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第2話 夜光

 どのくらい経っただろう。ずっと誰かに運ばれながら、私は今までを振り返っていた。けれど、なぜか悪い気持ちが湧いてこないことも本当のことだった。なんとなく、これが良い方向に向かっているような気がしたから。


 外のどこかで降ろされ、目隠しを外される。すぐに飛び込んだのは、明かりだった。こんな時間に明かりがあるなんて。けど、自分を運んできた人物も目に飛び込んだ。

 色素の薄い髪に、鈍い空色の瞳。背が高く、あまり見ない少し派手な服を着た男性。


「あなたは…?」

「俺は蒼黒そうこく。この街で働いている」


 鈍い空色が私を捉え、思わず息が止まった。なぜか私の全てを見透かしているような気がした。

「行こっか」

「どこへ…?」

「どこって…店?」

 そう言って蒼黒さんは歩き出してしまう。いつのまにか枷は外されており、私も後を追った。

「あ、そういえばこのお金はもらっておくね。なんで君はあんな場所にいたの?」

「…薔薇を買うためです」

「いや、こんな時間に売ってるわけないだろ」

「私もそう思います」

「君、変わってるね」

 大切なお金が奪われて少しため息をつくと、いきなり大通りに出る。

 多数の提灯が明かりを灯し、人で賑わい、まるでここは昼間かと思ってしまった。

 同時に、少し思い出す。夜に活動する街があること。そこには近づかない方がいい、危ないということ。

 急に焦燥感が襲う。この人混みに紛れて出なければ。

 だが私の手は蒼黒さんに握られていた。

「どこ行ってんの」

「それは…」

 すると蒼黒さんは、とある店の前で立ち止まった。

 赤い看板に、『金魚屋』と書かれ、縦にも横にも大きな建物。目の前には入り口があり、近くに設置された広い窓からは店内がよく見えた。ひとつの机に男女が座り、一緒にお酒を飲んだり遊んだりしている。こういう店は初めて見た。

「おーい、女将さーん?」

 蒼黒さんは迷わず入っていく。私も慌ててついて行ったが、なんだかまずい予感しかしない。


 出て来たのは中年の女性で、目が吊り上がっている、少し厳しそうな人だった。いかにも女将という風格を漂わせている。

「ああ、蒼黒かい」

「この間、妓女が減ったって言ってたろ?ほら、攫ってきた」

「えー!?あんた、いいものを選んだね!顔もいいし、器量も良さそうだし…。肉をつければ売れるよこれは〜。あ、けどこの頬の傷は治さないとね」

 頭の先から足の先までジロジロと見られて戸惑ったが、それどころではない。このままでは妓女にされてしまう。実際に見たことはないが、妓女がどのような仕事かは心得ているつもりだ。このままでは、かなりまずい。

「わ、私は…」

 咄嗟に蒼黒さんの後ろへ隠れる。けど話は止まらない。

「あー、少し恥ずかしがり屋で」


「蒼黒さんも一緒じゃなきゃ嫌です!!」


 一瞬、時間が止まったかと思った。というか、自分でもなにを言っているんだと責めた。恥ずかしさで肩をすぼめてしまう。

「なんだい、ずいぶん懐かれてるじゃないか」

「こいつちょっと変なんだよ。ほら出てこいって」

 そう言われて振り向かれるが、まだ収まりきっておらず、顔を両手で隠してしまう。火が出そうなほど暑い。


「じゃあ、そういうことだから」

 反射で蒼黒さんの服を掴む。

「…まあとりあえず、上手いように使ってくれれば」

 反射で首を横に強く振る。

「……あとはそっちに」

 反射で両手で服を掴む。


「お前なぁ」

「あんた、なんでこんなに懐かれてんだい」

「知らねえよ。…ちょっと外出る。また来るわ」

「はいはい、分かったよ」


 再び外に出ると、涼しい風が私の顔を冷まそうとしていた。

「まあ、いきなりだし。しょうがないか」

「…怒らないんですね」

「まあ、何かありそうなやつを怒る趣味はないよな」

 そう言って頬を指さす。そういえば今日、瑠璃に殴られたっけ。

 この街は怖くて、何もかもが見たことないものなのに、なぜか安心感が残っていた。

「腹減ったな。そっちは夕飯食った?」

「…食べてないです」

「なら何か食うか」

 このまま一緒にいれば危ない。なのに、こんなにも離れてくないのはなぜだろう。


 近くの小さな露店へ向かい、体格の良い店主にお金を渡す。この料理も、私は見たことがなかった。つくづく、世界は広いと実感する。

「その可愛い子は彼女かい?」

「ちげえよ。ちょっと取ってきただけ」

「また派手なことするなぁ」

「こんくらいしかできねえんだ」

「まあそれもいいけどよ、またうちも手伝ってくれよな。はい2つ」

「気が向いたらな、それじゃあ」

「また来いよ!」


 受け取ったのはなにやら白くて大きな饅頭のようなもので、そのまま齧りつく食べ物だった。

 ふわふわとした生地に、中身は肉や刻まれた野菜が入り、温かい。今まで見てきた格式高い食事とは違い、なんだかとても身近な料理だ。

 この不安な状況での美味しさと、久しぶりに残り物ではない食事にありつけたこと。両方が絡まって私の中に流れていく。

「え、なんで泣いてんの」

「美味しくて…」

「…良かったな」

 この踏み込まない優しさも、私の涙の理由だろう。

 杏は大丈夫かな。他のみんなも、平気かな。そんな心配が駆け巡る。けど私は今、この幸せを逃したくない。

「蒼黒さんのお仕事は、なんですか?」

「『蒼黒』でいい。そうだなぁ…万屋よろずや、とか?」


「ふざけんじゃねえよ!」

 急に怒号が聞こえて見てみると、道の真ん中で男女が喧嘩をしているようだった。

「俺だけを愛してるとか言っておいて別の客を取ってたなんて…!」

 そう言って男性が振りかぶる。この動作、何度も見たことがある。女の人が危ない。

 でも、気づけば蒼黒も隣から消えていた。


 ふわりと軽く、その人の手を受け止めていたのだ。


「迷惑なんだけど。ちょっと黙ってくれる?」

「はぁ?なんだお前、俺に口答え」

「黙れって」

 蒼黒が力を込める。途端に男性の顔が青ざめ、ピクピクと震える自身の手を見て騒ぎ出した。するとすぐに黒い服の人たちが現れて、男性はどこかへ連れて行かれる。


「これも俺の仕事だよ」

「そうですか、では、私も蒼黒と同じ仕事に就きたいです」

「…え?」

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