衝撃的なブリュンヒルデの帰還から一時間後、ジークリンデを始めとした一同は応接室に集められていた。なお、アゲハという名のメイドはジークリンデのプレッシャーに
「さて、それじゃ久々に家族団欒の時間ね。何年振りかしら?……それはそうと、そこの覆面のお兄さんは誰なの?どうしてこの場にいるのかしら?」
「拙者、晴晒……いや、霧隠無明と申す者。宜しくお願いするでござる。どうしてこの場にいるのかは……ジークリンデ殿に聞いて頂きたい。乞われてここにとどまっているが、拙者もよく事情が解っておらぬのでな」
記憶を取り戻してからの無明は、もはや偽名を使う必要もないと思っているが、それでも初対面の相手にはつい偽名を言いたくなるようだ。これは彼の身に沁みついた癖のようなものなので、仕方のないことなのだが。
無明が水を向けた事で、必然的に全員の視線がジークリンデに集中する。そんな中にあって、ジークリンデは淡々と、かつ悪びれもせずに答えた。
「彼は我がライトニング家にとっての大恩人であり、誰よりも頼りになる協力者だ。個人的な……ものは除いても、この場に居て差し支えないと考えている。少なくとも、家族を放ったらかして遊び歩いているような女とは訳が違う」
ふん!と最後に鼻を鳴らして、ジークリンデはそっぽを向いてしまった。途中で言いかけた個人的なものとは、つまり自分自身の恋心であるのだが、それを親の前で暴露出来る程の胆力はジークリンデにはまだ無いようだ。彼女の想いに気付いているエスメラルダはふふふと微笑ましく笑っていて、それでアレックスとブリュンヒルデは察したのか、二人して思い思いに無明の顔(覆面)を覗き込んでいる。
「じ、ジークリンデ、お前まさか……」
「あなた、黙って」
「……はい」
(この夫婦の力関係がよく解るでござるな。世界が変わっても、男と女というものはそう変わらんということかな)
そんな取り留めもない事を考えながら、無明は静かに話を聞いていた。ジークリンデの意思はさておき、あまり穏やかとは言えない状況だし、彼女には悪いが、このまま黙っていた方がいいのではないかとも思っている。藪をつついて蛇を出しては堪らないからだ。
「まぁ、そういう事ならとりあえずこの場に同席するのは許しましょう。色々と聞きたい事も出来たしね。とりあえず、それは後で聞かせてもらうとして、ジークリンデは私の何が気に入らないのかしら?」
「何がだと!?気に入らない事なら山ほどある!そもそも、あなたは何故今になって……いや、今更どの面を下げて帰ってきたんだ!?エスメラルダが今年でいくつになったか解っているのか?十三歳だぞ!あなたはこの子が産まれてから一年と経たずに家を飛び出していった。一体、それがどれだけこの子を傷つけたか、解らないのか?!」
「だって、仕方がないじゃない。あの時既に、私には大事な傭兵団の子供達がいたのだから。何年も放っておく訳にはいかなかったのよ。まぁ、あの時はまだ子供達も小さかったから傭兵ではなく孤児院みたいなものだったけれど。そうよね?ロスヴァイセ」
「え?あ…いや、そうですね。何も知らなかったとはいえ、私達は団長にずいぶんと良くして頂きました。ですが、その……お嬢様方を
普段は無表情なロスヴァイセも、今日ばかりはかなり顔色を悪くして狼狽えている。どうやら、ロスヴァイセ達は本当に何も知らず、ブリュンヒルデの愛情を受けて育ってきたらしい。だが、今その裏に泣いた実の子供達が居たと聞かされては困惑するのも当然だろう。そこで、事情を知らない人間として無明がふと、疑問を口にした。
「あー、奥方様、一つ聞きたいのでござるが、何ゆえそなたはその孤児院のようなものを作ろうと思ったのでござるか?どうも話を聞いていると、ジークリンデ殿が産まれた直後から既に流浪の旅をしておられたようだが」
「ええ、そうよ。ジークリンデが産まれて、二歳くらいになった頃かしら?私がこの家を出て行ったのは」
「それは、何ゆえに?」
「私、ジークリンデを産んだ時に思ったの。このままでいいのかしらって。こう見えて、私は元々貴族の生まれでね。
「違うって、何がですか?」
そこで我慢できなくなったのか、無明の代わりにエスメラルダが口を挟んだ。ジークリンデほどではないにせよ、やはり彼女にも母に対して思う所があったのだ。それを嬉しそうに目を細めて眺めながら、ブリュンヒルデは言葉を続けた。
「さっきも言ったけれど、私は貴族の家に産まれ、割と何不自由なく育ったわ。でも、学園にはそうでない子達も多くいて、彼らと交流していく内に、私自身の見識が狭い事に気付かされたの。思えば、その気持ちはずっと心の中にあったのね。だから、ジークリンデが産まれた時、私はこの子に親としてどんな生き方を教えられるのかを考えたのよ」
「生き方を……?」
「そう。私は親として、子供に恥じない背中を見せたかった。一貴族としてのうのうと暮らした女ではなく、生まれの貴賤や貧富の差に関係なく立派に生きられる姿をね。だから、ジークリンデの事はこの人に頼んで、私は家を出たのよ。幸い、身体を動かすのは得意だったからね」
「それで、孤児院モドキとして別の子らを育てることにしたと?……何やら矛盾しているような気がするでござるが」
「そうかしら?様々な理由から親と一緒に暮せなくなった子達を放っておくなんて、恥ずかしい大人のやる事でしょう。まぁ、私も初めから孤児達を育てようとしていた訳じゃなかったわ。ただ、あちこちの国を旅している間に、見て見ぬフリを出来なくて、自然と集まってしまったのだけどね」
「そうか、それで以前、ロスヴァイセ殿が二十年程前に傭兵団が出来たと言っておったのでござるな。しかし、それならその子達を引き取って、この家で暮らしてもよかったでござろうに」
「お、お父様は……お父様はそれでよかったのですか!?母上が家を飛び出して、子供を拾って育てていると知っていたとでも?!」
「まぁ、ブリュンヒルデは言い出したら聞かないタイプだったからな。それに、領地を任された貴族としては、親のいない子供の不憫に思い、放っておけない気持ちも解ったしな……」
「そもそも、この人は私に逆らえないのよ。ねぇ?アリエさんの事があったせいで」
「!」
「アリエ……?」
ビクンと身体を撥ねさせて、アレックスは再び冷や汗を流し始めた。初めて聞くその名に、ジークリンデとエスメラルダは疑問符を浮かべているが、明らかにアレックスの様子がおかしい。というよりも、先程の玄関先で浮気を疑われたやり取りと態度が全く一緒である。それだけで、無明はおおよその予測がついたようだった。