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第35話 現れた戦乙女

「サベージ・アントが出た!?本当なのか?」


 そう言って驚いているのは、書類の山にウンザリしているジークリンデである。

 未だ病床に臥せっている父、アレックスの代わりに領主代行として働くのは、彼女にとっては相当な負担だ。ジークリンデという女性は身体を動かしている方が得意で好きなタイプなので、様々な陳情に対応しつつ、領地全体の経営を管理しなければならない領主の仕事は最も苦手とすることなのである。この手の仕事はエスメラルダの方が確実に向いている。彼女があと四年もすれば、立派な跡継ぎになれるだろう。それまでの辛抱だ。


 そして、その話を持ってきたのはロイドだった。各街に設置された冒険者ギルドは、治安維持の為の役割も持っている。国や領主に仕える兵士と違って、金と名誉で動く冒険者達は自由に動ける貴重な戦力だ。冒険者ギルドは、そんな冒険者達を管理する立場の為、様々な情報の引き出しを持っている。とはいえ、領主であるライトニング家の耳へ入る前に、そんな話が入って来るのも、彼の手腕によるところが大きいのだが。


「ああ、ちょうどこの街へ向かっている長距離乗合馬車が出くわしたらしい。出会ったのはここから馬車で一時間程の場所だったらしいが、昨日の今日じゃあその様子だとまだお前の耳には入っていないようだな。対応したのは隣街の兵士達だったから仕方ないか」


 出された紅茶を飲みつつ、ロイドが呟く。先日のサベージ・アントによる乗合馬車襲撃事件は、近隣の街でかなり噂になっているらしい。本来なら、領主であるアレックスの下にすぐ報告が上げられそうなものだが、今はアレックスが病床に臥せっている事が明らかであるので、各街の指導者が協議して情報が伏せられている可能性もある。それだけ領主代行役のジークリンデが頼りないと思われているのが透けて見えて、何とも辛い所だ。


 サベージ・アントは、その獰猛さと炎の力を持つという特性から、厄介なモンスターとして認識されている存在だ。彼らは容赦なく人を襲う性質がある上に数も多いので、人里の近くで発見されれば、最優先で駆除しなければならないのだ。そうなってくると、冒険者達よりも軍隊の出番である。だが、軍を動かすには領主であるアレックスの命令が必要だ、にもかかわらず報告が来ていないことに、ジークリンデは苛立ちを隠せなかった。


「…しかし、軍の派遣要請などは来ていないぞ?まさか冒険者達や街の衛兵だけで処理したのか?そこまで私が頼りないと思われているのは心外なんだが」


「いや、それがどうも、乗合馬車に乗っていた乗客の一人が、サベージ・アントの群れを殲滅してしまったらしい。報告が上がっていないのは、どう処理していいのか解らんというのが本音じゃないか?」


「サベージ・アントの群れをたった一人で?!無明じゃあるまいし、そんな無茶をしでかすヤツがいるとは思えないぞ」


「お前がアイツの事をどう思っているのかはよく解ったが、事実だ。群れの規模としては小規模だったようだが、実際に百匹近いサベージ・アントと、女王蟻の死骸が確認できた。大方、新しいコロニーを作る場所を探して移動中だったんだろう。問題なのは、それをやった奴が行方不明だということだ」


「行方不明?……女王の腹の中は確認したのか?」


「もちろんだ。というか、確認する必要はなかった。巨体を頭から綺麗に真っ二つだったからな、しかも縦にだ。あの状況で女王蟻に食われるなんてことは到底あり得ん。恐らく、女王蟻を倒した後に自分の足でどこかへ行ったと思われる。そいつはどうやら傭兵団のエースだったらしいんだが、そこの団長含めて、他の連中は皆大怪我をしていてな。今は話が聞ける状態じゃないんだそうだ」


