店前を行く人々の話し声や子供達の笑い声が聞こえる中、無明達は誰もが驚いて言葉を失っていた。フィーリルが放った言葉の意味を無明達はそれぞれ頭の中で噛み砕き、理解しようとしているようだが、あまりにも突拍子が無さすぎて理解が追い付かないらしい。そんな中、最初に口を開いたのはジークリンデだった。
「今日を……繰り返している、とは?す、すまない、言っている言葉の意味がよく解らないのだが」
「ですから、私は今日という日を何度も正確に繰り返しているのです。気が遠くなるほどに、何度も」
「そ、そんな……そんなことってあり得るんですか?正直、信じられないんですけど……その、錯覚とかじゃ」
「そうですね、あなた方には理解出来ないのも解っています。それでも、頼れるのはあなたしかいないんです。無明さん」
(な、何を言っているんだ?この
フィーリルを訝しむジークリンデだったが、無明は全く別の事を考えていたようだ。しばらく黙っていたかと思うとおもむろに口を開いた。
「それで、何度目でござる?」
「え?」
「拙者に協力を頼んだというのは、今回で何度目なのでござるか?」
「無明さん、この人の言う事、信じるんですか?」
「今の所は、フィーリル殿の言っている事が嘘だと言い切れる理由がないのでな。もう少し確証を得たいのでござるよ。……で、何度目なのでござるか?」
「……今回で、五度目です。無明さんはいつも必ず、私の言葉を信じてくれて力になってくれるんです。ずっと一人で彷徨っていた私には、それがどれだけ心強かったか…………ありがとうございます」
「ふむ。なるほど」
無明自身、彼女の悩みは突拍子も無さすぎて信じきれるものではなかったが、かと言って秘密にしている自分の名を彼女が知っていることの答えが解らない以上、嘘だと断言するのは難しい。何らかの形でボロを出してくれればと思った矢先に、彼女の告げたもう一つの名が、無明を決心させる結果に繋がった。
「それと、もう一つ。もしも、無明さんがどうしても信じてくれない場合に告げろと、教えて頂いた名前があります。……
「っ!?」
ガタっと大きな音を立てて、無明が椅子から立ち上がる。こう見えて、無明は普段から静かに動作をこなす男だ。仮に何か驚くような事があってもあまり大きな物音を立てる様な動きはしない。それは忍びとして、徹底的に訓練をされ尽くしたからこその動きなのだが、そんな無明が取り乱すほど、その名には意味があったらしい。霧隠才蔵、彼は無明の祖父であり、また真田十勇士の一人で稀代の天才忍者として称えられた男だ。
「さいぞう、さん?誰でしたっけ……」
(どこかで聞いたような。あれは確か……そうだ。試練のダンジョンのダンジョンコアの前で、無明が呟いていた名前だ。だがそれを、どうしてフィーリルが知っている?まさか、本当に……!?)
「……そうでござったか。解ったでござる、拙者はそなたを信じよう。改めて、詳しく話を聞かせてもらうでござるよ」
「無明さん!?どうして」
「我が祖父である才蔵の名は、それほどの意味を持つということでござる。確かに、その名を出されては拙者も信じざるを得ぬからな。
自嘲するように笑う無明は、とても寂しそうに見えた。その顔は彼の本来の顔ではなく、変装した別人のものであるはずだが、一瞬それすらも忘れてしまうほどの衝撃を皆に与えた。しかし、それはほんの僅かな間で、すぐに無明は神妙な面持ちに戻ってフィーリルに話の続きを促し始めた。
「では、まず聞きたいのは、それがいつからなのかということでござる。拙者に協力を依頼したのがこれで五回目ということは、少なくとも他にも何度か繰り返しているのでござろう?それを聞かせてもらいたい」
「いつから……さぁ、何時からだったのかしら。ごめんなさい、もうよく覚えていないんです。数え切れないほどの間、私はずっと一人でこの日を過ごしてきたので。ただ、理由は……原因は解ります。それは、私のスキルが原因なのです」
「スキル?あなたのスキルが時間を巻き戻していると?」
「はい。私が持っているスキルの名前は『
「
慌てて取り出した小さな紙にエスメラルダが文字を書いてみせる。この世界の言葉で時の環と書いてじかんと読むらしいが、それだけでは何の事だか解らないスキル名だ。本来、スキルの名称はその能力に応じたものであるといい、だからこそ、スキルは女神による賜りものなのだと
「文字だけでは何の事だか解りませんよね?私自身もそうでした。だから、あの日……初めて今日を繰り返しているのだと気付いた時までは、私には役に立たないスキルがあるんだと思い込んでいたんですよ」
力無く笑うフィーリルの表情は寒々しく、また痛々しい。恐らく、何度もこうして説明をしてきたに違いない。彼女の態度からは疲れきってしまったとはっきり解るほどに弱々しさが感じられた。そして、彼女の説明は尚も続く。
「このスキルは、どうやら私自身の意思でコントロールすることが出来ないようなんです。以前、女神教の神父様に相談した時には、スキルが暴走しているのだと告げられました。その方も、今は私のことを覚えてはいませんが」
「スキルが、暴走?……そんなことが……」
「本当に初めの内は、この状況を楽しもうとも思いました。何をしてもどんな事をしても、一日で無かった事になるのだから目一杯楽しんでやろうと、そんな甘い考えがあったんです。でも、それが何日も何十日も……いえ、何十年も続くと、耐えられなくなりました」
「な、何十年も!?そんな……!」
「その、
「言葉通りの意味です。例えどれだけ離れて別の場所にいようとも、
「……っ」
フィーリルがポロポロと大粒の涙を溢す姿を見て、ジークリンデとエスメラルダは彼女の苦しみがどれほどのものだったかを痛感した。たった一人で、永遠に続くかもしれない繰り返す一日を生きる事になったら……それは絶望に等しいものだろう。今の今まで彼女の言葉に懐疑的だった二人だが、同じ女性としての直感なのか、その涙が真実のものであると感じたらしい。そんな二人の心は、徐々に彼女への同情と、協力心へと変わり始めていた。
「ふーむ、なるほど」
一方、無明は小さく呟いたまま、腕を組んで目を瞑り何かを考え始めている。その表情からは何も読み取れず、どんな策を考えているのかも解らない。そんな無明がどんな答えを出すつもりなのか、三人はただじっと答えを待つしかないのだった。