しばらくの間無言が続き、やがて、フィーリルが静かに席を立った。
「すみません、泣いてしまったので少しお化粧を直してきます。すぐに戻りますね」
「あ、じゃあ、私も一緒に……」
「ありがとう、じゃあ、行きましょうか」
エスメラルダがついていこうとすると、フィーリルは微笑んで同行を許可した。エスメラルダは彼女を独りにするのが怖かったのか、或いは、本当にトイレに行きたかったのかは定かではないが、この場で黙っているよりはいいだろう。二人が席を外すと、ジークリンデは少し焦った様子で口を開く。
「なぁ……どうして黙っているんだ?無明。何か思いついたのか?」
「いや、まだまだ解らぬことだらけでござるよ。少なくとも一つ、フィーリル殿を今の状況から
「ほ、本当か!?今の話を聞いただけで、もうそんな手段を思いつくなんて、君はどれだけ……い、一体どんな手段なんだ?」
「言いたくないでござる。忍びとしては真っ先に思いつく事ではあるが、口にしただけでもジークリンデ殿に嫌われそうなのでな。これは奥の手、どうしてもという時の最後の手段でござるよ」
「私が嫌うって。何をする気なんだ、気になるじゃないか?!」
「
「確かめるって、何をだ?」
「聞きたいのは原因そのものではなく、きっかけでござるよ。そうでござろう?スキルというものは生まれ持った能力だと聞くが、彼女はこの
無明の言う通り、スキルが暴走したのには理由があるはずだ。でなければ、彼女は生れ落ちたその時から永遠の時間を繰り返していなければおかしいことになる。だが、彼女は産まれてからおよそ十数年以上の時間を何事もなく暮らしていた。ということは、何らかのきっかけがあって、スキルが暴走したと見るべきだろう。そのきっかけを無くすことが出来れば、フィーリルは正常な時間の流れに戻れるはずである。
(もっとも、事態を解決するのがフィーリル殿にとって良い事であるか、それも疑問ではあるのだが……)
無明は内心でそう思っていたが、それを口に出す事はしなかった。彼女の説明を聞けば聞くほどその懸念は増していくが、さりとてその結果は現時点では確かめようがないのだ。ならば、敢えてそれを告げて不安にさせる必要もないだろう。仮に、過去に(と表現するのも妙な話だが)相談を受けた自分とは別の自分がいたのなら、恐らく同じ事を考えたはずだ。だが、それをフィーリルが懸念していないのならば、今の自分と同様に告げる事をしなかったのだろう。ならば、それは今やるべき事ではないということである。
「きっかけか、確かにそれはそうだな。だが、そのきっかけがもう取り返しのつかないことだったらどうする?」
「そこでござるよ、問題は。もう今の時点で過ぎ去ってしまった事がきっかけなら、拙者達にはどうしようもないでござるからな。ただ、その可能性は低いでござろう。もしそうなら、フィーリル殿が相談したという過去の拙者がお手上げだと伝えているでござろうし。どちらにしても、本人の口から聞いてみないことには始まらんでござる」
「……うーん、難しいな。私にはどうしたらいいのか見当もつかないよ。エスメラルダならいい考えも浮かぶかと思ったが」
「そうでござるなぁ。エスメラルダ殿と違ってジークリンデ殿は頭を使うのが得意ではなさそうでござるし……って、あがががが!?痛い、痛いでござるジークリンデ殿!誤解でござる!別にジークリンデ殿がバカだと言っている訳では無くてっ!?」
「言ってるじゃないか!いい機会だ、この際だからきっちり話をしておく必要があるな……?」
無明にアイアンクローをかますジークリンデの額には、見事な青筋がくっきりと浮かんでいる。どうも無明は特にジークリンデに対して、余計な事を言ってしまう癖があるようだが、本人がそれに気付いているのかいないのかは不明だ。無明の頭に尋常でない圧がかかり、よく見ると椅子から身体が浮いている。思わぬ所で死を予感した無明は必至でジークリンデを宥めようとした。
「じ、ジークリンデどのっ!ご勘弁を!このままでは拙者の頭が
「フフフ、バカな私にはどうなるのか解らないなぁ……?解らない事は実践しろというのがライトニング家の習わしなんだが」
「そんなお試し感覚で人の頭を割ってはいかんでござるぅぅぅぅぅっ!?」
「何やってるんですか!?二人とも、ここはお店ですよ!止めて下さい、恥ずかしい!」
間一髪、戻ってきたエスメラルダが割って入ったお陰で、無明の頭は無事に解放された。こんな場所でスプラッター騒ぎを起こせば、いかに領主の娘であるジークリンデとて、ただでは済まないだろう。もちろんジークリンデに本気で潰すつもりはなかっただろうが、彼女は本気で怒ったら頭を潰すくらいのことはやりかねない女性である。無明は九死に一生を得たと思い、ホッと胸を撫で下ろしていた。出来れば、ここが店でなくてもやらないで欲しいとも考えているようだが。
「ふふ、仲がよろしいんですね。無明さんとジークリンデさんは」
「そ、そう見えるでござるか……?どちらかと言えば拙者は被害し」
「ん?誰がなんだって?」
「……なんでもないでござる」
「もう!止めて下さいってば!」
そんな三人の様子を見てクスクスと笑うフィーリルの笑顔には、どこか昏い陰を感じさせるものがあったが、無明はそれを指摘することをしない。ただ、過去の自分が彼女に対してどういう解決手段を提案をしたのかは、おおよそ察する事が出来たようだ。過去の自分がやらなかった選択を自分がしなければならないかもしれないと、無明は心の底で一つの覚悟を決めた。
その後、改めてスキルが暴走し始めた時の事をフィーリルに聞いてみたが、望んだ答えは得られなかった。繰り返しが始まった最初の日の事は、フィーリル自身にとっても本当に突然の出来事だったようで、混乱しきっていて覚えていないというのが本音のようである。それは当然のことだろう。誰であろうと、同じ日が繰り返しているのだと解れば混乱するに決まっている。いくら無明でもそれ自体を責めるつもりは全く無い。ただ、難題が更に難しい問題になったというだけだ。
「きっかけも解らないとなると、やはり、完全にスキルの暴走ということか。無明、どうするつもりなんだ?」
「ふむ……」
ジークリンデに問われた無明は、再び腕を組んで黙り込んでしまった。これまでの話を聞き、無明の中で引っかかっているものがいくつかある。だが、それが何なのかがハッキリと形にならないのだ。そんなモヤモヤを抱えながら、無明はフィーリルが何かを見つめている事に気付く。逆にフィーリルは無明に見られている事に気付いていないようで、しばらくただひたすら一点を見つめたかと思うと、やがて何事もなかったかのように視線を外した。
(何だ?今の動きは。フィーリル殿は何を見つめていた?)
その疑問は、無明の中で消えない違和感となって心に残り続けた。言葉に表せないモヤモヤは再び募り、時間だけが無情にも過ぎていくのだった。