「いやぁ、お懐かしい。まだたった二年しか経っとらんというのに、ジークリンデお嬢様がこんな美人に成長されておるとは。さぞや、街の男共は放っておかんじゃろう」
「は、ハハハ……どうかな?」
絞り出すようなか細い声で、ジークリンデは答えた。その両隣に立つ無明とロスヴァイセは無表情で、聞こえていないフリをしている。
(少しは助け舟を出そうと思わないのか、この二人は……薄情者め)
決して表情には出していないが、ジークリンデは内心で我関せずを決め込む無明達へ怒りの炎を燃やしていた。その何割かは、先程の嘔吐という生き恥に対する八つ当たりもあるので、二人にとってはとばっちりだ。そもそも、最近雇われたばかりのロスヴァイセはジークリンデの異性関係について、まだ何も知らないのだから何も言えないのは当然なのだが、今のジークリンデはその辺を冷静に考える余裕がないらしい。
現在、三人はマルキュリオの家へ案内されて歓談している。あの後、戻ってきたジークリンデが改めて顔を合わせると、それは間違いなく、かつてライトニング家で騎士隊長を務めていたマルキュリオ・フレバ―という老人であった。マルキュリオは老人らしくサンタクロースのような白ひげをたっぷりと蓄えているが、髪は全く残っていない。ただ、元騎士だけあって背筋はしゃんとしており、背はあまり高くないが体つきは精悍であった。
「でも、私も
「ほっほっほ!爺で構いませぬよ。お嬢様がご存じなかったのも無理はありませんが、儂は元々この村の生まれなのですじゃ。こんな田舎ですからの、若い頃は嫌になって飛び出したんじゃが……騎士を辞めて妻も亡くしてからは無性に帰りたくなってしもうた。子供らもとっくに独立しておりますよってな、ちょうどいいからと出戻ったのです」
「そうだったのか……爺が、この村の……」
目を細めて語るマルキュリオの様子に、ジークリンデは言葉を詰まらせた。マルキュリオはかつて、ジークリンデが幼い頃から騎士としてライトニング家に仕えていた叩き上げの猛者である。ジークリンデのスキルが剣神だと知り、誰よりも喜んで剣の稽古をつけてくれたのも彼だった。忙しい父に代わって、色々と面倒を看てくれた彼の故郷すら知らなかった事に、ジークリンデはある種の罪悪感を覚えているようだった。
「なるほど、マルキュリオ殿はジークリンデ殿のじいやであらせられたか。なるほど、高潔な人物とお見受け致した。これは、お近づきのしるしにて」
「ん?おお、これは立派な肉じゃのう!何とも良い香りがするわい。この包んであった葉の匂いかの?」
「いかにも。それは殺菌作用のある植物の葉でな、それに包んでおくと肉や野菜が傷みにくくなるのでござる。ついでに風味付けも出来て一石二鳥の代物でござるよ」
「なるほど!それは良い事を聞いた。流石はお嬢様、よい従者を見つけなされたもんじゃ。ちと風貌は怪しいが、中々の好男子ではないか!」
「ハッハッハ!マルキュリオ殿こそ!」
「……なんでこんなに仲良くなるのが速いんだ?この男は」
「不思議な方ですね、無明様は」
マルキュリオに用意してもらったお茶を啜りながら、ジークリンデは遠い目で無明達を見ている。ジークリンデにしてみれば、自分の幼い頃を知っているマルキュリオと片思い相手の無明が仲良くなるのは、嬉しいようなむずがゆいような感覚がするのだろう。それに加えて、久々に会えたマルキュリオが自分を差し置いて無明と仲良くしているのも面白くない。こう見えて、ジークリンデは爺と呼ぶマルキュリオにベッタリで懐いていたのである。普段はあまり表には出さないが、ジークリンデは少し子供っぽい所があるのだった。
「それにしても、儂の方こそ驚きましたぞ。何故お嬢様がこんな辺鄙な田舎村に?儂の顔を見に来た……という訳でもないはずじゃが」
「ああ、それはだな……これを見てくれ」
「む、これは……村長の?そうか、あの件でしたか」
「実は、それと同じ嘆願がこの数か月でもう何度も届いていてね。私やお父様は騎士隊や衛兵を派遣しているはずなんだが、その度に問題がないと帰還している。それなのに、こうも嘆願書が何度も出ると言うのはおかしいだろう?だから、私が状況を確認しにきたんだ。そうだ、爺は何か知らないか?この村の住民なんだろう?」
「…………いや、何も知りませんな」
「え?し、しかし、さっきは……」
「確かに、騎士隊の若い連中が何度か来ておったのは知っとります。が、あやつらの言った通り、特に問題は起きなかった。実を言うと、この件は村の連中もよく解っておらんのです。突然、騎士達が来て、問題を調べると言い出して帰っていく。正直、呆れておる所ですじゃ」
「だ、だが、正式な村長からの嘆願なんだぞ!?村民からの署名も付いているというのに」
「きっと、村の子供達が悪戯をしておるんですじゃよ。何しろ、ここは田舎じゃからのう。防犯意識なんてものもほとんどない。戸締りに気を付けるなんて考えすらありませんからの。村長の屋敷とて、誰でも立ち入れますからの。そうしてウソの嘆願を送れば騎士隊を間近で見られると思っとる違いない」
「そんな……」
「まあまあ、本当に悪戯なのか、そこは村長殿に直接話を聞いてみればよかろう。ジークリンデ殿が出向けば、相手方も話をしてくれるはずでござる。反吐を吐いたばかりとはいえ焦ってはいかんぞ、ジークリンデ殿」
「へ、へどって……ぐ、ぐぬぬ!」
「……まぁ、無明とやらの言う通りじゃ。ただ、もうそろそろ夕方ですからの。すぐに暗くなるから村長の所へ行くなら明日にした方がよいじゃろう。この村にはろくな宿などありませんし、今夜はここへ泊って行ってくだされ。せっかくの良い肉じゃ、皆で食べましょうぞ。では、水を汲んでまいりますかのう。食べるものはたくさんあるが、水の蓄えだけは儂一人分しか置いておらんですからな。では、ごゆっくり」
マルキュリオはニコニコと笑って、木桶を手に取って家を出て行った。確かに、この村は山に囲まれているだけあって陽が落ちるのが平野より早いようだ。その分、涼しいのはいいが、人の家に出向くには困る時間である。無明達はマルキュリオの言う通り、翌日まで待って村長の元へ向かう事にした。
その夜、マルキュリオの手厚い歓迎を受けたジークリンデ達は、移動の疲れもあったのかぐっすりと眠ってしまったようだ。そうして皆が寝静まった深夜の事である。
ジークリンデとロスヴァイセは二人で一つの部屋が用意され、無明には狭いが個室が宛がわれていた。その部屋のベッドで眠っていると、不意にどこかからズシンズシンと響くような物音が聞こえてくる。その音で、無明は目を覚ました。
「……む?この音は、外からでござるか。やけに大きな……く、眠気が」
意識は覚醒したものの、窓の外を確認しようとするもまたすぐに抗い難い強烈な眠気が襲ってきて、無明は意識を失った。窓の外には
そんな異常な状況の中、家の外ではマルキュリオが立っており、その巨大な影を静かに見送っていた。しかし、それに気付いたものは誰もいなかった。