ジークリンデが村長から話を聞きだす少し前、ジークリンデに扮した無明とロスヴァイセは、台所で作業をするマルキュリオの元に向かった。ロスヴァイセは本物のジークリンデの護衛なのだが、無明がジークリンデの変装をしている事がバレないよう敢えてこちらに残ったのだ。
「おはよう、じい。今朝も早いんだな」
「おお、お嬢様。おはようございます。もうすぐ朝飯の支度が整いますのでな、座って待ってて下され」
「ありがとう。……良い匂いだ。今朝のメニューは何かな?」
「無明が差し入れてくれた猪肉がまだ残っておりましたから、串焼きに致します。それに米と……サラダなどでいかがですかな。そう言えば、無明は?」
「ああ、無明ならまた村長の所だと思う。私が行く前に話をつけておきたいと言っていたからね」
「ふむ、働き者ですな。しかし、わざわざお嬢様が出向く必要などありますまいて。そういう事は従者に任せておけばよいのです」
「……そうだろうか」
背を向けたまま作業をするマルキュリオは、今話しているジークリンデが無明の化けた偽物だとは気付いていないようだ。もっとも、無明の変装はジークリンデの見た目だけでなく、声色に話し方や仕草、アクセントに至るまでほぼ完璧に本人をトレースしており、生半可な人間では見破れないクオリティを発揮している。全て知っているはずのロスヴァイセが、一瞬本物のジークリンデが隣にいるのでは?と錯覚するほどに、無明の変装はよく出来ていた。
少しの間が空いて、朝食が出来上がり、マルキュリオがテーブルに食事を運び始める。ロスヴァイセも手伝う中、ふと気づいたのは甘い匂いがするご飯であった。
「この甘い匂いは……
「ふふ、この辺りでは今頃でも
「っ!?」
しまった、と思った時にはもう遅かった。この世界では、栗は栗という名前ではなくロンマという植物なのだ。思わぬ時期外れな好物の登場に、無明はつい日本の癖で喋ってしまった。何を隠そう、無明は栗ご飯が大好物なのである。それ故の失態だ。だが、次にマルキュリオから発せられた言葉は更に意外なものだった。
「しかし、大したもんじゃのう。どこをどう見てもお嬢様にしか見えぬ。その話し方、足の運び……どれをとってもお嬢様本人としか思えんぞ。儂でなければ、確実に騙しとおせたじゃろうな」
「……驚いた。初めから気付いておられたということか?拙者、変装の術にはそれなりに自信があったのだが、初見で見破られたのは初めてでござるよ。せっかくなので、どこで見破ったのか聞いても?」
「ふ、足音と床の軋む音じゃ。お主は見た目などをそっくりにすることは出来ても、身体の重さまでは変えられぬようじゃのう。儂はこう見えて、歴戦の騎士じゃからな。目で見るだけの若造とは違う。耳も鼻も使って、戦いを潜り抜けてきたんじゃよ」
「なるほど。それは盲点でござった。確かに、変装の術でも身体の重さまでは考慮しておらなんだ。今後の参考にさせてもらおう。……では、ここからは本音で喋らせてもらうでござる。マルキュリオ殿、例の嘆願書に書かれていた内容と正体、お主はその全てを知っておるでござるな?」
「…………」
「それだけではない。夜になると聞こえるという物音に加え、耐え難い程の眠気を誘うあれについても、お主は知っておるのでござろう?」
「無明様、それはどういう?」
「ここへ着いたその夜も、昨晩も、拙者は夜更けに異常な物音を聞いて目を覚ましていたのでござる。しかし、どういう訳か、その度に尋常でない睡魔に襲われて眠りに落ちてしまった。拙者は忍びとして、様々な鍛錬をしておるので忍耐力には自信がある。そんな拙者が、たかが眠気を堪えられぬなどあり得ぬ。何か秘密があるとしか思えんでござるよ」
マルキュリオは無明の質問に無言を貫き、静かに目をつぶっている。そんなマルキュリオの逃げ道を潰すように、無明は話を続けた。
「今にして思えば、拙者達が村に着いてすぐにそなたが声を掛けてきたのも妙でござった。それに加えて、ジークリンデ殿を村長に近づけないよう張り付く徹底ぶり、恐らく村長殿には拙者達が来ても何も話すなと言ってあったのでござろうな。そうまでしてそなたが隠したかったものは……」
「何の事じゃ?儂は何も隠し事などしておらんわい。言いがかりもその位にしてもらいたいもんじゃな」
「いいや、言いがかりなどではない。今、このロンマ飯を前にしてはっきりした。よく思い返してみればこの甘い匂いこそ、異常な眠気を誘った原因そのもの……そして、拙者がこの二日、村の周囲を探っても
無明が言い放つと、マルキュリオはまた目をつぶって黙り込んでしまった。どう反論するか考えているのかと思った矢先、マルキュリオは突如、大きな声で高らかに笑った。
「ふふ、フフフ……ハァーッハッハッハ!なんと拙い責めよ。それでは推理にもなっておらぬ、穴だらけの暴論ではないか。……だがしかし、まさか匂いでバレようとは思わなんだ。無明、お主は犬よりも優れた嗅覚をしておるのう」
「……認めるのでござるな?」
「ふん。お主が変装までしてお嬢様が抜け出したという事は、お嬢様は既に村長の元に着いておる頃じゃろう。となれば、あれが悪戯などではない事も知れておるはず。であればもう隠しても仕方がないということじゃ。確かに、お前の言う通り、嘆願書に書かれた怪しい物音と影の正体を儂は知っておる。全ては、この極上の
マルキュリオが指笛を吹くと、どこからともなく地響きのような音が聞こえてきた。無明とロスヴァイセは慌てて窓の外を見て、その音の発信源を探そうとした。だが、それは探すまでも目の前にあったようだ。そう、最初からずっと見えていたのだ。
「なっ……や、山が!?」
「いや、山のように見えていただけで、あれは山ではない……何か巨大な生き物の背中でござる!」
「そう、あれこそ儂のスキル『
「……何故だかわからんが、拙者、ものすごく色んな方面から怒られるような気がするでござる」
「怒られたら謝ればよろしいのでは?」
「そういう問題では……あるのでござろうか?って、マルキュリオ殿!?」
「フハハハハハッ!」
無明が気付いた時にはマルキュリオの足元が光り、次の瞬間に彼はあの巨大な亀の頭の上で高笑いを響かせていた。どうやらマルキュリオとあの亀はスキルで繋がっていて、彼は亀の元へと自由に移動できるらしい。無明とロスヴァイセは急いでマルキュリオを追って外へ飛び出し、改めてその巨大な亀と対峙した。
対峙したと言っても、亀の本体は手の届く位置にはない。言うなれば、二人は山の麓で山を見上げているような状態だ。その亀は実にゆっくりと一歩ずつ村へと近づいてきているようだった。
「何と
「いえ、私の知る限りこんなモンスターはいません。あのスキルで生み出されたのでは」
「スキルで生物を……!?まさかこれも女神殿の言っていた回収対象のスキルなのでござるか」
この世界には様々なスキルが存在するが、モンスターを独自に生み出すスキルというものは確認されていない。あるとしても精々、力の弱い精霊を操ったり使い魔を魔力で生み出す程度である。しかし、マルキュリオが従えているこの