二人部屋の中央へ置かれた丸いテーブルに、ジークリンデは突っ伏した。盛大な溜息を吐く姿は、明らかに不満そうだ。
「はぁ~……今日もダメか。爺が全然放してくれないなんて」
「困りましたね、私や無明様では村長も相手にしてくれませんし」
ジークリンデ達がロレッタ村に着いてから早二日。この間、ジークリンデはマルキュリオの家から出る事が出来ず、問題の情報収集は全く進んでいない。というのも、ジークリンデが部屋から出ると、すかさずマルキュリオがやってきて、色々と世話を焼き始めるのだ。しかも、過去の懐かしい思い出話を添えて。それが楽しいというのももちろんあるが、何とか振り切って家を出ようとすると、マルキュリオはおいおいと泣き始めるのである。
こうなると、冷たく突き放せないのがジークリンデという女性であった。
「そもそも、ジークリンデ殿がマルキュリオ殿に付き合って話を続けるのも問題でござるぞ。いくらなんでも生まれてから大人になるまでの思い出話などに付き合っていたら、時間がいくらあっても足りぬでござるよ。まず仕事を果たしてからと言うべきでござろう」
「そんな事言ったってだな……!爺と会うのは二年振りなんだぞ!?我が家を出てから行方が全く分からなくて久し振りに会えたんだし、それにいつお迎えが来てもおかしくないからと涙を流してすがられたら、突き放せる訳がないじゃないか!」
「……拙者、ジークリンデ殿の将来が真剣に心配でござる。まさかの悪い男に全力で引っ掛かりに行く性質でござったか、これは予想外にて」
「そういう時は、よもやよもやというのがトレンドらしいですよ」
「何の話だっ!?」
「話題の本です。読みますか?『
「いや、それは別にいい……」
実は読書家だったのか、するりと荷物から一冊の本を取り出したロスヴァイセだったが、ジークリンデに断られていそいそとまたその本を鞄に戻した。どうやら本当に気に入っている一冊らしい。ロスヴァイセの少し意外な一面を知ったジークリンデであった。
「しかし、ジークリンデ殿がマルキュリオ殿に強く出られないというのであれば、ここは拙者が一肌脱ぐしかあるまいて」
「おい待て。今度という今度は本当に待て。私は骨身に染みたぞ、君がやる気を出すと本っっっっ当にろくな事がない!しかも、被害に遭うのは大体私だ。またどうせ訳の分からない薬でどうにかするつもりだろう!?私を腹痛にさせて動けなくするとか!今回は流石に看過できないからな!」
「まあまあ、ジークリンデ殿は拙者の秘薬が気に入らないのでござろう?だが、今回は秘薬なしでどうにかするので安心召されよ」
「本当か……?本当の本当に本当だろうな?噓だったらただじゃおかないぞ」
「解った、解ったからとりあえずその剣から手を離して下さらんか。……本当に、ジークリンデ殿の拙者に対する負の信頼感が重いでござるな。しかし、忍びに二言は無いでござるよ、信じてくだされ」
危うく命の危機に晒されそうになった無明だったが、ジークリンデが剣から手を離したのを確認してから、おもむろに壁際に立った。そして、勢いよく忍者装束を脱ぎ捨てる。
「えっ!?」
「これは……お嬢様?」
「ふっふっふ……どうでござる?どっからどう見てもジークリンデ殿でござろう。拙者これでも、この一月と少しの間、ジークリンデ殿とひとつ屋根の下で暮らしてきたでござるからな。変装の質もそんじょそこらのものとは訳が違うでござるよ」
「ほ、本当だ。見れば見る程、気持ち悪いぐらい私そのものじゃないか。こんなに隅から隅まで無明に観察されていたのか?ちょっと引くな……」
そう呟いて、ジークリンデは自分の身体を両手で隠すような仕草をしている。普通に考えれば、これほど精緻に見た目を真似できるほど観察されて気分がいいはずもない。ましてや、無明は男でジークリンデは女なのだから、色々と視られていたと思うのは複雑だ。とはいえ、好きな相手がそこまで自分のことを見てくれていたというのは悪い気分でもないのだが。
