構文戦の余波は図書館の深部にまで届いていた。
翔太が記述した言葉の力は沈黙の層を裂き、書架の底を穿った。
その下には何もないと、かつて誰が記した。
だが、翔太は見た。
書架の底に広がる、無数の白い頁の海を。
それは「未記述領域」。
語られなかった物語たちが眠る場所。
記されることなく、忘れ去られた可能性の墓所。
エノクもかつて、ここに降りたことがあるという。
だが、彼はこう言った。
「私は書きすぎた。」
「ここに触れてしまえば語らぬことの価値を理解してしまう。」
「それが私を黙らせた。」
翔太は足を踏み入れた。
そこには言葉にすることのできないような声なき語りの渦が巻いていた。
空間に浮かぶ無数の頁。
そこにはこう書かれていた。
「もし、この少年に名前を与えなかったら」
「もし、この旅を始めなかったら」
「もし、この終末が書かれなかったら」
一つ一つが選ばれなかった可能性の影。
未記述であること。
それはすなわち、まだ可能性として存在していること。
そして彼は見つけた。
白紙の一冊。そこには自分の名前が表紙に刻まれていた。
『ハル/記述されなかった人生』
開くと真っ白な頁が続いていた。
けれどその奥底で、微かな筆跡が浮かび上がる。
「もし、君が語ることを恐れていたら。」
「もし、君が語られることを望んでいたら。」
「君は誰の物語だったんだろう。」
そして、彼はもう一つの自己ーー
かつて語られず、沈黙に埋もれた少年の微かな声だった。
「僕は……語られるのを、待ってたのか……?」
そのとき、周りの空間が問いかけてきた。
《最終試練》
語る者よ、今一度問う。
“何を記すか”ではなく、“何を記さぬか”を決めよ。
記されざる頁を一つ選び、それを封じよ。
その物語は、永遠に語られない。
翔太は目を閉じた。そこには様々な可能性があった。
・かつて書きかけて捨てた、家族との物語
・ありえたはずの友人との出会い
・語れば救えたかもしれない“誰か”
選ぶということは、それ以外のものを全て切り捨てるということ。
そして、選ばないことをは誰かをこの世界から消してしまうことでもある。
だがーー
「僕は書かない。この一つを残す。
“語られなかったままでいてほしい記憶”がここにあるから」
彼は一冊を手に取ると、そっとそれを閉じ、白い海へと戻した。そして静かにこう記す。
「これは語られなかった一つの物語である。
けれど、それでも、確かにここにあった。」
そのとき、沈黙の海がほんの少しだけ光を帯びる。
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あとがき
どうもSEVENRIGHTです。
次回は最終話です。お楽しみに
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