深い深い土の中。
一匹の妖怪がうごめいていた。
身をよじり、ゆっくり、ゆっくりと地中を進む。
人里離れた大自然から、やがて大勢の人の行き交う城下町へと。
* *
「うっ、ああぅ、ひぃ、はわわわ」
城下町へ訪れた……と言うより連れて来られたマギ。
股間を押さえた状態で屈みながら歩いていた。
たらたらと冷や汗。
「マギ様、公爵らしくしゃんとするっすよ」
「無理に決まっているであろう!」
マギは小声で怒鳴った。
「余の股間では白鳥が暴れているのだぞ。それも袴から出て来ようとして、まったく余の言うことを聞かない」
「じゃあ出しちゃえばどうっすか?」
「できるわけないぞ! もし股間から白鳥が生えているという事実が露見しようものなら、余は……余は生きてはいられない!」
「まあ、ちょっと気持ちはわかるっすねぇ」
お供の神葉はちらりと周囲を見る。
領民が道の端に寄り土下座をしている。
当然、領主の息子に対する敬意を示すためである。
が、それは見かけだけのこと。
「あの放蕩息子、とうとう城を追放されたらしい」
どこからともなく、くすくすと笑い声が聞こえてくる。
――確かに股間が白鳥だって知られたら今以上にバカにされるっすもんね。
さすがにマギをあわれむ神葉であった。
袖の中で持ち合わせを確認すると、
「マギ様、ちょっと一服してくっすか」
2人が入ったのは喫茶店。
コーヒーの香りが妖しく漂う。
店主に恭しくもてなされマギと神葉はテーブル席に着く。
「マギ様はメロンソーダっすか?」
「バカにするでない。コーヒーをアイスで。無論ブラックだ」
「かっこつけなくっていいんすよ? あ、わしはグレープソーダ、ミントの葉っぱ乗せで」
やがて届けられたコーヒーを苦い顔して飲みながらマギはひそひそと、
「余はしばらく排尿していない」
「なんすか、人が飲んでる時に」
「コーヒーには多量のカフェインが含まれているだろう。これを飲み干せば、きっと尿意を催すはず」
「ちょっと意味わかんないっすね」
「もしそれでも尿意が来なければ……余の体は異常だ」
つまりマギは不安だったのだ。
股間が白鳥になると同時に、股間以外の部分も変化しているのではないか。
自分は人ならざる者になっていやしないか。
しかし神葉は呑気に、
「おしっこしないで済むんなら便利じゃないっすか」
喫茶店を出て、また2人は歩いた。
時折、警察官などに黒い鳥を見なかったかと尋ねながら。
しかし誰からの答えも芳しくなかった。
「お城に向かって、たくさん妖怪が飛んできたのは見ましたがねぇ。黒い鳥なんていたかなぁ」
「見かけたら連絡よろしくっすね」
「了解しました。でも基本的にこの辺りでは妖怪なんて滅多に見かけないですからねぇ。期待はしないでください」
のどかだった。
今日の妖怪襲撃事件を除けば、物騒な話題などない町であった。
ただし平和は必ずしも繁栄を意味しない。
道行く人の大半は老いぼれており服装が貧しい。
少子高齢化と不景気。
展望の明るくない領地を目の当たりにしてマギは思った。
――このようなところにいるよりも、上京した方がよほど楽しいかもしれない。
マギには公爵たる自覚などまるでなかった。
「……むっ?」
急に股間の白鳥が激しく身をよじらせ始めた。
必死になって隠すマギ。
それと同時だった。
「大変だ! 妖怪が現れたぞ!!」