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第54話 用意された謎

「無明、それを見せてくれないか?……うん、見事な細工だ。鉄製のプレートをここまで精緻に彫り上げるというのは、かなりの技術だぞ」


 無明の持っていた紋章の入ったプレートを見て、ジークリンデは思わず唸った。人の頭ほどの大きさがあるそのプレートには双頭の鷲が描かれており、優雅さと美しさだけでなく迫力も十分に感じられる。彼女の言う通り、これだけの細工を施せる職人となるとライトニング領内はおろか、ワーグナー王国の国内にさえそういないだろう。ジークリンデは領主の娘として、記憶の中にある職人達の顔と技を思い返してみたが、それと思い当たる人物はいなかった。


「双頭の鷲……確か、ニーベルング家の家紋がそれでしたね。絵物語で見た記憶があります」


「ああ、私も思った。まぁ、ここはアルベリヒ公の別荘だったのだから当然だろうが、それにしてはあまり古いものではないようだな。この屋敷が出来た時のものなら、もっと古くてもよさそうなものだが」


 ジークリンデは呟きながら、辺りを見回す。今まで気付かなかったが、あの女ゾンビがいなくなってから屋敷の雰囲気は一変していた。傷みや歪みが見てとれた廊下は、新築のような美しさを保っており、朽ちかけていた観葉植物は瑞々しい姿を取り戻している。室内の灯りも煌々と点いていて、全くの別物だ。


「そう言えば……何と言うか、屋敷の雰囲気が変わったな。さっきはもっとこう、年代物な感じだったのに」


「初めに拙者が来た時はこうでござった。しかし、色々調べていく内におかしくなっていくのでござる。どうやら、怪異が出る時だけ建屋が変化するようでな」


「怪物に反応して建物が変化すると?……そんな事が」


 無明の説明を聞き、ジークリンデとロスヴァイセは顔を見合わせた。怪異が出る時には環境が変わるというなら、心の準備をするには非常に助かる。しかし、現実に考えると違和感しかないことだ。怪異の目的が侵入者の排除なら、わざわざ相手に襲撃を報せるサインのようなものを送る必要が無いだろう。相手の心を折る為に、精神的な負担をかける意味合いはあるのかも知れないが、それでも不意打ちをした方が絶対に効率がいいはずだ。

 更に謎なのは、謎解きのようなギミックが用意されている事である。無明によれば、このプレートに似た物を特定の嵌め込むことで、鍵を見つける事が出来たという。その鍵を使って、また次の探索を進めていたらしいが、敵をここから帰さないつもりならそんなギミックなど必要ないはずだ。そもそも、大量の怪異を持って侵入者を潰してしまえばよいのだから。いくら考えてもこの屋敷を作ったものの真意が読めず、ジークリンデは考えあぐねいでいた。


「ともかく、ここでじっとしていても始まらんでござる。二人共、そろそろ動けそうでござるか?」


「あ、ああ。なんとか、大丈夫だ。動けるよ」


「怪物が出る前に異変が起こるなら、不意打ちの心配は減りそうですね。とはいえ、ああも気味の悪い怪物が出てくるのは遠慮してもらいたい所ですが」


 まだ少しは残るものの、ジークリンデとロスヴァイセはどうにか動けるようになったようだ。ただ二人共、さっきの女ゾンビの見た目は本当にショックで苦手だったらしい。灰の塊になってしまった女ゾンビだったものに軽く視線を向けて、二人は身震いさせていた。



 それから、三人はいくつかの部屋を回りながら屋敷の中を進んでいった。無明が持っていたプレートの他にも、不思議な形をした彫像を台座に収めたり、残されていたメッセージの通りに収蔵品の位置を変えたりと、先に進む為には色々なギミックが用意されていたが何とか進めている。その一番の功労者は、何と言ってもロスヴァイセだろう。

