薬草店での生活にもすっかり慣れた頃、思いがけない変化が訪れた。市場の人々や店を訪れる客たちの間で、いつの間にか私の評判が広まり始めたのだ。
「マリーヌさんの店にいる新しい子、すごく薬草に詳しいんだって?」
「そうそう。おかげで家族の病気も良くなったんだ。」
市場を歩くたびにそんな話を耳にするようになった。私は知らないうちに注目を浴びる存在になっていたのだ。
その日の午前中、いつも通り店で薬草の仕分けをしていると、一人の客が訪れた。落ち着いた服装の中年女性で、どこか品のある雰囲気を纏っている。
「こちらが薬草の相談に乗ってくれるという噂の方かしら?」
「ええ、そうですが……。」
私は丁寧に頭を下げながら応えた。すると彼女は優しく微笑み、机の上に一冊のメモ帳を置いた。
「実は、主人が体調を崩していてね。いろんな医者に診せたけれど良くならなくて……。もし何か手助けできることがあればと思って。」
私は彼女の話を聞きながら、メモ帳をめくった。そこには症状が詳細に記されており、きちんと整理された記録から、家族の必死な思いが伝わってくる。
「なるほど……。おそらく胃腸の調子が悪いのでしょうね。この薬草を煎じて飲ませれば、症状が和らぐはずです。」
私は棚からいくつかの薬草を取り出し、調合方法を説明しながら手渡した。彼女は感謝の言葉を何度も繰り返し、深々と頭を下げて店を去っていった。
「アル、本当にすごいわね。」
隣でそのやり取りを見ていたマリーヌ夫人が、感心したように呟く。
「あなたが来てから、店の評判がどんどん良くなっているわ。」
私の顔にも自然と笑みが浮かんだ。仕事が認められることはやはり嬉しい。これまでの貴族生活では味わえなかった充実感が、今の生活には確かにあった。
しかし、その噂は市場や町の中だけに留まらなかった。いつの間にか王都の貴族たちの間でも広まり、ある日、思わぬ人物が店を訪ねてきた。
その人物――上品なドレスを纏った若い女性は、明らかに上流階級の人間だった。彼女は扇を手に持ち、どこか探るような目で店内を見回している。
「こちらが、噂の薬草使いがいる店かしら?」
「はい、私がその者です。」
私が一歩前に出ると、彼女は興味深そうに私を見つめた。
「聞いていた通り、貴族のような立ち居振る舞いね。あなた、本当に元貴族かしら?」
その言葉に、一瞬心臓が跳ねる。噂が広まるにつれて、私の素性が話題に上るのは避けられないことだと思っていたが、いざそれを目の当たりにすると少し緊張する。
「それが何か問題でしょうか?」
「いいえ、ただの興味よ。それより、この薬草を調合してくれるかしら?」
彼女が差し出したのは、高価そうな瓶に入った乾燥薬草だった。一目で良質のものだと分かったが、それ以上に、これほどのものを持ち込む彼女の背景が気になった。
「もちろんですが、どなたからご紹介を受けたのですか?」
「ふふ、貴族の間で評判なのよ。『侯爵家を追い出された令嬢が、薬草使いとして成功している』って。」
彼女の言葉は挑発的で、私を試しているようだった。それでも私は冷静に微笑みながら答える。
「評判が良いのは嬉しいことですね。どなたであっても、求められる仕事を全力で行うだけです。」
その態度が気に入ったのか、彼女は満足げに微笑んで言った。
「その姿勢、嫌いじゃないわ。また頼むことにするわね。」
そう言って彼女は去っていった。
その夜、私は一日の出来事を振り返りながらため息をついた。市場から始まった噂は、すでに私の知らないところで一人歩きを始めている。貴族社会の中で注目を集めるということは、喜ばしいだけではない。新たな問題や敵意を呼び込む可能性もあった。
「でも……この道を選んだのは私なんだから。」
過去に囚われるのではなく、今できることを全力でやる。それが、私が決めた生き方だ。どれだけ多くの人が私を評価しようと、あるいは貶めようと、私は私の道を進む。
星のない夜空を見上げながら、私は心の中で小さく誓った。
「婚約破棄された令嬢ですが、何か?」
この新しい人生は、誰にも邪魔させない――。