに気圧されたものの、負けじと無明の目を見返して凛とした雰囲気を纏ったまま答えた。
「知っているのは何故か?という質問に答えるなら、それはもちろん無明さん自身の口から聞いたからです。私があなたとお話する時は、まず第一にその名を伝えるようにと、そうすれば、必ずやあなたは私を信じ力になってくれるだろう。と教えられました」
「バカな。拙者はそなたと初対面でござる。そんな相手に名を伝えるはずがない。それに、その口振りではまるで、
二人の会話を黙って聞いているジークリンデとエスメラルダは、頭がこんがらがりそうだった。フィーリルの言葉通りなら、無明の本名を彼女に教えたのは無明本人という事になる。そして、それをした理由は、無明に協力をさせる為のものだと言っているようなものだ。だが、無明が嘘を吐いていないのなら、そもそも彼女と無明は初対面であるはずだ。かたや初対面で、かたや本人から名を聞いたとする二人の言い分は、どちらかが嘘を吐いていなければおかしいだろう。
普通に考えれば、フィーリルの語った名前が正しいのなら、嘘を吐いているのは無明の方だろう。無明の他に知り得るもののいない答えを知っているというのは、無明本人でなければあり得ないのだから。この場合、無明は苦し紛れに話を誤魔化そうと、フィーリルの事を知らないと嘘を吐いていると考えるのが自然だ。
だが、ジークリンデにしろエスメラルダにしろ、直感であるが、無明は嘘を吐いていないと考えていた。無明との間に信頼関係を結んだのは、ジークリンデだけではなく、エスメラルダもなのだ。二人の中の無明という男は、そんな誤魔化しをするような男ではない。そうした確信が、彼女達の中にはあった。
しかし、そうだとするならば、一体彼女はどうやって無明の隠していた名前を知る事が出来たのか?それが解らない。そんな堂々巡りにも似た困惑を終わらせたのは、フィーリルの口から信じ難い言葉が飛び出したからだった。
「そう、私と無明さんは初対面です。……ただし、今この瞬間だけは。ですが」
「?答えになっておらぬぞ、それはどういう意味なのでござる?」
「実は、私は何度も今日という日を繰り返しているのです。