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第49話 無明の引っ越し

 ブリュンヒルデの衝撃的な家族計画が判明した、その数日後。無明は朝から自室で考え事に耽っていた。


「ふーむ……」


 無明という男は、普段からあまり隙の無い男だが、こうして隙間時間に物事を考えだすと割とそれに没頭する性質であった。ほとんど瞑想のような形で、何時間も思考の海に漂う事も珍しいことではなかった。とはいえ、ギルドで仕事を請け負うようになってからは隙間時間をほとんど仕事に費やすようになっていたので、あまりこうした時間を過ごすこともなかったのだが。


「無明のヤツ、今日はやけに考え事が長いのだ。よっぽど悩んでいるのだ?まぁ、静かでいいけど。なぁ、ハヤメ」


「ピッ!」


 その傍らで、リジェレがハヤメを肩の上で遊ばせながら眺めている。この二人(?)、実はとても仲が良いコンビである。無明に保護してもらう為に押しかけてきたリジェレは、当初、庇護対象としての自分の存在を危うくするハヤメに対抗意識を燃やしていたが、一緒に無明の傍で暮らす内に打ち解けて仲良くなっていた。

 そもそも、高高度の上空にのみ生息する鳥であるハヤメは、本来ならば孤高の存在である。チャロという鳥自体がそれほど個体数の多くない幻の鳥であることも手伝って、基本的には群れを作らずに単独で生活するのだ。通常、チャロが集団で生活するのは、つがいを作って子供を作る時だけなのである。


 そんな性質の鳥であるハヤメと、とにかく引き籠って身を守ろうとするリジェレは本質がよく似ているのか、数日と経たない間にくっついて過ごすようになった。この所、無明が出歩くのにハヤメがついて来なくなったのは、それが理由である。


 そうして、二時間程が経過した頃である。コンコン、とドアをノックする音がして、続けて間を置かずに優し気な声が響く。


「無明さん、いらっしゃいますか?エスメラルダです」


「あ、エスメラルダなのだ。おい、無明!いい加減戻って来るのだ!エスメラルダが来ーたーのーだーっ!」


 未だ思考の波間に漂う無明を正気に戻そうと、リジェレは無明の頭に齧りついている。出会った当初から比べると、無明とリジェレの距離もだいぶ縮まったようだ。二人の関係はまるで親子のように遠慮のないものになっていたのだった。


「む?リジェレ、何をしておる。邪魔でござるよ」


「いくら呼んでも気付かない無明が悪いのだ!エスメラルダが来てるって言ってるのに!」


「おや、そうでござったか。ちと思案に集中し過ぎたでござるな。エスメラルダ殿、今開けるでござるよ」


 無明はリジェレを背中におぶったまま立ち上がり、スタスタと歩いておもむろにドアを開けた。エスメラルダは、無明の頭に齧りついているリジェレの姿に一瞬驚いたが、あえてスルーして何事もなかったかのように口を開いた。


「……おはようございます、無明さん。お食事の時間になってもお見えにならないので、心配して様子を見に来ちゃいました。何かありましたか?」


「おはようでござる、エスメラルダ殿。そうか、もうそんな時間でござったか。かたじけない、ちと考え事をしていたものでな」


「考え事……ですか?何かお悩みでも?」


「悩みという訳ではないのでござるが、そろそろ潮時かと思ってな」


「潮時……?あの、それはどういう」


「まあまあ、とりあえず食事の時間なのでござろう?まずは飯を腹に入れてから話すでござるよ。リジェレの分はまたこちらへ持ってきてもらうので待っていてくれ」


「はーい!ご飯はゆっくりでいいのだ。まだ眠いし、私はもうちょっと寝るのだー」


 そう言うと、リジェレは無明の背中からぴょんと飛び降りてベッドの中へと潜り込んでしまった。基本的にリジェレは一日中ああして寝ているばかりなのだが、最近では慣れてきたのか、食事くらいなら顔を出すようになっていた。しかし、先日ブリュンヒルデが帰って来て、彼女と顔を合わせるのが怖いのだろう。リジェレは無明の元へ押しかけてきた頃に戻ってしまったようにまた部屋へ引き籠るようになってしまったのだった。





