轟音だった。
地面に伏せている俺たちの頭上を今まで一度も想像したことのないほどの勢いで炎が通っていく。
背中が熱い。
パーカーの生地が、じりじりと焦げていく臭いがした。
俺は腕の中のミラリスを強く強く抱きしめる。
こんな小さい子、絶対に守ってやらなくちゃいけない。
炎は、木造でできた大きな屋敷を一瞬で燃え上がらせた。
黒煙が上がる。
「逃げろー! 逃げろー! 魔王軍の襲来だー!」
知らない男の叫び声。
「きゃーーーー! 助けてーーー! きゃーーー!!」
耳をつんざくような女性の悲鳴が何度も響く。
ちらっと屋敷の方を見る。
もはや燃え盛る炎の塊にしか見えない。
くそ、全速力で走ったつもりだけど、まだ近い。
俺はミラリスを抱いたまま、片手で地面を這ってなるべく遠ざかろうとする。
こんな大きな屋敷だもんな、中では多くの使用人がいたはずだ。
その人たちはなすすべもなく焼け死んだだろう、と確信できるほどの火の勢いだった。
なんだこれ、トラックに轢かれた俺は今頃病院のICUで夢でも見ているんじゃないか?
しかし、腕の中のミラリスの体温と、せまりくる熱波が、これは現実なんだと俺に容赦なく知らせてくる。
そうだ。
シュリアは?
シュリアや、ガルニや、そしてココは?
いや、それよりまず。
俺はミラリスに声をかける。
「おい、ミラリス、大丈夫か? 怪我していないか?」
「怖い……怖いよ……助けて……」
「怪我は? どこかやけどしてないか?」
「ほっぺたが痛い……」
見ると、ミラリスの頬にはけっこうな擦り傷があって血が流れ出ていた。
顔か、女の子なのに。
いやしかし、この状況で生き残っただけでも幸運だ。
と、そこに、ココがやはり地面に腹ばいになった状態で這いずってきた。
「救世主様……ご無事ですか……?」
「ああ、俺も、この子も無事だ。お前も大丈夫だったんだな、よかった」
「ありがとうございます……」
「だが、あれはなんだ?」
「魔王軍の襲撃……かも……。あの四枚の翼……あれはダークドラゴン……魔王軍の、爆撃担当の飛竜でございます……。救世主様……私たちはいいから、救世主様だけでも逃げてください……」
こいつも俺のことを救世主だと思い込んでるから徹底してるな。
さらっと『私たち』って言ったぞ。
子どものミラリスよりも救世主のほうが大切らしい。
いやしかし、ここはなんという世界だ。
せっかくの異世界転生なら、もう少し、こう、便利な固有スキルをもらってスローライフと洒落込みたかったぜ。
だが。
こんな小中学生くらいの女の子たちを放って逃げるわけがない!
俺の心は逆に燃え上がった。
絶対に、みんなで生き延びてやる。
そうは言っても、今からどういう行動をとればミラリスとココを守れるか?
女の子たちを守りきれなければ意味がない。
空を飛ぶ四枚羽のダークドラゴンは、次に屋敷の近くの集落に向かって火炎を吐き出し始めた。
くそ、女神様、新たな能力をくれるみたいなこと言っていたけど、まさか頭上にステータスが見えるだけの能力じゃねえだろうな!?
ほかになんかいい能力ないのか?
シュリアと、それにガルニは?
あたりを見回す。
屋敷はまだ燃えている。
地面のような可燃物のないところでも延々と炎が燃えていた。
あのドラゴン、ただ火を吐くだけじゃなく、そのブレスの中には焼夷弾みたいに可燃性のなにかが混じっているようだ。
世話係が馬を助けるために解き放したのだろう、何頭かの馬が興奮したようにあたりをいななきながら走り回っている。
あちこちで悲鳴が聞こえ、人々が逃げ惑っている。
みな、水を求めて湖のある方向へと向かっているようだ。
と、そこに金切り声のようなものが聞こえてきた。
「ミラリス! ミラリスー! ミラリス!」
「ミラリス様! おられませぬか! ミラリス様ー!」
シュリアとガルニが叫びながらあたりを捜索している。
俺はドラゴンが燃えている屋敷を挟んで反対の方向で火を吹いているのを確認してから、立ち上がって手を振った。
「おーい! ここだ! ここだぞー!」
「ミラリス!」
シュリアがかけよってくる。
上等な生地でつくられたその衣服も、今は焼け焦げている上に泥だらけだ。
「よかった! ミラリス、無事で!」
シュリアがミラリスを抱きしめた。
その顔は涙でぐちゃぐちゃだ。
「姫様、あれを……」
ガルニが指差す方向を見ると、ドラゴンが四枚の翼を羽ばたかせて、ゆっくりと麦畑の上を旋回しながら、畑を焼いていく。
「収穫の時期だったのに……作物まで」
ガルニが唇を震わせながら言う。
「とにかく、皆の無事を……。畑はまた耕せるわ」
涙声でシュリアは自分に言い聞かせるように言った。
ガルニはそれに頷く。
「姫様の言うとおりですな……。しかし、被害は大きそうです。……私の家族も無事ならいいが……。まさか戦線から離れたこんな場所まで魔王軍の攻撃が来るとは……。おそらく、後方の農村を焼くことで、我が王国の力を削ごうという魔王の作戦でしょう」
「そんな……。どうしたらいいの、お父様もお母様も留守にしているこのときに……」
ミラリスを抱きしめながら、シュリアはさらに涙を流す。
「とにかく皆、湖のほとりに集まり始めています。姫様、今は姫様が領主の代行なのですから、皆を団結させ、安心させるためにも……」
その時だった。
畑を焼いて回っていたダークドラゴンが、ゆっくりとこちらへと向かってきた。
俺たちに気づいたのだろう。
やつは俺たちを焼き殺し、そして次は集まった村民たちも殺すつもりだ。
あんなとんでもないモンスター相手に、いったいどうしたらいいんだ?
絶望しかなかったが、女神が与えてくれたという、俺の『新しい能力』が真に発揮されるのはここからだった。