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第46話 驚異の破天荒母、登場

 腰まで届こうかという黒く長い髪を揺らして、妙齢の女性が笑っている。ブリュンヒルデはジークリンデとエスメラルダの実母であり、これまで話題の端にすら昇らなかった謎の多い女性だ。正確に言えば、無明は彼女について疑問に思っていたものの、何となく話し難そうな雰囲気を察して聞かなかっただけなのだが。


「あれが二人の母君でござるか。確かに、よく似ているな」


 日本風に言えば烏の濡れ羽色と表現してもいいほどの美しい黒髪は、ジークリンデと瓜二つだが、ブリュンヒルデの顔つきそのものはエスメラルダとよく似ている。正確に言えば、エスメラルダが彼女に似ているというべきか。つまり、ジークリンデの顔つきは父親譲りなのだろう。ただ、エスメラルダは金髪なので、ちょうど顔と髪が逆に遺伝したようだ。


 軽鎧と剣を帯びたその背格好はジークリンデにそっくりなので、後ろ姿ならジークリンデと見分けがつかないかもしれない。なんともややこしい人物だった。


「団長!」


「お姉様!」


 馬車から飛び降りてロスヴァイセが叫んだのと、玄関からエスメラルダが飛び出してきて叫んだのはほぼ同時だった。それもまた、状況のややこしさに拍車をかける要因となっている。そんな中で、ジークリンデは苛立ちを隠さずに怒鳴り声を上げた。


「団長だと!?ロヴァ、どういう事だ?!」


「お嬢…いえ、ジークリンデ様。その方は、我ら『暁の戦乙女団』の団長でございます。まさか、お嬢様方のお母様だったとは……」


「あら?私、言ってなかったかしら?ごめんね、ロスヴァイセ。私、この家の人間だったのよ。だからこの街に行こうって提案したの」


「ふざけた事をっ!お父様だけでなく、私やエスメラルダを放って出て行った女が、軽々しくライトニング家の人間だなどと語るな!」


「いやねぇ、私があなた達を捨てたみたいに言って。お父様がいたんだから、寂しくなかったでしょう?私はどこに居ても、あなた達の事は忘れていなかったわ。ただ、一緒に暮していなかっただけ。捨てた訳じゃないの」


「こ、このっ……!」


「いかん!ジークリンデ殿、鎮まれ!落ち着かれよ!」


 激昂して再び飛び掛かろうとするジークリンデを、無明が割って入って食い止めた。事情は解らないまでも、明らかに今のジークリンデは冷静さを欠いている。二人が親子である以上、一時の感情で取り返しのつかない事になるのは良くないと、無明は考えているようだ。


「うふふ、ジークリンデは元気一杯ねぇ。そこのお兄さん、止めなくていいのよ。好きにさせてあげて。私はまだまだ、子供相手に後れを取るほど弱っていないもの」


「なっ!?」


 (この状況で挑発するとは、正気か?!なんとべらぼうな御仁だ!)


 先述の通り、ジークリンデはもう二十二歳。十六歳から成人であるこの世界では、とっくに大人の女性である。何より、剣神のスキルを持って自らの力に自信を持っている彼女を子供扱いするなど、もはや侮辱に等しい物言いだ。これまで散々常識外れな人物と言われてきた無明ですら、ブリュンヒルデの言葉は耳を疑うものであった。


「もう許さんッ!」


「そう来なくっちゃね。久し振りにお母さんと遊びましょうか?ジークリンデ」


「な、め、る、なぁぁぁぁっ!」


「あ!?こ、こらっ!」


 無明の脇をするりと抜けて、ジークリンデが突貫する。無明が本気を出せば止められるだろうが、今のジークリンデは並大抵の事では止められそうにない。傷つけないように無力化するのは、いくら無明でも難しいだろう。それに今までのやり取りからしても、非があるのはブリュンヒルデの方なのだ。本気で止めるべきかどうかも判断がつかないのである。


 素早く接近したジークリンデは、上段から迷いなく剣を振り下ろした。ロスヴァイセと同様に、彼女は剣技だけでなく身体能力もスキルによって大幅に向上している。無明のスピードほどではないにせよ、素人ならば何が起こったのか解らない内にあの世行きだろう。だが、そんな彼女の一撃をブリュンヒルデは薄ら笑いを浮かべたままで受け止めて、軽くいなしてみせた。


