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第5話 2-1:冷酷な理由

ティアラがハロルド公爵家に嫁いでから1週間が過ぎた。日々の生活は冷たい空気に包まれ、孤独と向き合う日々が続いている。義妹クラリスの嫌がらせや、義務的に交わす周囲の言葉。それら全てに耐えながら、ティアラは何とか振る舞いを保っていた。


しかし、最も心を重くさせるのは、婚約者であるレオン・ハロルド公爵の存在だった。

彼の冷徹な態度と、表情に浮かぶ感情の欠片も見せない姿は、ティアラを何よりも不安にさせていた。



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ある朝、ティアラは館の廊下を歩いていた。義務のように続けられる食事の場では、彼と何度も顔を合わせていたが、まともな会話は一度もしていなかった。そんな中、珍しく執事長のグレゴリーから「旦那様が談話室でお話をしたいと仰っています」と告げられた。


「お話、ですか?」

ティアラは不安を押し隠しながら問い返したが、グレゴリーの表情は何も語らない。ただ静かにうなずくだけだった。


少しだけ緊張しながら、ティアラは談話室へと向かった。



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談話室の扉を開けると、そこには窓際に立つレオンの姿があった。朝の光が差し込む中、彼の背中はどこか孤独を感じさせるものだった。


「お呼びいただき、ありがとうございます」

ティアラは礼儀正しく頭を下げ、彼の方に向き直った。だが、レオンは振り返りもせずに短く言葉を放った。

「座れ」


彼女は少し戸惑いながらも、窓際に近い椅子に腰を下ろした。レオンはようやく彼女の方を振り向き、冷たい灰色の瞳で彼女を見つめた。


「お前、この家での生活には慣れたか?」

レオンの声は低く冷たい。それでもティアラは、彼の目にかすかな興味を感じた気がした。


「はい、少しずつ慣れてきました。皆さんのおかげです」

ティアラは微笑みを浮かべながら答えた。しかし、その微笑みが彼を動かすことはなかった。彼の表情は依然として硬いままだった。


「そうか」

短く答えると、レオンは窓際に再び目をやった。しばらくの沈黙が続き、その間、ティアラはどう話を切り出すべきか迷っていた。


「……公爵様」

意を決してティアラが口を開いた。彼女の声は緊張でわずかに震えていたが、それを押し隠して続けた。

「もし失礼でなければ、伺ってもよろしいでしょうか? どうして私との婚約を受け入れてくださったのですか?」


レオンは再び彼女に目を向けた。その目には冷たさが宿っているが、どこか探るような視線も含まれていた。


「父が決めたからだ。それ以上の理由はない」

冷たく言い放つその言葉に、ティアラは心の中で小さく息をついた。だが、彼の言葉の裏に隠された真意を知りたいという思いが消えることはなかった。


「それでも……公爵様ご自身は、本当に私との結婚を望んでいないのでしょうか?」

ティアラの問いかけは、予想外のものだったのかもしれない。レオンの瞳が一瞬だけ揺らいだように見えた。


「望むかどうかなど、どうでもいい」

再び冷たく突き放すような声が返ってきた。しかし、その声の奥に隠された苦悩を、ティアラは敏感に感じ取った。



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「あなたは……」

ティアラは口を閉ざし、言葉を選びながら話し続けた。

「とても多くのものを背負っていらっしゃるようにお見受けします」


レオンは表情を変えず、彼女の言葉を静かに聞いていた。だが、その沈黙が彼女をさらに話へと駆り立てた。


「私には何もわかりませんが、それでも、誰かに話すことで少しでも楽になることがあるかもしれません」


ティアラのその言葉に、レオンは目を伏せた。しばらくの間、彼は何も言わなかったが、やがて口を開いた。


「……お前は何も知らないほうがいい」

その声はこれまでとは違っていた。冷たい言葉の裏に、深い悲しみと疲れが滲んでいた。


「父が死んだ後、私は家を守るために全てを犠牲にした。友人も、自由も、全てをな」


その言葉に、ティアラは驚きと同時に彼への理解が少しだけ深まったように感じた。レオンの冷酷さは単なる性格ではなく、彼の置かれた状況から生まれたものだったのだ。


「私は……公爵様のお力にはなれないかもしれませんが、せめて、お一人で背負わないでいただきたいです」

ティアラの言葉に、レオンは驚いたように顔を上げた。しかし、彼女の真剣な瞳を見て何も言えなくなったのか、再び目を伏せた。


「勝手にしろ」

彼は短くそう言うと、再び窓の外に目を向けた。



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その日の夜、ティアラは彼の言葉を何度も思い返していた。冷酷に見えた彼の態度の裏に隠されていたのは、自分を守るための仮面だった。彼の孤独と苦しみを知ったことで、彼女は一歩彼に近づけた気がした。


「私は……この家で、少しでも彼の助けになれるのかしら」

ティアラの心に芽生えたのは、単なる義務感ではなく、彼へのほんの少しの共感だった。そして、その共感がやがて二人の運命を変える第一歩となることを、彼女はまだ知らなかった。






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