目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第31話 無明の覚悟

 怒った母親の声が響くと、周囲には一気に人が集まって来て、あっという間に無明達を取り囲んでしまった。日頃の苦労もあるのだろう、母親はフィーリルの指摘を挑発と捉えたのかここぞとばかりに大声で反論してくる。


 物見遊山な人集りの中でジークリンデとエスメラルダは必死に取り成そうとしているものの、怒鳴られているフィーリルはどこ吹く風といった態度のせいか、それが余計に母親の怒りを煽っているようだ。無明も仲裁に入るべきかと考えたが、それ以上に、今の出来事から見えた何かが、彼の脳裏に焼き付いて離れない。


(今のは、間違いなくフィーリル殿があの童の命を救ったのだ。待てよ、今日という一日を繰り返す……それはつまり、今日限定とはいえフィーリル殿は未来を知っているという事なのではないか?だとしたら、拙者達は読み違えているのかも知れぬ。フィーリル殿のスキルが暴走したというのではなく、これから始まる事に対処をすべきなのでは……)


 無明の中で、朧気だったものが形になっていく。しかし、まだその全てを捉えるにはピースが足りない。だが、これまでのフィーリルの様子から見て、無明がもっとも懸念していることがかなり現実味を帯びてきた気がする。読み違えれば大変なことになると、無明の勘が叫んでいるようだ。


「フィーリル殿……そなたは、もしや」


「無明さん、これではとても何かお話を出来る状態ではありません。ここは一旦別れて、後で落ち合いませんか?」


「は?い、いや、しかし……」


 フィーリルは無明の答えを待つまでもなく、ポケットから懐中時計を取り出すと今の時間を確認し、そっと呟く。


「そうですね。……では、今から五時間後、夕方の五時にあの塔の展望台で会いましょう。あそこなら、きっと邪魔は入らないはずです。私達が、最初に出会った場所ですから」


「しばし待たれよ、フィーリル殿!そなたは一体、何を隠しておるので……ぬっ!?」


「お前達、そこで何をしている!往来を妨害するように集まってはならん!」


 ちょうどそこへ現れたのは、近くを通りかかった街の治安維持の為の兵士達である。彼らは警察に似た役割を持ち、街中を巡回しては事件や事故に備えている者達だ。そんな彼らからすれば、商店街の通りを塞ぐようにして集まっている民衆は取り締まりの対象なのだろう。あっという間に人集りは散り散りになり、怒っている母親と事情を説明する為にジークリンデとエスメラルダが兵士達の対応を始めた。


「しまった!?フィーリル殿がおらぬ!」


 無明が気付いた時には、既にその場にフィーリルの姿は無かった。群衆に紛れてこの場を離れたのだろうが、あまりにも偶然が出来過ぎている。これも彼女のスキルの影響なのだろうか。そこで、無明は改めて考えた。仮に今日という日が繰り返しているとして、フィーリルは自分以外の何もかもが全く同じように過ぎていく日だと言った。それは今日という物語が規定通りに進んでいるのと同じ事だ。その枠から外れてしまった人間だけがそれを変更できるのだとして、変わってしまった未来はどうなるのだろう?


「フィーリル殿は先程の童を救った。……もしも、あの童がここで事故に遭っていたら、間違いなく兵士達が事態を収拾しようと集まってきたはず。そうか!こうして拙者達が囲まれているのも予定通りなのだな?!だとすれば、未来は変えられないということか……?」


 だが、それも違う気がする。全く変えられないのだとしたら、フィーリルの存在そのものが大きな矛盾だ。彼女は規定通りの行動を取っていない。だからこそ、無明と出会ったのだから。

 そこで無明は気付いた。フィーリルが何を考えているのか、その狙いを。彼女は恐らく無明が一番最初に思いつき、そして否定した事をやろうとしているのだ。


「フィーリル殿は、死ぬつもりなのだ。時の牢獄とも言えるこの状況から抜け出す為に……!」







 五時間後、フィーリルが指定した場所に、彼女自身が静かに佇んでいた。美しいブロンドの長い髪が風に揺れ、夕焼けの光を浴びてキラキラと輝いている。この塔は街の中央にあり、街全体を見渡せるかなりの高さを誇った観光施設だ。普段ならば人気のスポットなのだが、既に太陽は地平線の彼方に半分以上を沈ませていて、寒さもあってか周囲に人影はない。

