ティアラがハロルド公爵家に嫁いでから数か月が過ぎた。封印の秘密を知り、自分が持つペンダントがその鍵であると理解してからというもの、彼女の胸には常に重責がのしかかっていた。しかし同時に、公爵家のために何かを成し遂げたいという思いも強くなりつつあった。
そんな彼女の心を揺さぶるような出来事が、ある日突然訪れた。
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その朝、ティアラが朝食の席に着くと、すでにレオンが待っていた。彼はいつも通りの冷静な表情で、静かに紅茶を飲んでいた。だが、その隣に立つ執事長グレゴリーの顔には、珍しく緊張の色が見えた。
「おはようございます、公爵様」
ティアラが丁寧に挨拶すると、レオンは短く頷いただけだった。その態度に特別な変化はない。だが、いつもとは異なる緊張感が漂っていることに、ティアラは気づいていた。
「何かあったのでしょうか?」
ティアラが問いかけると、グレゴリーが控えめな声で答えた。
「本日、隣国より特使が到着いたします。公爵様にお会いするために派遣されたとのことです」
「隣国の特使……?」
ティアラは眉をひそめた。ハロルド公爵家はその地位の高さゆえに各国との関係を持っているが、突然の訪問は珍しい。
「彼らが何を求めているのかはまだ不明だ。ただ、封印に関することである可能性は高い」
レオンの言葉には警戒の色が滲んでいた。ティアラの心臓は一気に高鳴った。もし封印の存在が外部に知られているとしたら、それはこの家にとって重大な危機となる。
「私もその場に同席してよろしいでしょうか?」
ティアラは決意を込めて尋ねた。公爵家の一員として、自分もこの問題に向き合う責任があると感じていたからだ。
レオンは一瞬だけ彼女を見つめたが、やがて静かに頷いた。
「いいだろう。ただし、軽はずみな言動は慎め。隣国の特使がどんな意図を持っているのか、まずは様子を見るべきだ」
ティアラはその言葉に深く頷いた。緊張しながらも、この状況を共に乗り越えたいという思いが胸を熱くしていた。
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数時間後、館の応接室で、隣国からの特使を迎える準備が整えられた。ティアラはシンプルだが気品のあるドレスを身にまとい、レオンの隣に立っていた。特使の到着を待つ間、彼女の心は不安と期待で揺れていた。
やがて扉が開き、数名の特使が入室してきた。彼らの先頭に立つのは、堂々とした態度の中年の男性だった。その目は鋭く、経験豊富な外交官であることが一目でわかる。
「初めまして、公爵レオン・ハロルド殿下。そして、ティアラ公爵夫人」
特使は深々と礼をしながら自己紹介を始めた。
「私は隣国アスカロールの外交顧問を務めるヘルヴィンと申します。本日は、両国の平和を保つための重要な提案をお持ちしました」
「提案、ですか?」
レオンが冷静に問いかけると、ヘルヴィンは意味深な笑みを浮かべた。
「実は、我々はこの地に伝わる封印の話を耳にしました。それがもし真実であるならば、隣国としても協力を惜しまない所存です。ただし、そのためにはいくつか条件がございます」
封印――その言葉が出た瞬間、ティアラの胸は強く高鳴った。まさか隣国がここまで封印の存在に近づいているとは思わなかった。
「条件とは何です?」
レオンの声は冷静そのものだったが、わずかな緊張が感じられた。
「まず第一に、封印の正確な情報を共有していただきたい。第二に、封印を維持するための協力体制を構築する必要があります。我々はそのために、専門の魔導士団を派遣する用意があります」
その提案に、ティアラは息を呑んだ。隣国の意図が単なる善意ではないことは明らかだった。封印に干渉することで何を得ようとしているのか――彼らの真の目的が見えないことが、さらに不安を掻き立てた。
「話はわかった。しかし、この件は我が国の問題であり、隣国の干渉を許すつもりはない」
レオンの断固とした言葉に、ヘルヴィンの表情がわずかに険しくなった。
「公爵殿、それはあまりにも狭量な考えではありませんか? 両国の協力があれば、この封印をより安全に維持できるのですぞ」
その場の空気が張り詰める中、ティアラは意を決して口を開いた。
「ヘルヴィン様、隣国のご厚意は理解いたしました。しかし、この封印は代々ハロルド家が守り続けてきたものです。その責任は私たち自身で果たすべきだと考えます」
彼女の声は震えていたが、その瞳には確固たる意思が宿っていた。その姿に、レオンはちらりと彼女を見やり、小さく頷いた。
「夫人の言う通りだ。封印は我々の手で守り続ける。それ以上の干渉は必要ない」
レオンの言葉に、ヘルヴィンは深くため息をついた。そして、不満そうな表情を浮かべながらも一歩下がった。
「分かりました。ですが、この話がこれで終わりではないことを、ご理解いただきたい」
特使たちが退室した後、ティアラは大きく息をついた。緊張が解け、身体が一気に重くなる。
「よくやったな」
レオンの不意の言葉に、ティアラは驚いて顔を上げた。彼の目には、わずかながら感謝の色が浮かんでいた。
「ありがとうございます……でも、彼らがまた来るのではないかと思うと、不安です」
ティアラの言葉に、レオンは静かに頷いた。
「確かに、奴らは諦めないだろう。しかし、我々は守るべきものを守り抜く。それがお前と俺の役目だ」
その言葉に、ティアラは胸に希望の光が灯るのを感じた。彼と共にこの試練を乗り越えよう――そう心に誓った瞬間だった。
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