「ちょ、ちょっと待ってくれ。情報が多すぎて理解しづらい。その傭兵団というのは、サベージ・アントにやられたんじゃないんだよな?」


「ああ、別件で怪我人だらけだったそうだ」


「別件……ウェーバー王国か」


「そうだろうな。この辺りで戦争をやらかしてる国はあそこしかない」


 この世界には大小様々な国があるが、その中の一つがウェーバー王国である。ウェーバー王国は、ジークリンデ達が属するワーグナー王国の隣国で国境を接している国だ。魔王が現れたという以前には同じ一つの国だったらしく、二つの国の関係は決して悪くはない。ただし、ワーグナーとは逆側に位置するマウラー王国とは犬猿の仲で、領土を巡って度々戦争になっているのだった。


 そして、つい先日、ウェーバー王国はマウラー王国と大規模な戦闘を行ったばかりだ。かなり激しい戦闘だったようで、双方に大きな被害が出たという。その傭兵団は、ウェーバー王国側についていたのだろうが、何故ワーグナー王国にいるのかは謎である。


「傭兵団と言っても、そう人数は多くない。怪我人はざっと二十人ほどだ、かなり小規模だが、エースの力からみて、少数精鋭の団なのかもしれん。どちらにしても、彼らの回復を待って話を聞く必要があるが、お前の所に話が来るのはだいぶ先だろうな。兄上が復帰すれば話が早いんだが……」


「お父様か……無明のあの妙な薬が残っていればな。お父様なら多少臭っても問題なかったのに…」


 ジークリンデは、未だに無明に飲まされた薬師釈尊丸の恨みを忘れてはいないようだ。ロイドはその事情をよく知らないので、何の事だか解っていない。ただ、無明製の薬と聞いただけで、とんでもない効果だったのだろうなと察しているだけである。


「そう言えば、無明はどうしたんだ?今日は姿が見えないようだが」


「ああ、依頼を受けて仕事に行っているよ。何でも農場の草むしりと、害虫退治だそうだ。どうも無明の事が農業関係者の間で噂になっているらしい。アイツがいると農薬要らずだからな」


「それはまた……まぁ、それくらいなら本人の希望通りか。戦闘面で噂になると、どこの国も黙ってないだろうからな」


 今は比較的平和なワーグナー王国と言えど、現実にすぐ隣のウェーバー王国とマウラー王国が戦いをしている以上、いつまでも平和なままだとは言えないはずだ。そんな時に無明の存在が世間に知られればどうなるかは、火を見るよりも明らかだ。無明自身、近いものを見越しているからこそ目立ちたくないと言っているのだが、あの力量で目立ちたくないというのは至難の業である。まだ農業関係者の間でだけ噂になっているなら御の字だろう。


「ただ、本人はやる気で楽しそうなんだが、エスメラルダがな……」


「ああ、あの子はあの子で無明をヒーローのように思っているようだしな。我が姪ながら、お前達の将来が不安だよ」


 ロイドとジークリンデは同時に溜息を吐き、全く違う悩みを頭に浮かべている。とはいえ、その内容はどちらも無明に関係するものなのだが、お互いに何を思い悩んでいるかが解るのはまだまだ先の話である。


「きゃあああああああっ!」


「な、なんだ?!」


「今の声……エスメラルダか!?」


 突如、屋敷中に響くほどの悲鳴が聞こえ、ロイドとジークリンデはすぐに立ち上がって部屋を飛び出した。流石は元Sランク冒険者と現役Sランク冒険者の二人である。無明ほどではないにしろ、この二人も十分常人の範疇を超えた実力の持ち主だ。あっという間に悲鳴の出所である玄関に向かうと、そこには腰を抜かしたエスメラルダと、血塗れで佇む一人の戦士風の女が立っていた。


「エスメラルダ、どうした?!」


「こ、この人……が」


「な、何者だ!?」


「初めまして、私はロスヴァイセ・レギンレイヴと申します。このお屋敷でメイド長を探していると聞いてやってまいりました」


「は……?」


 思わぬ展開に言葉を失う一同は、しばらくの間、誰も身動きが取れなかったという。

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