「フハハハハハハッ!この
「言ってる事が滅茶苦茶でござるな……流石の拙者もちょっと引いたでござる」
「大体、自由に食材が採れるというだけで、どうやって国を亡ぼすつもりなのでしょう?そもそも国を亡ぼす必要がないような」
「まぁ、こんな巨体の亀がいたら国が危ういというのは解る気がするでござるが……」
「おおーい!二人共っ!」
「む?おお、ジークリンデ殿、無事でござったか!」
「い、一体何が起きているんだ?!村長さんと話していたら突然、村の人々がバタバタと倒れ初めて……それに爺の声は聞こえたが、彼はどこだ?」
「村人達が?……まさか!」
無明はそれを確かめるように手近な家の屋根に飛び乗り、村の様子を見回した。すると、外に出ていた人達が倒れ込んでいる姿が視界に飛び込んでくる。恐らく家の中にいる人達も同じだろう。これは無明達が眠らされていた夜中と同じ状況なのだ。今無明達が起きていられる理由は不明だが、直に自分達も眠らされてしまうだろう事は容易に想像できた。この二晩がそうだったように。
それに気付いた無明は変装を解き、いつもの忍者装束に戻ってジークリンデ達の隣に再び立つと、覆面の下で唇を噛み締めた。
(このままでは早晩拙者達も眠らされてしまうだろう。その前にあの亀を何とかしなくては……だが、あの巨体が相手では、忍者刀一つではどうしようもない。マルキュリオ殿をどうにかするだけで事は済むのか?もしも、操り手であるマルキュリオ殿を押さえたとして、後に残った亀が暴れ出したら手が付けられぬ……!)
「無明?どうした?爺は、爺はどこなんだ?!」
「……マルキュリオ殿なら、あの亀の頭の上でござる。ここからだと豆粒のようにしか見えぬが、声だけが聞こえるのは彼のスキルの力でござろう」
「んん?あ!本当だ!?爺、どうしてこんなことを……」
力無く呟くジークリンデの声もまた、マルキュリオの耳にしっかりと届いているらしい。マルキュリオは邪悪としか言えない様子でジークリンデに応えた。
「お嬢様!遅かれ早かれこうなるとは思っておりましたわい。儂の目的の為には、大恩あるライトニング家にも背かねばならぬという事じゃからな!」
「目的って、さっきの万年王国とかいう夢想か!?そんな事の為に、どうして?!」
「夢想じゃと!?それは違う!単なる旨い物を探すだけだと思っていた儂のスキルは、この為にあったのじゃ!この力の可能性にもっと早く目覚めておれば、儂は、妻に……っ!」
「妻……?ティネシーさんか?ティネシーさんがどうしたと言うんだ!?」
「……ええい、うるさいっ!何を言おうがもはや終わった事じゃ!儂の願いを邪魔するものは例えお嬢様であっても許さんぞっ!」
マルキュリオが激怒すると、
「まずい!止せ!止めるでござるっ!くそ、二人共、伏せろっ!」
「えっ?う、うわぁっっ!?」
「ワハハハッ!見たか?
「なんということを!家の中で眠らされている民もいるだろうに、そのような者達を死なせるおつもりか!?」
「ふん!どの道、皆ここで死ぬのじゃ。
「な、なんだって!?」
「……なるほど、最初に国を亡ぼすと言ったのは、そういう事だったのですね。確かにそれならば、その力はむしろ国を亡ぼす事しか出来ないでしょう。いえ、場合によっては国だけでなく世界が滅びます。新たな国創りなど不可能に思えますが」
「はっ!目先の事しか考えられぬバカな小娘が、よう言うわい!儂の創る食の万年王国は、訪れる者に究極の美食と幸福をもたらす。そして、人はその至福の中で眠りに就き、新たな美食を生み出す種となる!そして、他の国で増えた人間共がまた儂の万年王国を目指し集まるのじゃ。これぞ完璧な国の形じゃろうが!」
「そんなバカな!?そんなもののどこが国だと言うんだ!それではただ無意味に屍を積み上げるだけの地獄じゃないか!?」
「何とでも言うがいい!儂はこの力を思うがままに使うまで!お嬢様、貴女も儂の創る美食の糧になってもらいますぞ!」
「くっ!?」
マルキュリオがそう叫ぶと、周囲に甘い匂いが立ち込め始めた。この二日間で何度も嗅いだ
「まずいっ!」
ここで眠らされてしまえば、もはや抵抗はおろか逃げる事すら叶わないだろう。マルキュリオからスキルを奪うには、僅かだが時間が必要で、それが可能となる時間が残されているかは解らない。一番速いのはマルキュリオを殺してしまうことだったが、ジークリンデの事を考えるとマルキュリオの命を奪ってしまっていいとは思えなかった。
(拙者も、ずいぶんと甘くなったものだ……しかし、どうする?この期に及んで殺さずに済む方法などあるのか?)