「それで、無明様がお嬢様の恰好をしてどうするおつもりなのですか?」
「なに、村長殿はジークリンデ殿でなければ相手をしてくれぬと、昨日拙者達が出向いてみてよく解ったのでな。ならば、拙者がジークリンデ殿の姿になってマルキュリオ殿を引き付けている間に、ジークリンデ殿が直接村長殿の所へ行けば全て解決でござろう」
「ええ……それは、大丈夫なのか?というか、私に変装出来るなら逆の方がいいんじゃないか?」
「いや、これで大丈夫でござる。拙者としても、マルキュリオ殿に聞いてみたい事があるのでな」
「聞いてみたいこと……?」
「まぁ、そこは拙者に任せてくれればよい。心配せずとも、聞かれて困るような話は聞かぬから大丈夫でござる」
「もうその発言だけで心配なんだがっ!?」
無明が何を聞こうとしているのか解らない以上、とても安心など出来るはずがない。だが、こうと決めた無明の意思を覆すのは不可能だ。結局、ジークリンデはそのまま流されるようにして、マルキュリオから隠れながら村長の家へ向かうことになった。
「心配だ……不安だ。やっぱり、逆の方が良かったに決まっている……」
ブツブツとぼやきながら、ジークリンデは村の中を進んでいく。マルキュリオの家は村の外れにあって、村の中心に位置する村長の家までは少し距離がある。そうして歩きながら行き交う村人達の様子を見ていると、この村に異変が起きているなどとは思えなかった。やはり、マルキュリオの言う通り、子供の悪戯なのだろうか?
「でも、悪戯で何度も嘆願書を作ったりできるとは思えない。あれは、書式も内容も完璧だった。とても子供が悪戯でしたためるなんて出来ずはずないんだ」
小さな農村であるこの村の人口は、精々百五十から二百に足りないくらいだろう。この辺りは危険なモンスターなどがいない地域だし、野生動物が相手なら十人ほどの大人がいれば十分過ぎるほど対処できるはずだ。つまり、この村は自衛可能な村なのである。そんな村の人々が声を上げるという事は、それなりに逼迫した状況でなければおかしいのではないか?と、ジークリンデは考えた。だからこそ、騎士隊などを何度も送り込んできたのだ。
しかし、今まで騎士達にはその問題の尻尾を掴む事すら出来なかった。その理由はなんなのか、ジークリンデはずっと考えていたが、答えを見つける事はできなかったようだ。
村長の家に着くと、ちょうどそれらしい男性が外に出て、農機具の手入れをしている所だった。その後ろ姿を見ると、やはり無明の方が適役だったのではと感じたが今更それを言っても始まらないだろう。ジークリンデは覚悟を決めて、声を掛けた。
「あの、ロレッタ村の村長さんですか?」
「うん?そうだが、アンタは誰だね?」
「すみません、私はワルキュリアから参りました。ジークリンデ・ライトニングと申します」
「ライトニング……?まさか、領主様の!?こ、これは失礼いたしましたっ」
「いえ、そんなに気になさらないで下さい。領主は父で、私は代理で来たのですから。早速なんですが、先日から何度か頂いている嘆願書の内容について、お聞きしたい事がありまして」
「ああ、あの事ですか。あれについては、マルキュリオ爺さんに全て任せておるのですが……」
「え?マルキュリオに?どういうことです?」
「いや、正直な所、あの事について詳しく説明できるものが他におらんのです。ただ、村の者達が寝静まった頃に山の中を恐ろしい影が歩いていくのを見たと、そう言う者が何人かおって。けれど、それを聞きつけたマルキュリオ爺さんが、皆は騒がず自分に全て任せておけと言うもんで……」
「そんな……ど、どういう事なんだ?爺……」
信じていたマルキュリオに裏があると知り、動揺するジークリンデ。彼が隠そうとしているものは一体何なのか?本当にあの優しい爺が自分を騙そうとしていたのか?いくつもの疑問が頭に浮かんで、ジークリンデはその場に立ち尽くすのだった。