 読書家である彼女は、こうしたゲーム染みた謎解きが得意で、閃きに優れていたからだ。無明やジークリンデではちんぷんかんぷんになってしまうメッセージであっても、彼女は少し考えただけで答えを導き出し、謎を解いてしまうのである。彼女がいなければ、いかに常識外れの無明であっても、突破は難しかったかもしれない。


 三人が合流してから数時間が経過した。室内は明かりが灯っているのであまり変わりはないが、窓の外を見ると太陽は傾いて沈み始めている。あと二時間もしない内に、夜を迎えるだろう。

 そんな中、手にした館の地図に書き込みながら、ジークリンデが呟いた。


「ええと、次は……む、もう行っていない部屋は一つしかないぞ。どうやら、終わりが近そうだな」


「最後の部屋は、先程手に入れた鍵で開きそうですね。これで一体何が起こるのか、気になります」


「ロスヴァイセ殿はすっかりこの状況に慣れてしまったようでござるな。まぁ、楽しみを見出せるならそれに越したことはないでござるが」


「私はミステリーも嗜みますので。ただ、この館のこれはミステリーというよりも謎解きの部類に入りますね。まるで、誰かが用意した問題をクリアするよう仕向けられているような気さえします」


「誰かが用意した問題……か。なるほどな」


 ロスヴァイセの言葉は、ジークリンデにとってもしっくりとくるものだったようだ。それが何者の用意したものかは不明だが、ここまでにクリアしてきたものは、明らかに異常な仕組みばかりだった。セキュリティとして考えても無駄が多すぎる。台所に置かれていた包丁を子供部屋の人形の胸に突き刺すと現れる鍵など、意味不明が過ぎた。侵入者を排除しようというよりも、侵入者を弄んでやろうとしている……そう考えた方がしっくり来る。お誂え向きに邪魔をしてくる怪物や怪異などがいるのは、問題に集中させる為のスパイスのような気さえしてくるようだ。


 そんな違和感を抱きながら、三人は最後に残された部屋へと向かう。鍵を開けて中に入ってみれば、そこは他の部屋よりも二回りは大きく広いホールのような空間で、その中央には大きなピアノが置かれていた。また、奥の壁にはかつての屋敷の主アルベリヒ・ニーベルングの肖像画が掛けられている。


「ここは……ピアノホールか」


「ふむ。あの妙な形をした黒い机の他には何もないようでござるな」


「黒い机?もしかして、無明はピアノを知らないのか?あれは楽器だ、机じゃないぞ」


「楽器?あれがでござるか?ははぁ……この世界には珍妙な楽器があるのでござるなぁ」


 無明は初めて見るピアノに目を丸くして、興味深そうに見入っていた。彼がピアノという楽器を知らないのも無理はない。無明の生きた江戸時代前期頃の日本には、まだピアノという楽器そのものが持ち込まれていなかったからだ。無明の知る楽器とは、笛や太鼓、琴や琵琶などがメインなのである。


「それにしても、最後の部屋にあるのがピアノだけというのは意外でしたね。ここまでのようにスタチューを並べたり、プレートを嵌め込むような場所もないようです。てっきり、また何かの問題をクリアするものかと思っていましたが」


 謎解きを予想し、楽しみにしていたロスヴァイセは、予定と違う結果に酷く残念そうである。ここまでの流れからすれば、また頭を使って謎を解くものだと考えるのも無理はない。それが蓋を開けてみれば単なるピアノホールとなれば、ガッカリするのも当然だろう。だが、ここで問題なのは、この後の事だ。


「しかし、ここに何もないとなると、この後どうするべきかも考え直す必要があるな。やはり、我々をここから逃がさないという事なのか」


「それも腑に落ちません。ここまでお膳立てをされて進んできたからには、何かの意図や目的があるはずです。もう一度、探してみましょう」


「そう言えば、ここに何か書いてあるでござるよ。これが謎ということでござろうか?」


 無明が見つけたのは、アルベリヒ公の肖像画の下部にひっそりと書かれていた一文である。三人がそのメッセージに気付いたちょうどその時、少しずつ背後の壁が朽ちた状態に侵食され始めていた。

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