侯爵家を追い出された私は、用意された馬車で王都の外れに向かっていた。目的地は、元侍女のアマリアが手配してくれた小さな住居だ。彼女は私が侯爵家に仕えていたころからの忠実な従者であり、私が家族に追い詰められるのを見かねて助けを申し出てくれたのだ。
「アルシェナール様、到着いたしました。」
御者の声に促され、私は馬車から降り立った。目の前にあるのは、王都の喧騒から離れた静かな地区にある質素な一軒家だった。侯爵家の豪華な屋敷とは比べ物にならないが、今の私には十分だった。
「これが……私の新しい家ね。」
玄関の扉を開けると、簡素な家具と最低限の生活用品だけが並ぶ室内が目に入る。高価な絵画や豪華なシャンデリアに囲まれていた日々とは正反対の風景に、一瞬、違和感を覚えたが、それはすぐに心地よさへと変わった。これが私の人生の新しいスタートなのだ。
「広くはないけれど、悪くないわ。」
自分にそう言い聞かせながら荷物を運び込み、少しずつ部屋を整えていく。侯爵家では何一つ自分でやる必要がなかったが、こうして手を動かすことで、不思議と心が落ち着いていくのを感じた。
---
荷物を整理し終える頃には、外はすっかり暗くなっていた。ふと窓から外を眺めると、静かな街並みの向こうに輝く王都の灯りが見えた。そこには、私が今まで生きてきた世界がある。しかし、今の私はその外側にいる。疎外感というよりは、むしろ安堵感に近いものがあった。
「これでいいのよ……これからは自分の力で生きていくんだから。」
そう自分に言い聞かせながら、私はテーブルに置いた小さな袋を開けた。袋の中には、侍女のアマリアが用意してくれた生活費が入っている。決して多くはないが、しばらくの間はこれでやりくりできるだろう。
「まずは仕事を見つけないとね。」
貴族としての立場を失った以上、私には自分の力で生活費を稼ぐ必要がある。これまでの生活では考えられなかったことだが、だからこそ挑戦のしがいがあるとも思えた。
---
翌朝、私は近くの市場へと向かった。早朝から多くの人々が集まり、活気に溢れている。露店には新鮮な野菜や果物、布地や小物などが所狭しと並び、賑やかな声が飛び交っていた。
市場を歩きながら、私は自分に何ができるのかを考えていた。侯爵家での経験を振り返ると、私が誇れるものは裁縫や薬草学の知識くらいだ。特に薬草学については幼少期に家庭教師から徹底的に教わり、貴族の中でもかなりの知識を持っている自信があった。
「これを活かせないかしら……。」
ふと目に留まったのは、小さな薬屋の店先だった。簡素な店構えだが、並べられた薬草や軟膏の瓶から、店主の丁寧な仕事ぶりが伝わってくる。私は意を決して店に入った。
「いらっしゃいませ。今日は何をお探しですか?」
声をかけてきたのは、年配の女性だった。彼女の手は労働で少し荒れていたが、優しい笑顔が印象的だった。
「薬草を使った仕事を探しているのですが……何かお手伝いできることはありませんか?」
女性は少し驚いた様子だったが、私の話を真剣に聞いてくれた。そして試しに、といくつかの薬草を見せながら、それがどんな効果を持つかを尋ねてきた。
「これは炎症を抑える効果がありますね。ただ、乾燥させすぎると効果が薄れるので注意が必要です。」
「こちらは胃腸の不調に効きます。ただし過剰摂取は毒になることも……。」
一つ一つ丁寧に答える私に、彼女は感心した様子で頷いた。
「あなた、なかなか詳しいのね。それに、扱いがとても丁寧だわ。」
「ありがとうございます。薬草には昔から興味があったんです。」
そう言うと、彼女は私に微笑みかけた。
「それなら、しばらくここで手伝ってみない?薬草の調合や、商品の管理をお願いしたいんだけど。」
「本当ですか?ぜひお願いします!」
こうして私は、初めての仕事を手に入れた。薬草の知識が役に立ち、何か新しい道が開ける気がした。店主の優しい指導の下、私は少しずつ仕事に慣れていった。
---
仕事を終えて店を出る頃には、夕焼けが空を染めていた。市場の喧騒が少しずつ静まり返る中、私は充実感と共に小さな笑みを浮かべた。
「悪くないわね、こういう生活も。」
自由になった私は、自分の力で新しい道を切り開き始めた。侯爵家での日々に縛られていた頃とは違う、自分の人生を歩んでいる実感があった。
「婚約破棄された令嬢ですが、何か?」
そう呟く私の足取りは軽く、未来への希望に満ちていた。
--