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第3話 金魚屋にて

「無理でしょ」

「無理じゃないですー!」

「いや無理だって。お前、力ないだろ」

「…けど、妓女にはなりたくないんです」

「えー…?」


 蒼黒は少し考えた後、こちらを見つめた。

「俺は、今すぐここでお前を殺してもいいんだよ?」


 心臓が掴まれたようだった。鼓動が速くなるのを感じ、蒼黒の瞳の鋭さに息を呑む。ここで反抗してはいけない。本能がそう言っている。

 けれど、あくまでそれは本能というだけ。


 気づけば、蒼黒の頬に口付けをしていた。


 我ながらひどい。なにしてるんだろう、私。けど顔はなぜか微笑んでいて、余裕を感じさせている。

 こんなこと、慣れているであろう蒼黒はというと、目を見開いたのち、数秒経ってから顔を赤くした。少し意外かもしれない。

「蒼黒…」

「見るな」

「けど…」

「…あークソが。分かった、妓女にはしない」

「ほんとう…!?」

「ああ。けどな、俺の仕事も就かせない。そんなに良い仕事じゃねえし」

 吐き捨てるように言った。万屋らしいけど、蒼黒はどこまでのことを引き受けているのだろう。


 それから私は再び金魚屋に連れて行かれ、女将さんも待ってましたと言わんばかりに笑顔で出迎えてくれた。

「だから、こいつは雑用係として使ってくれ」

「えー?もったいないよ。せっかく顔が良いのに…」

「掃除、洗濯、料理、ひと通りできるそうだ」

「…まあしょうがないね。客を取る気になったらすぐに言うんだよ?」

「はい」

「それじゃあ、案内するからついておいで」

 女将さんが店の奥へ進む。私もあとを追ったが、ふと頭をよぎるものがあって、後ろを振り向いた。

 蒼黒には、また会えるのだろうか。


「あっ、いけない」

 突然女将さんが何かに気づいたように言う。そして、店を出ようとする蒼黒の襟を掴んだ。

「あんた、家は広いかい?」

「え、なんの話だよ」

「妓女ならここに住んでもらう必要があるんだけど、この子は雑用係だろ?うちの雑用係は基本的に自宅から通うように言っているんだ」

「へぇ……ん?つまり?」


「あんたの家、空いてるかい?」

「正気かよ…」


 嫌そうな顔したのち、私の方を見る。

 今日の仕事が終わったら店の前で待ってろ、ということだった。

 私はどうやら、蒼黒の家で寝泊まりすることになったらしい。


「さぁ、まずは着替えようか」


 物置から服を持ってきてもらい、まずは着替えることに。元々私が着ていた服は預かってくれるそうだ。

 それから、殴られた痕を隠すために湿布も貼ってもらう。なんだか久しぶりに貼った気がしてしみじみしていると、すぐに女将さんに呼ばれた。


「今日からあんたの教育係だよ」

 そう言われた人は、大きな瞳が特徴の、背が高い人だった。

 早苗さなえさんという方で、頼れるお姉さん、という雰囲気。

「あんた、名前は?」

「菖蒲といいます」

「菖蒲ね、よろしく」

「よろしくお願いします!」

「それじゃあ早苗、後は頼んだよ」

「はーい。女将さんはもう少し休みなね。腰が痛いんだろ?」

「はいはい、ありがとね」

 女将さん、大丈夫かな。早苗さんも同じように少し見つめたのち、その大きな瞳で私を捉える。まず最初の仕事は、大量の荷物をうちの店の稼ぎ頭に運ぶ仕事だ。

 大きいものから、小さいけれど高価そうな箱まで、たくさんの貢物だ。瑠璃も贈り物をもらうことはあったけど、これの半分以下だったはず。

 まずは色々な仕事を体験して、私に合った仕事を選ぶ方法らしい。適材適所というのだとか。


 早苗さんは自分の腰くらいにもなる大きな荷物を2つも運んでいるのに、私はひとつと小さなもので精一杯だ。しかもこれを最上階まで。終わる頃にはどっと疲れが押し寄せる。

「おい大丈夫か?」

「はい…」

「お前に力仕事は無理か…。じゃあ次だ。ついてこい」

「はい…!」


 続いてやってきたのは厨房。料理を作るのだ。

 これならば活躍できる。瑠璃のために腕を磨いていたのが役に立った。

「できました」

「おお、随分手際がいいな。じゃあ盛り付けておいてくれ」

「はい」

 瑠璃に食べてもらえるように、盛り付けも常に気を配っている。それが認められたらしく、早苗さんに褒められた時は心底嬉しかった。

「早苗さん、あの盆は?」

「ひとり、病気のやつがいるんだ。そいつの部屋に持って行ってもらえるか?」

「はい」


 料理の乗った盆を持って、広い建物を歩く。時折休憩中の妓女さんたちにすれ違い、みんな綺麗だなと見惚れてしまう。

 その病気の子がいるのは、1番端の、人が最も少ないところだった。


「失礼します…」


 襖を開けて、思わず絶句した。

 暗く澱んだ空気に窓は閉め切られ、薄い布団に痩せこけた人が寝ている。

「…ひどい」

 しかも確認してみれば、私の持っている盆に並んだ料理も酷いものだ。病人に肉や魚が食べられるわけがない。


「ありがとう。そこに置いておいてくれる?」

「…嫌です」

「え?」


「私、もっと良い食事を持ってきます!」

 浮かれている場合じゃない。目を覚ませ。

 厨房へ急いで戻ると早苗さんがいて、お願いして料理を作らせてもらえることになった。

 できるだけ、消化の良いものを。杏が病気になった時もこうやって作った記憶がある。


「お待たせしました。ゆっくり食べてください」

 作ったのは簡単なお粥だ。けど病人が食べられるものでもある。

 窓を開けて換気をし、布団を交換する。お粥を食べ終われば身体を拭き、水で絞った布巾を額に乗せる。

「…あなた、名前は?」

「菖蒲と言います」

「…ありがとう、菖蒲」

「当然のことをしたまでです。さあ、あとはしっかり寝て、元気になりましょう」

「…ええ」

 瞳に、微かに光が灯った。

 さっきから私は、褒められたり感謝されたりしている。こんな能無しな私のことを褒めるだなんて、みんな優しいんだ。

 早苗さんを見つけると、今日はもう上がっていいと言われた。

 そう、現在時刻は4時。もう太陽が昇る時間なのだ。どうりで眠いと思った。今日はまだ寝ていない。


 女将さんにも挨拶してからそのまま外へ出る。そういえば、蒼黒が待ってくれているんだっけ。

 店の外へ出ると、明らかに只者ではない雰囲気を纏った男性が立っている。分かってはいたが、蒼黒って顔がいい。少なくとも今まで見た中では最も。

 そんな蒼黒が、小さく手を振っている。

 顔が暑くならないことは、決してないわけだ。

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