「アレックス殿……」
「ち、違う!彼女は、アリエは元々私の友人の恋人で!」
「えっ!?お父様、お友達の恋人に手を……!」
「あ、いやっ……!?違う、違うんだ!?事実的にはそうだけどもあれは不可抗力で…」
「ふふふ、この人ったら私というものがありながら、婚約中にアリエさんと男女の仲になっちゃったのよ。ね?」
「あばばばば……!?」
パニックになったアレックスは、まともに会話が出来なくなってしまった。当時、アレックスには無二の友人と言うべき、ウォーダンという男がいた。ウォーダンはアリエと付き合っていたのだが、アリエが水商売で働く女性であった為に、家族から結婚を許されなかったらしい。それどころか、他国から留学に来ていたウォーダンは、事情を知って激怒した家族の命令によりアリエを置いて国元へ帰る事となってしまったのだ。そして、当然、アリエは事実を知って泣きに泣いた。
それまで、友人として睦まじい二人の仲を見守っていたアレックスは、失意に沈むアリエを見かねて度々相談に乗ってやっていた。そうしている内に、根が優しく彼女に同情していたアレックスは、情に絆されてアリエと一夜の過ちを起こしてしまったのだった。
その事実を知ったアレックスの父、前ライトニング伯爵は激怒してアレックスに苛烈な罰を与えた。その一方で、アリエという女性には口止めを兼ねた手切れ金を積み、その代わりにライトニング領から出て行く事を命じたのである。
すっかりジト目でアレックスを睨んでいるジークリンデとエスメラルダ。特にエスメラルダは、父の意外な一面を知って嫌悪感が強いらしい。こうして、世の父親嫌いな娘が増えるのかもしれないと無明は思った。
そもそも、無明も男だし、時に妻よりも他人の色香に迷ってしまう気持ちも理解はできる。特に、忍びの場合は房中術という異性を体で誑し込む技術もあるくらいだ。そうした人間の心の隙をつくことも、忍びにとっては重要な事なのだ。かつての無明は妻一筋だったが、自分がそうした迷いをもたなかったからと言って、アレックスを必要以上に責めようとは思わないようであった。
「そう言えば、お父様。さっきの娼館のお話もまだでしたね。怪我をする前とはいえ、何をなされているのですか?」
「ァッ、いや、それは…………」
ジークリンデの放つ圧力に、アレックスは完全に負けてしまっている。これについては、男として同情を禁じ得ない話だ。いくらアレックスが妻帯者とはいえ、彼はまだ四十代後半の男盛りである。当然、生理的なものなので、欲求もそれなりにあるだろう。しかし、肝心の妻は家を出て行ってしまっていて行方知れず、おまけに家ではまだ若い二人の娘の目があるのだ。自分で慰めるにしても限界はあるので、せめて外で発散したくなる気持ちは、男ならばよく解るだろう。
そんなこの場で唯一の味方になってくれるだろう無明に、アレックスは視線で助けを求めている。だが、無明はそれに気付いていても応えようとはしていなかった。
(なんとも哀れではあるが、ここで拙者が口を出すと余計に拗れそうだしな……そんな目で見られても困る。後でフォローしてやるのが武士の情けか。しかし、妻と言えば、
泣きそうな瞳で訴えかけてくるアレックスの視線から逃れようと、無明はふと妻の事を思い出していた。
無明の妻は彼と同い年で、名を
その時の戦いで風魔小太郎は命を落とすのだが、その血を引く孫が
彼女はくノ一としての修行を受け、女だてらに相当な実力を持つ忍びであった。彼女がもし男であったなら、祖父である風魔小太郎をも凌ぐ恐るべき忍びとなっていただろうと彼女の父は語っている。しかし、現実はそうならなかった。
何故なら知っての通り、秀吉は北条家を諜報と圧倒的な数の兵力で打ち滅ぼしたからだ。北条家に仕えていた風魔忍者達は、その戦いで時代の変化を感じ、北条家から離れた。そうして、落ち延びた風魔一族は風魔衆と名を変えて全国に散っていったという。その中で、霧隠一族の里と交流を持つようになったのだ。
霧隠一族もまた、忍びとしてはそう数の多くない集団であったのは間違いない。元々、霧隠一族は伊賀忍者の流れを汲む末裔達だ。本家の伊賀忍者とは袂を分かった者達の子孫・才蔵が、伊賀忍者の頭領である百地三太夫に見い出され修行の末に忍びとしての才能を開花させ、霧隠を名乗るようになったのである。よって、霧隠一族は実質、才蔵の親族だけが名乗っている忍び達なのだ。
当然、音に聞こえた伊賀や甲賀忍者は言うに及ばず、上杉家の
それは奇しくも、圧倒的な兵力の差で豊臣家に敗北した北条家の敗因に通じるものであった。だからだろうか、風魔衆である
(思えば、
「……明、無明!」
「はっ!?な、なんでござる?ジークリンデ殿、呼んだでござるか?」
「いや、急に遠い目をして動かなくなってしまったから、どうしたのかと思って……大丈夫か?」
「ああ、それは申し訳ないことをした。大丈夫、少し昔を思い出していただけでござるよ。それで、ええと…………アレックス殿を去勢するという話でござったか?」
「そんな話はしてないだろう!?怖い事をさらっと言うな!」
味方になってくれそうな無明から恐ろしい発言が飛び出して、アレックスは激しく動揺している。そんな彼を見て笑いながら、ブリュンヒルデは言った。
「ふふふ、それは面白そうだけれど、今はまだこの人が男でいなくなったら困ってしまうのよね。私もこれからは一緒に暮らすのだし」
「ブ、ブリュンヒルデ……それはつまり…」
「うふふ。ああ、でも、
「こ、子供達って……まさか!?」
「そうよ。ジークリンデとエスメラルダも嬉しいでしょう?妹達がたくさん増えるわ。なにせ、二十人はいるのだから。ね?ロスヴァイセ」
「だ、団長……それでは、私達を!?」
居づらさで小さくなっていたロスヴァイセが驚きの声を上げる。ブリュンヒルデは、暁の戦乙女団の団員達全てを家族として迎え入れるつもりだったのだ。あまりにも破天荒過ぎるブリュンヒルデの申し出に、誰もが言葉を失って呆然とするのだった。