ハロルド公爵家での生活に少しずつ慣れてきたとはいえ、ティアラの心の中には解けない謎がいくつも浮かんでいた。その中で特に彼女を悩ませていたのは、公爵邸そのものに漂う奇妙な空気だった。
荘厳で歴史ある建物。巨大な柱や繊細な装飾、そして廊下の至るところに並ぶ豪奢な絵画や彫刻。表向きは完璧に見えるその姿。しかし、ティアラはその奥に何か不穏なものが潜んでいるように感じていた。
「この館には……何かがある」
そう思うきっかけとなったのは、ある夜の出来事だった。
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その夜、ティアラは眠れないままベッドの上に横たわっていた。レオンの言葉が頭の中で何度も繰り返される。冷たく突き放すようでありながら、どこか深い悲しみを抱えている彼の声。その真意を探るためにも、彼女はこの家のことをもっと知る必要があると感じていた。
ふと、窓の外からかすかな風の音が聞こえた。音そのものは特に珍しいものではなかったが、その中に混じる低い囁きのような声に、ティアラは体を硬直させた。
「……誰……?」
恐る恐る立ち上がり、窓の外を見てみる。しかし、そこには何もない。ただ、月明かりが庭を静かに照らしているだけだった。
「気のせい……?」
そう思いつつも、胸のざわめきが収まらない。ふと、胸元に触れると、ペンダントがわずかに温かくなっていることに気づいた。それはまるで、何かに反応しているかのようだった。
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ティアラはペンダントを手に取り、薄暗い廊下へと足を運んだ。静まり返った館の中で、彼女の足音だけが響いている。冷たい石畳の感触が足元から伝わり、夜の空気は彼女の肌にひんやりとまとわりついていた。
歩きながら、ティアラはこの館の作りに疑問を抱いていた。普段使用されるエリアは豪華で美しく保たれているが、その裏には使われていない部屋や通路が数多く存在する。それらはほとんど閉ざされており、誰も立ち入らないようにされているのだ。
「なぜこんなにも多くの部屋があるのに、使われていないのかしら……」
心の中でそう呟きながら、彼女は閉ざされた扉の一つに手を伸ばした。鍵がかかっていると思いきや、意外にも扉は静かに開いた。
そこは暗く埃っぽい空間だった。月明かりがほんの少しだけ差し込み、かすかに部屋の内部が見える。そこには古びた家具や、時代を感じさせる絵画が壁に掛けられていた。
「ここは……誰も使っていない部屋?」
ティアラは慎重に部屋の中へと足を踏み入れた。床に溜まった埃が舞い上がり、彼女の鼻をくすぐる。その瞬間、またしても囁き声が耳元に届いた。
「ここに……来るな……」
ティアラは驚いて振り返った。しかし、そこには誰の姿もない。ただ、声は確かに聞こえた。それは怒りや警告を含むもので、彼女の心を揺さぶるには十分だった。
「この声……一体何?」
動揺しながらも、彼女はペンダントを握りしめた。ペンダントの光が微かに部屋を照らし出し、その光に導かれるように彼女は部屋の奥へと進んだ。
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奥の壁際に、奇妙な紋様が刻まれた古い扉があった。その扉は他のどれとも違い、不気味なほどの存在感を放っている。ティアラがその扉に近づこうとしたその時、再び声が響いた。
「近づくな……それは、封じられた扉……」
声は今度は明確に響き、ティアラの動きを止めた。だが、その瞬間、ペンダントが強い光を放ち始めた。その光は扉に反応するように広がり、紋様の隙間に入り込んでいく。
「この扉は……何を封じているの?」
ティアラは震える声で呟いた。しかし、扉は何も答えず、ただ静かにそこに立っていた。
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その後、ティアラは部屋を出て自室に戻った。彼女の胸は高鳴り、頭の中は謎だらけだった。この館には、何か重大な秘密が隠されている。ペンダントがその秘密と関係していることも、ほぼ確信していた。
「この館は……ただの住まいじゃない。何かが封じられている」
そう考えると、全てが繋がるように思えた。ティアラが政略結婚の形でここに来たのは、偶然ではないのかもしれない。
彼女は決意を新たにした。真実を突き止めることが、この家での自分の役割なのだと。まだ冷たい態度を崩さないレオンと向き合いながら、彼の真意や館の謎を明らかにしていく。それが自分に課された使命なのだと思えた。
「私は逃げない。どんな謎が待ち受けていようと、この家の一員として果たすべきことを果たすわ」
ティアラの瞳に宿った決意は、冷たい月明かりの中で一層輝いていた。
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