【前回までのあらすじ】
闇竜の襲撃事件には何者かの意図的な操縦の可能性がある事が浮上し、実際に闇竜が現れ住民を食い荒らしてしまう。
敵を倒した彼らだが、アリアには自分にだけ闇竜の声が聞こえてしまうという異常事態が起きていた。
その闇竜を操っていた『ウーヴル』の生き残りが、同じくウーヴルであるアリアの存在に気付いてしまう。
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トラフェリア城の上に白く光る双子の月が浮かんでいる。
尖塔の屋根の上にいつの間にか、その光を背に受けた人物のシルエットが現れていた。
「ユガの言った通りだな。この国は俺達妖魔力を持ったウーヴルの干渉魔法には一切反応がない。こんなに侵入が容易だとは」
その人物——ウーヴルのネガリダは怪しく笑い、右手の平を上に上げた。
「ウーヴルの娘を探すのも簡単だったな。もう用はない。……伸びろ」
彼はグッと手を握った。
——リュークの背中に仕込んだ根が、ひくりと動いた。
鎧を外して着替えたアリアは、城のロビーに向かって屋根付きの廊下を早足に歩いていた。
後ろを慌てた様子のミレーヌが続く。
「アリア様、ヴェイル様は多分あなたに怒ってらしたのではないのですよ?」
「でも、城に帰って来るまでも一言もお話しされなかったわ。私の勇者としての振る舞いがいけなかったのよ」
「ですからそれは……アリア様は怖がっておられましたし、
その時、対面の廊下を歩いて来るヴェイルとリュークが目に留まった。
「ヴェイル兄様」
アリアの声にヴェイルが気付く。
しかし彼女がそちらに向かおうとした時、急にリュークが苦しみ出したのだ。
「⁈……く……」
脚元が大きくふらつく。
「リューク?」
ヴェイルが驚いて彼を支える。
「リューク様?!」
アリアとミレーヌも急いで駆け寄る。
「ぐ……なん……だ?」
「あ!」
軽武装の隙間に見える首筋を登るように、黒い根のようなものがジワリと侵食して行くのが見えた。
「リューク様!え⁈キ、キャアァ!」
「うぐわあぁ!!」
「ああぁ!」
今度は城にいる者全員が口々に悲鳴を上げ、頭を抑えて苦しみ出した。
尖塔にいるネガリダから、城を覆う程の広範囲に妖魔力の波動が放たれていた。
「ふ。妖魔力には光も闇も、どちらの魔法防御も効かないからな……」
周りの者が気絶しバタバタと倒れて行く。
リュークも身体に張り出した根の痛みと妖魔力で、意識を失ってしまう。
「リューク!」
ヴェイルが彼の名を叫んだ。
そこへネガリダが音もなく飛び降り、アリアを攫って飛び上がって行った。
彼は長い屋根の棟をアリアを抱えて走って行く。
彼女はすっかり気を失って脱力し、長い髪を揺らしながらなす術もなく脇に抱え込まれている。
「こいつがウーヴルの……」
横目でアリアを見た瞬間、ネガリダは背中にゾクリとした気配を感じた。
走りながら振り返る。
「ひ…!」
視界の中に、黄金の瞳を光らせ目尻に蒼い炎を纏ったヴェイルが、神速で音もなく駆け寄って来るのが見えた。
彼は右肩を前に突っ込んで来ると左脚で踏み込み体をひねった反動で、サーベルを左下から右上へやや弧を描きながら鋭く駆け上げた。
刃はアリアをかすめず、正確に敵の首元を断ち切る。
ヴェイルはその体勢ですぐさま右脚を折りながらサーベルを自分の後ろに突き立て、腰を沈めてそのまま摺り足で踏み出した。
その素早い動きは、頭を失くしたネガリダの身体の脇から崩れ落ちそうな彼女をその両腕でしっかりと抱き留めさせた。
賊の身体は足元へ頽れて屋根の傾斜を滑って行く。
彼はバランスを崩さない様、左手でアリアの細い肩と、右腕で太腿を支えてそっと抱き直した。
極度の集中力を発揮した際に現れる目尻の小さな蒼い炎は、もう消えていた。
まだ気を失っている彼女の無防備な顔が腕の中に収まっている。安定した微かな呼吸音に胸を撫で下ろす思いだった。
——賊に乱暴に触れられた感触が残らないといいのだが……彼は願った。
ヴェイルは屋根の軒先に引っ掛かって落ちずに横たわるネガリダの遺体に向けて言う。
「……悪いな。小さい頃にこの子から妖魔力を嫌と言う程吸わされた俺には、お前の術は効かなかったんだよ」
彼はアリアを抱き抱えたままの右手先でサーベルを抜くと、アタリを付けて地面に放り投げ、まるで人など抱えていないかの様な身軽さで屋根から飛び降りた。
廊下に戻ってみると皆はまだ気絶している。
ヴェイルはアリアを手ごろなソファーに寝かせた。
皆と同じ様に床に倒れているミレーヌも抱き上げ、近くのソファーに寝かせる。
次にサーベルを拾って血と土とを丁寧に拭いた。
そしてまだ倒れているリュークの側に行った。
微動だにしない彼の首には、少ししか見えていなかった根がうねうねと成長して頭を目指して行く様子が見られる。
「思っていたより状況が悪いな。術者が死んでも止まらないとは。この根自体が生きているのか」
ヴェイルは少し考えたが、
ドクドクと血が流れ出して彼の首元を濡らして行く。
「おい、起きろリューク」
リュークは身体を揺すられて目を覚ました。
目の前になんとも言えない表情のヴェイルが見えた。
「え?どうした?」
驚いて上半身を起こす。
そして自分の首元から下がぐっしょりと血で濡れている事に気付いて慌てる。
「血?!俺の?……いや、違うか」
ヴェイルが言う。
「安心しろ俺の血だ。後で洗っておけ。そして念の為にシャワー浴びて着替えたら医局に行ってこい」
見ると彼も血だらけの左腕をしている。ビクリとしてリュークが聞く。
「その傷……自分で切ったのか?……敵は?」
「倒した。今は屋根の上に転がってる……後で回収しに行く……」
ヴェイルが目を伏せて言う。
更にリュークはすぐ横に出来た血溜まりに気付いた。
その中にはうねうねと動いているオズアンの根の塊があった。
「うわっ何だこれはっ」
あまりの不気味さに動転する。
「……お前の身体に植え付けられていた。矢の先に仕込んであったんだろう。しくじったな」
ヴェイルも引き気味に答えた。
「でも……どうやって……」
「こいつはより強い魔力を好む。だから魔力を込めた俺の血で外に誘い出した」
「お前いつも力技なんだよ……やり方怖いんだけど……後、情報量多すぎる」
リュークが根の塊から目を逸せ気味にして言う。
「もういいか?」
ヴェイルがうんざりした顔で言った。彼にしても気持ちが悪いようだ。
「あ、ああ……助かった」
「……
つまらなさそうにヴェイルが詠唱すると、オズアンの根は血と共に霧消した。
城の人々がやっと目を覚まし始め、空白の時間の理由をヴェイルに問い始めた。