「おおおおおおッ!」


「ヤダわ、怖い顔して。ただでさえお父様にそっくりなんだから、可愛く笑顔でいないといいお嫁さんになれないわよ?」


「うるさいっ!」


 ジークリンデも大したもので、防がれていなされた剣を力技で次の一撃へと転化してみせた。普通ならば、いなされた時点で隙が出来るはずだが、全く意に介さない様子で今度は横薙ぎに繋げていく。恐ろしい程の反射神経と怪力である。

 しかし、それすらも予想していたかのように、ブリュンヒルデは直剣を盾のようにして剣の腹でそれを受け止めた。


「ぐぬぬぬぬぬっ!」


「……凄いわ、ジークリンデ。あなた、とっても力持ちになったのね。これでもお母さん、力比べでは誰も負けた事なんてないのに」


「っざけるなぁ!」


 そのまま剣諸共両断しかねない勢いで押し切ろうとするジークリンデだったが、 ブリュンヒルデは敢えてその体勢から大きく一歩を踏み込んだ。剣を横方向に薙ごうとしている状態で、突然前から押し込まれれば、力のかかり具合が急に変わってどうしてもジークリンデは抗しきれなくなる。ましてや、二人の力は拮抗しているのだ。体当たりのような勢いで押し込まれたジークリンデは力の入れ方を変えざるを得なかった。


「ふふっ!」


「し、しまったっ!?」


 その一瞬の隙を突き、ブリュンヒルデは腰をわずかに落として、受け止めているジークリンデの剣を下から持ち上げるようにかち上げた。予想だにしないブリュンヒルデの動きに、ジークリンデは身体だけでなく意識までもの隙を突かれた形だ。そして、それでも剣を放さないジークリンデは、両手を強引に持ち上げられて万歳のようなポーズになってしまった。


「ちっ……!」


 瞬間的に隙だらけになったジークリンデは、これほどの実力を持つブリュンヒルデにとっては格好の餌食だ。達人と言っても差し支えないブリュンヒルデならば、この僅かなタイミングだけでジークリンデにトドメを刺せるだろう。単なる勝負ならそれでいいが、目の前でこの戦いを見ている無明には放っておくことなど出来るはずがない。舌打ちをして、咄嗟に二人を止めようと忍者刀に手を掛けたその時だった。


「待てっ!二人共、そこまでだ!」


「っ!?」


「あら?あなた、もう出てきたの?思ったより早かったわね。残念だわ、もう少し親子の時間を楽しみたかったのに~!」


 玄関から現れたのは、ジークリンデ達の父親で、ブリュンヒルデの夫であるアレックスだった。まだ一人ではまともに立てないのか、メイドの一人に肩を借りており、相当慌てた様子が窺える。


「お父様っ!大丈夫ですか!?」


「エスメラルダ、お前では二人は止められんと言ったろう。だが、まさかいきなり斬り合いになるとは私も思っていなかったが……く、うぅ」


 かなり無理をして出てきたのか、アレックスは呻き声を上げて辛そうな顔をしている。エスメラルダが慌てて駆け寄る一方、ブリュンヒルデは困り顔でとんでもない一言を放った。


「あなた、その程度の怪我でまだそんなに痛がってるの?……それとも、今はそのなのかしら」


「っ……!!?」


 解りやす過ぎるほどに身体をビクつかせたアレックスは、見ていて哀れに感じるほどの冷や汗を流している。無明はそれでおおよその事情を察したようだが、まだ若く純粋なエスメラルダはよく解っていないようだ。


「お父様……?」


「ちっ、違う!違うぞ!?アゲハとは別にそんな関係ではっ!」


「お父様、どういう事です?まさか」


「違うと言ってるだろう!?ジークリンデ!父を信用できないのかっ?!」


「ふふふ、冗談よ、ジークリンデ。お父様は気が小さい人だから、本当に浮気をしていたらこんな時に連れ立って出て来たりしないわ。そうね、あの感じだと…………街の娼館で遊んでいたって所かしら?まぁ、怪我をする前でしょうけど」


「あ、あわわ……!?」


「お父様……後でお話があります……!」


 (恐ろしい奥方様だ。あの様子だと行為の有無だけでなく、時期まで言い当てたか。しかも、圧の放ち方までジークリンデ殿と全く一緒とは、血は争えぬなぁ。くわばらくわばら)


 親子で放つ剣呑な雰囲気に、無関係なはずの無明でさえ圧倒されかけていた。こうして、破天荒極まりないブリュンヒルデの帰還によって、ライトニング家にまた新たな嵐が巻き起ころうとしていた。

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