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第53話 異世界洋館事件

 ズル……ズル……と、およそ人のものとは思えない足音が廊下の奥から近づいていた。どういう理屈なのかは解らないが、怪物が来る廊下の奥は室内の灯りが極端に減っている。まるで、あの怪物が闇を連れて来るかのようだ。


「ロヴァ、こうなったら戦うしかないが、大丈夫か?さっきはだいぶ腰が引けていたが」


「それを言うならお嬢様こそ、あの女を見た瞬間、金縛りにあっていたようでしたが?」


「不意打ちだったから驚いただけさ。……そう、来ると解っていれば」


 こう見えて、ジークリンデはそれなりに戦いの場数を踏んでいる女戦士である。彼女は何も叔父であるロイドの口利きでSランク冒険者という肩書を得ている訳ではない。彼女は主に学生時代、忙しい学業と貴族としての勉強の合間に冒険者としての活動をしていたのだ。よって、おどろおどろしいモンスターと対峙した事は何度もある。本人の言う通り、先程は不意打ちだった為に生理的嫌悪が先に立ってしまっただけで、本来のジークリンデは怪物を見ただけで動けなくなるような女ではないのだ。


 段々と近づいてくる足音がハッキリと聞こえ、いよいよ女ゾンビの姿が見えてくる距離まであと少しである。二人は剣を抜いて構え、戦闘態勢に入った。


「来るぞ!」


「っ!」


 だが、廊下の曲がり角まで足音が来ると、急に足音が途絶えた。あと一歩踏み出してくれば、またあの恐ろしい姿が見えるはずだ。しかし、足音はそこから動かず、必然的に姿も見えてこない。敵がこちらを焦らしているかのようで非常に気持ちの悪い状況だ。かと言って、こちらから近づいていこうとは思えない。出来れば見たくはないと思うほどに、あの怪物は衝撃的な姿だったからだ。


「……来ませんね」


「そう思ってこちらが近づいて来るのを待っているんだろう。見た目よりずっと狡猾なヤツのようだ。……ロヴァ」


「嫌です。ここはお嬢様にお譲りしますよ」


「まだ何も言ってないじゃないか!……いや、先陣の誉は傭兵なら有り難いんじゃないかと思って」


「私はもう傭兵ではありません、お嬢様のメイドで、妹です。お嬢様は妹を守って下さるのでは?」


「ぐぐっ……!だがしかし、メイドなら私を盾にするのはおかしくないか!?私は主だぞ!?」


 ギャーギャーと醜い言い争いを始めた二人は、その間に足音が変わった事に気付けなかった。ペタペタと軽くなった足音は、その速さも軽やかに上がっていて、あっという間に二人の元に辿り着いている。それが二人の傍まで来た事に、先に気付いたのはロスヴァイセだった。


「だから、ロヴァは妹と言ってもだな!」


「お、お嬢様……」


「なんだ!?」


「そ、その……顔の、横、に……」


「顔の横?横がどうしたって……」


 ロスヴァイセが震える指で指し示す方へジークリンデが顔を向けると、そこには先程の女ゾンビの顔があった。ただし、上下が逆転していて、目の前の位置に見えたのは血に塗れた口である。そう、女ゾンビは天井を逆さに歩いてきたのだ。再び予想を裏切る不意打ちを受け、ジークリンデは固まってしまった。


「っっっっ!?キャアアアアアアッ!」


 まさに絹を裂くような大絶叫が、屋敷に木霊した。ただでさえ恐ろしかった女ゾンビが、またも不意打ちを仕掛けてきたのだ。しかも、天井を歩いてくるなど予想外にも程がある。そのあまりの仕打ちに、戦う気概を見せていたジークリンデとロスヴァイセは完全に戦意を喪失し、怯えて震え上がっていた。


「あ、ああああ……」


「お、お嬢、様っ……」


 剣神や狂戦士を持つ二人は、その身体能力をスキルによって強化されてもメンタルまで強くなる訳ではない。腰を抜かしてへたり込んでしまったら、すぐに戦う事など出来ないだろう。そんな哀れな二人を格好の獲物と判断したのか、女ゾンビは恐ろしい唸り声を上げてジークリンデに襲い掛かろうとした。


「火遁!忍法・虚焔縄うつろえんじょう!」


「あっ!?」


 その瞬間、突如として廊下の奥から炎の縄が伸びてきて女ゾンビを絡め捕り、一気にその身体を焼き尽くしていった。焼け焦げて炭化した女ゾンビの死体は崩れ落ちて、大きな灰の塊になっている。そして、すっかり暗闇と化していた廊下が揺らめく炎に照らされて明るく輝き、そこにはあの男が立っていた。


「間一髪、危ない所でござったな……!」


「無明っ!」


「無明様!」


「む?聞き覚えのある声だと思えば、ジークリンデ殿とロスヴァイセ殿ではないか。どうしてここへ?拙者、一人で行くと書き置きを残したはずでござるが」


「無明を一人で危険な目に遭わせる訳にはいかないと思ったんだ……っ!ああ、怖かった…………」


 助けた相手がジークリンデ達だと気付き、無明は慌てて二人の元へ駆け寄ってきた。普段通りの無明の様子に安心したのか、ジークリンデは肩を落としつつも表情は安心して、目に涙を浮かべている。泣きそうになっているのはロスヴァイセもなのだが、彼女は巧妙に目を隠して涙を堪えていた。


「拙者の事なら心配はいらぬと言ったでござるのに。まぁ、それだけ拙者を心配してくれたという事はありがたいでござるが」


「わ、私達だって足手纏いになる為に来た訳では……!ち、ちょっと今は動けないだけで」


「やれやれ」


 強がりを言う二人の様子に、ひとまず無明は安心したようだった。見た所、どちらも怪我はなく、腰を抜かしているだけのようだ。これならば少し時間を置けば動けるようになるだろう。無明は二人を庇うようにして立ち、彼女達の回復を待つことにした。


「ところで無明、ここは一体どうなっているんだ?さっきの怪物みたいなのは、他にもいるのか?」


「うむ。拙者が最初に着いた時には、小綺麗で何の変哲もない屋敷だったのでござるが、色々と調べている内に、段々とあのような怪異が現れるようになったのでござる。正直、人手が欲しい所ではあったので、二人が来てくれたのは心強いでござるよ」


「そ、そうだったのか……それならよかった。しかし、悪趣味な屋敷だな」


「無明様、その抱えられているものは?」


「ああ、これはさっき手に入れた紋章付きの鉄板でござるな。恐らくこれを、どこかの場所に嵌め込んだりするものだと」


「嵌め込む?」


「実はこれと似たようなものが他にもあったのでござる。その時は、二階の寝室で拾って一階の厠にある床へ嵌め込んだのでござるが。そうすると、見つからなかった鍵が出てきたりして、先に進めるようになるのでござる」


「何だそれは……?どうしてそんなややこしい造りになっているんだ?」


「まるで物語に出て来る迷宮のようですね。では、その途中で怪物が出てきたと?」


しかり。とはいえ、先程のバケモノ同様、強さ自体は大した事のない奴らばかりゆえ、特に問題はないのでござるが。先へ進む邪魔になっているのは間違いないでござるな」


 無明はそう言うと、少しうざったそうに頭を振った。本好きなロスヴァイセには、何やら楽しそうなイベントに思えるようだが、実際に進めてきた無明にはとても楽しめるものとは思えないらしい。あちらこちらへ移動して探し回るのは相当面倒なのだろう。こうした手合いを楽しむには、ある程度の素質が必要なのである。

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