「瀬良寺家は代々、将軍様の侍従を務めてきました」
彼女は常々、息子に言い聞かせていた。
「私は女ですから、その役目を担うことはできませんでした。しかし、あなたは男子です。いずれ江戸に赴いて、将軍様にお仕えするのです」
「はい、母上」
子供だった頃の瀬良寺は身体中にアザがあった。
少しでも言い訳をしたり弱音を吐いたりすれば、即座に母親の折檻を受けたからだ。
虚ろな目をした子供だった。
父親はそんな息子を不憫に思い、
「ちょっとくれぇ遊ばせてやったっていいじゃねぇか。ほら、サン。キャッチボールでもすっか?」
「あなたは黙ってて!」
旦那に対してさえ激情を隠さない女であった。
「瀬良寺家に生まれたのは私です。あなたは婿養子の身。しかも、まだ将軍様にお仕えする前です。この子の教育は私にしかできません」
「家だとか教育だとか以前に、俺もおめぇもこいつの親なんだぜ。愛してやれよ」
「あなたがそれを言える?」
「……」
険悪な雰囲気はいつものことであった。
換気をするのは、いつも子供の役割。
「せいっ! うぅ……。せいっ!」
瀬良寺家に代々継承される棍棒を素振り。
それが息子にできる精一杯の愛情表現でもあった。
狙い通り、すぐに母が息子を抱き締めに来た。
「いい子ね。でも、あなたにはまだ早いですよ。いつか父から受け継ぐ時が来ます。そうしたら、この武器のすべての力をきっと使いこなしてみせてちょうだい」
「はい、母上」
やがて父が江戸に出発する日が訪れた。
「今日が公儀祓除人としての最後の務めだ。引退したら今度は将軍様の護衛だぜ」
「はい、父上」
「いい子にしてろよ、サン」
だが父は帰って来なかった。
同僚の公儀祓除人に裏切られ、殺されたのだ。
* *
「お坊っちゃま、本当に穢多を家に上げるのですか!?」
実家に帰省した瀬良寺。
何の躊躇もなくサクラを屋敷に入れた。
使用人たちは困惑していた。
「母上様に怒られますよ」
「むぅ!」
「……どうした、小僧?」
マギは玄関で仁王立ちしていた。
一人ではブーツを脱ぐこともできないバカだった。
「いいから、脱がしてやれ」
瀬良寺の指示に使用人は頭を抱えて、
「嘘でしょぉ、お坊っちゃま」
「そいつは貴族だ」
「へぇ!?」
マギはふんぞり返って、
「余は公爵ぞ!」
そんなこんなで一行は屋内に入った。
久々の実家。
瀬良寺は感慨に耽りながら廊下を歩いていた。
すると……
「はっ!」
天井から、何者かが急襲を仕掛けてきた。
瀬良寺めがけて竹刀を振るう。
「ただいま戻りました」
瀬良寺は挨拶しながら棍棒で竹刀をあしらう。
竹刀を握るのは、女。
背筋をぴんと伸ばし、目つきは鋭い。
喪服に身を包んでいる。
「お久しぶりです、母上」
瀬良寺は頭を下げる。
相対するのは実の母親。
「穢多に成り済ますとは何事ですか。瀬良寺家の長子としての誇りを持ちなさい」
「……はい、母上」
「技量の向上は認めます。妖怪との戦闘経験がいきているようです。ただちに公儀祓除人の職を辞し、家業を継ぎなさい」
はい、母上……と言いそうになるのを、ぐっとこらえる瀬良寺。
逆らえば痛くされる。
トラウマが体を強張らせる。
しかし状況が状況である。
ちらっとサクラを見て勇気を振り絞る。
「母上、話をお聞きください。私は蚊虻教を制圧するつもりです」
「却下します。藩内のごたごたなど、あなたに関係ありません」
「母上! 藩が乗っ取られているのですよ!」
「知っています」
「それでも戦ってはいけないとおっしゃるのですか?」
「江戸に出立する準備をなさい」
けんもほろろであった。
「どうしても私の話を聞いていただけませんか?」
「分をわきまえなさい! あなたは瀬良寺家の――」
「こちらの方々の話なら聞いていただけるでしょう」
瀬良寺は切り札を使った。
「ご紹介します。御所藩主にして男爵・
サソリとマギがマスクを外す。
あっけに取られる母親。
瀬良寺は畳み掛けるように、
「母上、お願いします」
「……説明してもらいましょう」