部屋に戻ったアリアは、扉を閉めてため息を吐き、白銀の鎧を脱いだ。
「お母様ったらミレーヌを呼び出したりして…お説教でもしていないといいんだけれど…」
そう呟くと、
今日は大変な一日だった。自分の事をよく反省しないといけない。
昔…あんなに良くしてくれたヴェイルに斬り付けてしまった。
「…ヴェイル…兄様…」
アリアは小さい頃を思い出していた。
物心付いた時には、トラフェリアの王女としての教育を受けていた。
国の歴史、世界の歴史、自分達の起源、国々の関係などを先生が付いて幼い自分にも分かり易く教えてくれていた事を覚えている。
勉強を終えた後、後々自分の侍女となる一つ年上のミレーヌと遊ぶ事がとても楽しかった。
彼女の事は今でも本当の姉の様に想っている。
7歳の歳を迎えたある日。
その日もアリアはいつもの様にミレーヌと共にいた。
部屋で二人で、王宮の裁縫士に作って貰った人形で遊んでいた時の事だった。
「アリア様、お目々が赤いですよ…?」
ミレーヌが自分を不思議そうに見た。
どういう事か分からずに、側にいたお守り役の侍女に鏡を見せて貰おうと思った時、突然バン!と全ての窓ガラスが外に向かって割れた。
侍女達が悲鳴を上げて部屋から出て行った。ミレーヌも驚いて見ている。
何が何だか分からなかったが、いきなり自分の中の何かが弾けた様な感覚がした。
両手を見ると、黒い煙が掌から湧き上がり、竜巻の様に身体を覆い出したのだ。
そして、体の底から言い様のない気持ちが湧いて来た。胸も悪くなって来ていた。
「アリア様!」
ミレーヌが抱き付いて来る。
彼女の身体が少し光ったように見え、蒼黒だった髪が金髪に変わっていった。
…ミレーヌ…髪…が
なんだかボンヤリとして、少しは気分が良くなって来た。しかし彼女は暫くすると髪の色が元に戻って、ばたりと倒れ込んでしまう。
「ミレーヌ!」
開いたままの部屋の扉から母、ハウエリアが飛び込んで来てミレーヌを抱き抱えた。
だが気を失ったのか反応がない。
「…お母…様…?」
―何故私ではなく、ミレーヌを見たの…?
そう思った時、母が振り返った。
その顔に一瞬浮かんだ戸惑いと恐怖の色は今でも忘れられない。
黒い煙はもう治っていたが、母は自分の目がまだ赤い事に気が付いてハッとして、後から急いで着いてきた侍女にミレーヌを任せ、そっと抱き締めてくれた。
温かな魔法に包まれて、その時は気を失ってしまった。
それから何度か同じ様な発作を起こしてしまい、周囲が途方に暮れていた頃、自分より少し歳上の男の子が静かで上品な女性を伴って王宮を訪れて来た。
目鼻立ちが整った可愛らしい顔のその少年の右眼の下には、高貴な一族の紋章が小さく浮かび上がっていた。
彼は王宮に暫く滞在して、ミレーヌと共に一緒に遊んでくれた。
男の子だからか活発で、木登りをしたり小川から魚が飛び上がるのを捕まえようとしたり、自分を前に乗せた
どんな遊びにでも難なく着いてくる自分達の事を、お姫様なのに面白いと言って褒めてくれた。
彼の事は『ヴェイル兄様』と呼んでいた。
ヴェイルは遊んだ後、必ず一緒に王宮の庭に戻って別れを告げた。
その時に彼の手でいつも自分の両手を掬い上げて『お祈り』をしてくれた。
その度に以前に見えた黒い煙が立ち上るのだが、それは自分に巻き付くのではなく彼に巻き付いた。
暫くうねる様に身体を包み込み、すっと消えて行く。
煙が消えると、彼は『…おやすみ、アリア』と言ってニッコリと微笑んでくれるのだった。
数日ヴェイルと遊んだある日、いつもの様にお祈りをして貰ったら、彼がミレーヌの時の様に気を失って倒れそうになった。
あっと思った瞬間、例の静かな女性が目の前に現れて彼を抱き留めた。
「…姫様、この子は大丈夫です。けれども…申し訳ありません、医局に床を用意してやって貰えませんか?」
急いで用意した部屋に寝かされたヴェイルは、2日程高い熱を出して寝込み、自分はミレーヌと一緒に扉からそっと覗く事しか出来なかった。
女性は片時も離れずに看病をしていた。
あの人はきっと彼のお母様なのだろうと思った。
ヴェイルがそんな状態になるのは自分のせいだと分かっていた。
だから彼が元気になってからは『お祈り』を拒む様になった。
けれどもいつも大丈夫だからと優しく手を差し出してくれる。
それからも何度か熱を出して寝込んでいたのに、具合が良くなったら数日お祈りが出来なかった事を謝りながら手を握ってくれるのだ。
―いつしか発作は出なくなった。
アリアはもうヴェイルを苦しめる事はないと嬉しく思った。
彼が再会の約束をして、女性と共にこの国から去って行った事はこの上なく淋しかったのだが…
それが…あんな形での再会になるなんて…
アリアの心は、後悔で酷く揺れていた。