闇に生きる一流の忍びならば、例えそれが誰であろうと、敵となれば殺す事など厭わない。誰よりも忍びであった転生する前の無明であれば、親や兄弟、妻や我が子であったとしても容赦なく切り捨てたはずだ。だが、新たな肉体を得てこの世界に蘇り、ジークリンデ達と他愛のない日々を過ごす内に、そんな冷徹さは彼の中から失われてしまっていた。もう大人であるはずのジークリンデがあれだけ懐いてみせたじいやを、彼女の目の前で殺せばどれだけ彼女は悲しむだろう。そう思ってしまうのだ。
そんな葛藤を見抜いたように、ジークリンデはぎゅっと拳を握り、無明の服の裾を掴んだ。その弱々しい力と悲し気な目とは裏腹に、ジークリンデはある決断を口にする。それは彼女が、間違いなく為政者の娘であるという強い意思によるものだ。
「む、無明……頼む。爺を、マルキュリオを止めて……いや、こ、殺してくれ。説得出来ない以上、彼は危険だ。放っておけばうちの領民だけでなく、本当に国が亡んでしまう。それだけは絶対に止めなければならない。私は、ライトニング家の人間として多くの民が犠牲になるのを見過ごす訳にはいかない。……頼む」
「ジークリンデ殿…………無理をするでない。安心するでござる、拙者に任せておけ。そなたを悲しませるような事はせぬ」
「しかし、どうやって!?もう時間がないのだろう?こうしている間にも、私だって意識が」
「いつもジークリンデ殿やエスメラルダ殿が言っているのでござるぞ?拙者は
ジークリンデの頭を撫でながら、無明は覆面の下で笑った。忍びは侍とは違って、金で雇われる事から忠義に生きる存在ではないと言われている。だが、そんな忍びとて矜持はある。任された仕事を遂行する為ならどんな汚い事でも躊躇わぬ冷徹さは、その矜持の表れだ。例え地を這って泥を啜ってでも生き延び、任務の為なら決して諦めぬ……それこそは、誇りと誉を第一とする侍には真似出来ぬものだ。最後の瞬間ギリギリまで、考える事を止めてはならない。
(さて、とは言うもののどうするか。マルキュリオ殿を殺さぬのならば、最優先はあの亀の無力化だ。そう時間も無いが、どうやって……)
「無明様」
「うん?どうした?ロスヴァイセ殿」
「来る時に使った秘薬は、まだ残っていますか?」
「秘薬?
「いえ、あの薬は馬専用で、他のものが飲むと大変な事になると聞きました。ならば、それをあの
「それは……いや、そうか!その手があったでござるか!」
何かを閃いた無明は、小さな丸薬を取り出して、すぐさま手持ちの竹筒に放り込んだ。竹筒には液体の秘薬、
そもそも、
一方、亀という生き物が長生きなのは、心臓が他の生物よりも動いていないからであるとする説がある。寿命が短い生き物ほど心拍数が多く、体内に酸素を取り込む量が多い為に活性酸素が増加して肉体が劣化し、寿命が短くなるというのだ。一説によれば、人間の心拍数は一分間に60-90回ほどなのに対し、寿命の長いリクガメの心拍数は10回程度だという。
無明にはそこまでの科学知識はないが、強心作用が時に生物にとって害をもたらす事は理解していた。そして今、
「これを飲ませれば……っ!行くでござる!」
「む?!何をしでかすつもりじゃ!ええい、
マルキュリオは
「あっ!ど、どこへ……無明はどこへ行った!?」
「拙者ならここにいるでござる」
「い、いつの間に……!?お、おまえは一体……」
「マルキュリオ殿、そなたの過去に何があったのかは知らぬ。しかし、今ならまだ罪を償いやり直す事も出来よう。その為に……そのスキル、女神の名の下に回収させて頂く!」
「なんじゃとっ!?ぬおっ!!?」
その時、
「なぁっ!?ば、バカな!儂の、儂の
「今だっ!女神の力よ、マルキュリオ殿のスキルを奪い取れっ!」
「はっ!?や、やめろおおおおっ!?」
密かにその手へ集中させていた力が光となって、無明の手から放たれる。それは冥遁の術の中でフィーリルのスキルを消し去った結晶と同じものとなり、マルキュリオの身体を包んだ。そして、鮮やかな光の柱が天に届いて、マルキュリオは野望と共にそのスキルを失うのだった。