 フィーリルが懐中時計を覗くと同時に、展望台のドアが開き、無明達三人がそこに現れた。


「ああ、やっぱり来て下さったのね。ありがとう、無明さん。それにジークリンデさんとエスメラルダさんも。この時期だと少し寒いから、風邪を引かないように気を付けて」


「フィーリル殿、早まってはいかん!他に解決する手段はあるはずでござる!」


「そうですよ!何も死んじゃう必要なんてないはずですっ!」


「あら、やっぱり無明さんは気付いたのね。フフフ、最初に出会った時と同じ事を言うなんて、面白いわ」


「無明は貴女が死ぬ事でスキルの暴走が止まるという考えを最初に思いつき、またそれを自分で否定していたんだ!そうだろう?無明!」


「ああ、忍びとして最初に思いついたのはそれでござった。しかし、フィーリル殿の説明を聞けば聞くほど、命を落としたとて事態が解決するとは思えぬようになった。仮にフィーリル殿が死んだとしても、最初の時間に戻るだけという可能性が頭から離れんのでな」


「そう。確かにその通りね。私もずっとその可能性を考えていたわ。だから、死ぬのが恐ろしくて試す事が出来なかった……本当に死ぬ思いをしても意味がないのなら、無駄ですものね」


「なら、なぜ!?」


「決まっているでしょう……私はもう、疲れてしまったのよ。何度今日を繰り返しやり直してみても、私は一人で同じ時に還っていく……そして、また同じ一日が始まる。昼間の子供ね、あの子はいつもああして走り回って、馬車に轢かれて死んでしまうの。私はそれを目の当たりにして、何度も助けようとしたわ。……でも、また同じ一日が始まると、あの子はあの場所で死んでしまうのよ。あの子だけじゃないわ、他にも色々な不幸が街には溢れていて、それを留めようと奔走しても結局、誰一人助ける事が出来ない。何度も何度も、何度も何度も何度もっ!!私はこの目で、それを見届けてきたのよ!」


 彼女の慟哭は、ジークリンデとエスメラルダを圧倒し、その身を怯ませた。フィーリルは根っからの善人で、責任感が強い性格なのだろう。だから、どうしようもないと解っていながらも、人の死や不幸を割り切れず心を擦り減らしてしまったのだ。だが、それならば何故、彼女は無明を頼ったのだろうか?それが、ジークリンデには解らなかった。


「しかし、それならどうして無明を頼ったんだ……?貴女の辛さは解るが、彼を巻き込まなくても……」


「……楽しかったからよ、無明さんといる時間が。何十年間も繰り返してきた孤独の中で、無明さんといたこの数日だけは辛い事を忘れていられたわ。でも、それももうダメ。今日、あの子を事故から守った時に解ってしまったの。いくら無明さんでも、私を救い出す事は出来ないんだって。ねぇ、無明さん。貴方も考えていたんでしょう?私がもし、この繰り返す日々から抜け出す事が出来た時に何が起こるのか」


「何?どういう事だ……?無明」


「確かに、考えざるを得なかったでござるよ。フィーリル殿は、一日が終わると何もかも元に戻ると言っていたが、それは誤りでござる。厳密に言えば、フィーリル殿の頭の中には、過ごしてきた日々の記憶が残っている。つまり、フィーリル殿の身体には何らかの形で正常な時間の流れが蓄積しておるのだ。もしも、その日々を抜け出したとして、フィーリル殿が過ごしてきた時間はどうなるのか」


「まさか」


「何も起こらぬ可能性はもちろんあるが、逆に一気に正常な時間の影響を受けてしまうかもしれぬ。であれば、フィーリル殿は……」


「その分の歳を取るか、或いは、老死してしまうかもしれないわね。それだけの時間を過ごしているのだから当然だわ。ねぇ、もしそうなるとしたら、今死んでしまっても同じだと思わない?」


「そ、それはっ……」


 確かに、フィーリルの言う通りだ。仮に繰り返す日々から抜け出す事が出来ても、そこで死んでしまうなら同じ事のように思える。いや、死んでしまうならともかく、何も積み重ねることなくただ老いるだけだとしたら、それは女として、或いは人として死ぬよりも辛いことかもしれない。だが、それはどちらも推測だ。そうなる可能性があるというだけで、確実な事は何もない。そんな状況で、自死を選ぶことを良しとは言いたくなかった。


「どうしても……というのならば、拙者が責任を取る。フィーリル殿の命は拙者が預かろう。例えまた新たに繰り返す一日となって拙者が全てを忘れていたとしても、我が祖父才蔵の名において、フィーリル殿に引導を渡してみせよう。しかし!それはあくまで万策尽きた時の話でござる!今はまだ、試せることがあるのだ!」


「試せる……手段?無明、それは」


「それこそ我が霧隠衆に伝わる秘術、冥遁めいとんの術にてそうろう……!」


 無明がその技の名を呟いた途端、強い横風が展望台に吹きさらした。そこには、無明自身の強い覚悟が形となったような荒々しい風であった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?