宿屋のような建物の前で少女は立ち止まった。ちょうど戸が開き、太った中年女性が買い物かごを持って出てきた。
「あれ、ジーニアどうしたの? 森に魔石を取りに行ったんじゃなかったの?」
「あ、おばさん。ちょうどよかった。猫ちゃんが捨てられていて。けがをしてるみたいなの」
そう言って少女はボクを女性に見せた。
「どれどれ」
女性はそう言って、ボクをまじまじと見詰めた。
「まだ子猫だね。弱ってるみたいだけど、ヒールはかけたの?」
「ええ、でも私の魔法ではぜんぜん足りないみたいで」
「ああ、そうなのね。でも、治したとしてもこの子どうするの? 飼うの?」
「それは……わからないけど、ほっておけないでしょ」
「うーん。まあ、これから悠久の時を生きるあなたにとって、15年そこらの猫の寿命は一瞬かもしれないけどね」
ああ、そうか。ここでも猫の寿命は15年ぐらいなんだ。そう思ったが、この状態ではそこまでだって生きられそうもない。
「そんなこと考えてる余裕はないわ。おばさん、この辺に動物専門の治癒師はいない?」
「あ、ああ、そうね。この通りを真っすぐ西に行った町はずれに、ちょっと変人だけど、腕のいい動物の治癒師がいたね。ただ、家畜専門だったと思うけど」
「ありがとう、おばさん。行ってみる。ブルームスティック!」
少女がそう言うと、空飛ぶほうきがどこからか飛んできた。
「ソア!」
少女がほうきにまたがってそう叫ぶと、ボクを左手で抱えたまま急上昇し、西へ向かって猛スピードで飛び始めた。
「ニャアアアアアアア」
ボクは恐怖と驚きの鳴き声を上げたが、風音にかき消された。下に見える町の外の大地はどこまでも続いている。近くに海はなさそうだ。川もなく、黒い筋が幾本もあるのは大地の割れ目だろうか。異世界であることは間違いなさそうだ。
「あそこね」
ほうきに乗ったボクらは急降下し、地上近くで浮いたまま停止した。
「どうぶつびょういん」
建物の看板にはおそらくそう書いてある。あれ? なぜこの世界の文字が読めるのだろう。
トントン。
少女は入り口にしつらえられた古風なドアノッカーを叩いた。鈍い金属音が響いたが、誰も出てくる気配はない。少女がドアを開けようとしたが、鍵が閉まっているようだ。
「困ったな。不在なのかな」
「誰だ」
ドアノッカーからぶっきらぼうな男の声がした。
「ああ、よかった、ドアに通話魔法がかけてあったのね。あの、けがをしている猫がいて……診てもらえませんでしょうか」
「俺は家畜専門なのだが」
男の声はさらに不機嫌そうになった。
「それは聞いていますが、ほかに頼れる人もいなくて」
「今、街の外の牧場に来ているんだ」
「ああ、そこをなんとかしていただけませんでしょうか」
「君は何者だ」
「あ、ああ失礼しました。私はエルフのジーニアと言います」
ああ、やっぱりエルフだったんだ。ボクは異世界に来てしまったことを確信した。
「エルフの魔法使いか。それなら自分で治癒魔法をかければいいではないか」
「いえ、それがその、かけたのですが……なにぶん修業中の身で……」
「死にそうなのか?」
「わかりません。でも、けががひどくて……」
「それなら君が治癒魔法をかけ続けろ。俺はまだ半日ぐらいは戻れない。牧場で牛のお産を診ているからな」
「あ……ああ、はい。お待ちしております」
少女はそう言うと、ボクを抱えたままドアの前にへたり込んだ。