「えっ?!無明が……出て行く!?」


「うむ、その通りでござる。まぁ、出て行くと言うと聞こえは悪いが、前々から考えていたことでござるからな」


 食事を終えて一息吐いた所で無明が切り出したのは、ライトニング家から無明が出て行くというものだった。無明は以前から考えていたとは言うが、ジークリンデやエスメラルダにとっては寝耳に水である。一体何故、と疑問に思うのも無理はないだろう。


「ど、どうして急にそんな事を……!?前から考えてたって、なぜ」


「いや、元々拙者はこの世界に転生して行く宛てがなかった所を、ジークリンデ殿やエスメラルダ殿の好意で屋敷に置いて貰っていたのでござろう?いつまでもそれに甘えている訳にはいかんでござるよ。幸い、冒険者ぎるどからの仕事も順調で収入の目途も立ってきた事だし、そろそろお暇する頃合いだと思ったのでござる」


「だ、だが!」


「それに、これからは二十人もの家族が増えることになるのでござるぞ?いくらこのお屋敷が大きくて広いと言っても、流石に限度がある。このまま拙者の為に一部屋潰してしまうのはよろしくなかろうと思ってな」


 無明はそう言うと、お茶を一口啜って、ほうと息を吐いた。現在、ライトニング家では急ピッチで二十人分の団員達を受け入れる準備を進めている真っ最中だ。怪我をした暁の戦乙女団の団員達は順調に回復していて、近い内に隣町の病院から退院できる状態であるという。ブリュンヒルデが一人で先に屋敷へ戻ってきたのも、そんな彼女達を受け入れる態勢を整えるようにする為だったらしい。だからこそ、新しい家族が増えると言ったのだ。


 ブリュンヒルデの言葉に難色を示しつつも、ジークリンデは元々ロスヴァイセを始めとした暁の戦乙女団の団員達を住み込みの使用人として雇うつもりでいたこともあり、行く宛てのない彼女達の受け入れそのものには反対しなかった。だが、使用人ではなく家族として迎え入れるとなれば準備も待遇も変わってくる。その為に大忙しなのである。そして、それを間近で見ていたからこそ、無明は出て行くと言っているのだ。


「そんな……無明さんの仰る通りかもしれませんけど、私、寂しいです」


「エスメラルダ殿、別に今生の別れという訳でなし、そう悲しい顔をするものではないでござるよ。出て行くにしても、物件を見つけてからになるでござるしな。ま、そうゆっくりもしていられぬようだし、今日はこの後、物件探しに出かけるでござる。何なら土地さえあれば、上物は自分で建ててもよいのでござるが」


「君は大工の仕事まで出来るのか……?」


 ジークリンデは呆れたように呟き、改めて無明の多芸っぷりに呆れていた。無明が朝から考え込んでいたのはこの事だったのだ。頭の中で図面を引き、ああでもないこうでもないと間取りを考えることに没頭していたのである。彼が時間を忘れて集中するのも、ある意味当然と言えた。


「解った。そういう事なら、不動産屋を一緒に回ろう。我が家の都合に巻き込んでしまうようなものだしな」


「よいのでござるか?ジークリンデ殿。まだまだ忙しかろうに」


「なに、お父様が動けるようになった以上、私が領主代行として働く必要はないんだ。物件探しをするくらいの余裕はあるさ。……業腹だが、母上もいるしな。仕事なぞ、二人でどうにかするだろう」


 ジークリンデはそう言って、隠しきれない苛立ちを誤魔化そうとしている。ブリュンヒルデをお母様ではなく母上と呼ぶのは、彼女と少しでも距離を置きたいという心の表れらしい。二人の間にある溝は当分埋まりそうにないようである。

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