隣国の特使が去って数日が過ぎたものの、ティアラの心には落ち着きが訪れなかった。隣国の目的が明確でないまま、館の周囲には不穏な空気が漂っている。そして封印の存在を巡る陰謀が確実に進行していることを感じ取っていた。
その夜、ティアラは再び図書室で封印に関する資料を調べていた。レオンとの対話や自分の見聞から、この封印が公爵家だけでなく王国全体にとって重要なものであることを改めて実感したからだ。だが、古い文字や専門的な記述はあまりに難解で、頭が重くなる。
「これでは、何も前に進まない……」
そう思った時、扉がノックされ、グレゴリーが入ってきた。
「ティアラ様、重要なご報告がございます」
彼の顔は緊張で引き締まっていた。ティアラは立ち上がり、彼の言葉を促した。
「先ほど、隣国から密偵と思われる者を捕らえました。館の周囲で不審な動きをしていたところを見張りが確認し、拘束しました」
「密偵……?」
ティアラの胸が高鳴った。特使たちの訪問後も続いていた隣国の執着が、具体的な形となって現れたのだ。
「その者を直接見ることはできますか?」
ティアラの問いに、グレゴリーは一瞬迷ったが、すぐに頷いた。
「公爵様の許可を得れば可能です。ただ、危険を伴うかもしれませんので、慎重にお願いいたします」
「わかりました。公爵様に相談してみます」
ティアラは強い決意を胸に、図書室を後にした。
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レオンの執務室を訪ねたティアラは、彼に密偵の件を伝えた。レオンは話を聞きながら眉をひそめ、腕を組んだ。
「隣国がこれほど積極的に動いているとはな。あの特使の訪問も単なる探りではなく、具体的な計画の一環だった可能性が高い」
レオンの声には明らかな警戒が込められていた。
「公爵様、私はその密偵に会いたいのです。彼らの目的を直接確認したいと思います」
ティアラの申し出に、レオンはしばらく黙ったまま彼女を見つめた。
「お前に危険が及ぶかもしれない。それでも構わないというのか?」
彼の問いに、ティアラは真剣な表情で頷いた。
「この家を守るために、私にできることがあるなら、全力でそれを果たしたいのです」
レオンは短くため息をついた後、静かに言った。
「わかった。ただし、俺も同席する。お前一人に任せるわけにはいかない」
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地下の監禁室に案内されたティアラとレオンは、捕らえられた密偵と対面した。その男は、質素な黒い服を身にまとい、荒々しい風貌をしていた。目つきは鋭く、警戒心を隠そうともしていない。
「お前の名と隣国からの指示について話せ」
レオンが冷たい声で問いかけると、男はにやりと笑みを浮かべた。
「隣国の者がここに何をしに来たかなんて、わかりきったことだろう? 封印だ。お前たちが守るその封印に、我々は興味を持っている」
「やはり……」
ティアラは密偵の言葉を聞き、胸の中で思った。隣国の目的が封印であることは間違いない。
「封印を狙う理由は何だ?」
レオンがさらに追及すると、男は肩をすくめながら答えた。
「我々の王がその力を欲している。それだけのことだ。封印が持つ力が、どれほど強大なものかを知っているのだろう?」
ティアラはその言葉に驚き、ペンダントを握りしめた。封印がただの結界ではなく、何かもっと大きな力を秘めている可能性がある。それが敵国の王の狙いだとしたら――その力を奪われたときの危険性は計り知れない。
「だが、残念だったな。この封印はお前たちの手には渡らない」
レオンは断固たる声で言い放ち、男を睨みつけた。
「そうか……だが、それはお前たちがどこまで耐えられるかによるな」
男は不敵な笑みを浮かべたまま答えた。
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その夜、ティアラは再び眠れずにいた。密偵の言葉が彼女の心に重くのしかかっていた。隣国の王が封印を狙っているという事実。そして、その力の真相がまだ明らかになっていないという現実。
「私がもっとこの封印について知っていれば……」
ティアラはそう呟きながら、ペンダントを握りしめた。
その時、扉がノックされ、レオンが入ってきた。彼は静かに部屋の中へ入り、窓の外を見ながら言った。
「お前が何を考えているのか、大体わかる。だが、一人で全てを抱え込むな」
レオンの言葉に、ティアラは驚きながら彼を見つめた。
「公爵様……」
彼女の声に感情がこもり、わずかに震えた。レオンは彼女を見つめながら続けた。
「お前がここに来た理由は、この家を支えるためだ。その役割を果たしたいという気持ちは分かるが、一人で立ち向かう必要はない。俺がいることを忘れるな」
その言葉に、ティアラの胸は温かく満たされた。彼の冷たい仮面の裏に隠された思いやりを感じ、彼女は小さく微笑んだ。
「ありがとうございます、公爵様。私は、あなたと共にこの家を守り抜きます」
ティアラの瞳には、強い決意とわずかな希望の光が宿っていた。
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