ヴェイルは
「……よし」
一言言って顔を上げる。
その顔面は自らに再び掛けた認識阻害魔法により右目の下の王族の紋章が消え、ミレーヌと同じ長い金髪で碧い瞳となった。そして立ち上がり、右手を横に真っ直ぐ上げ、闇属性魔法を使い転移魔法陣を描き出した。そのままナザガランの方角の適当な位置に座標を送り、魔法陣を転送する。
そして部屋の扉を開けて、距離を取っていたシュダークの側近数人の所に駆け寄った。
精一杯の悲壮感を漂わせて怯えた様子で訴える。声も僅かながら高めにする事に気を付けた。
「た、大変です、シュダーク様がわたくしの目の前で暗殺されてしまいました!」
「ミレーヌ様、それはどう言う事なのですか?」
突然蒼い顔をして駆け付けた麗しの姫の様子に、側近達は戸惑った。
「わ、わたくし、シュダーク様に乱暴を受けていたのです。押し倒されて両腕を押さえ付けられて……」
ヴェイルはレースのグローブを捲り、実際にシュダークに掴まれて赤くなった肌を見せた。
「ええ?王め、やはりそんな事を……」
「そこに急に魔王ヴェイル様が現れて、わたくしを救ってくださったのです。そして目の前でシュダーク様を瞬時に霧の様にお散らしになったのです!」
「魔王ヴェイル=ヴォルクリアが?彼は亡くなったのでは……」
「でも……でも確かにヴェイル様で『この世に舞い戻って来たんだよ[お前を殺す]と言う用事があってな』と仰って突然拳で術を……」
側近はにわかには信じられないと言う顔をした。
とにかく部屋に行こうと言う事になり、彼を伴って術師がシュダークの部屋に入った。
「……確かに闇属性の転移魔法を使った跡がある……魔王ヴェイルがここに現れ、また転移魔法で去ったのですね?あなたには何かしませんでしたか?」
「はい、何も」
「彼はどうして……去り際に何か言っていませんでしたか?」
「『シュダークは倒した。コイツが大樹ユガドの元に埋めたハーフハイエルフ達の胸の中の種も霧散した。もう大丈夫だから人質を取られている者達に伝えるがいい』と……その様に申しておりました」
ヴェイルは顔の前で長く細い指を組んで訴えた。その瞳が段々潤んで来ている。
―—俺は今、一体何をしているんだろう……俺って確か魔王だよな……
そんな思いが自然とその状態を作り出したのだが、側近達には恐ろしい場面を目撃した悲劇の姫に見えている様だった。
「ミレーヌ様、さぞや恐ろしかった事でしょう。でももう大丈夫です。私達が付いています」
「シュダークは悪王でした。早速大樹ユガドの元に行き、詳細を調べます」
側近は口々に優しくそう言い、ヴェイルをそっとエスコートする者、事実を確認する為に走る者、姫を落ち着かせる為に侍女を呼ぶ者に別れて去って行った。
『トラフェリア国のミレーヌ王女』の言った通り、ユガドの下の棺に入れられて眠らされていた全ての娘は、呪縛を解かれて目を覚ました。
「後は……ユガドの樹の排除、か……」
城の内部の騒ぎに乗じて、侍女達を巻き物陰に隠れたヴェイルは呟き、密かにいつもの自分の黒銀の鎧を転送しようとした。
「?!」
しかし闇属性の魔法陣で呼び寄せようとしても障壁に当たって展開されない。
「こちらから魔法陣を飛ばす事は出来たのに……くっ。これが光属性魔法の国ルガリエルか。しかし鎧がないと……」
彼は豪華な真紅のドレスに包まれている自分の身体を見下ろした。
ミレーヌに借りた物だったが、肩幅やウェストのサイズがピッタリだった事に何故か屈辱を覚えたし『……サイズのお直しは一切、全く要りませんのね……』と言った彼女の機嫌も少し悪そうだった…。
お気に入りのドレスを男に着られたからだろうか……きっとそうに違いない。
しかし今はその様な事は言っていられない。
考えた末に、彼はまたミレーヌを装ってルガリエル城内の武器庫に入り込んだ。
「トラフェリア国王女、ミレーヌ=エルナディアです!大変申し訳ありませんが、こちらで鎧とソルレットとガントレットと剣をお貸しいただけますか?!男物で結構です!ユガドの樹を破壊します!」
ルガリエルの兵達は突然の姫の依頼に喜んでしまい、頼んでもいないのに彼のドレスの上から装着可能な儀式用ながらそれなりの強度のある『
脚にも戦乙女専用の太腿まであるソルレットをいそいそと履かせてくれる…。
―—何故何もかもがまるで誂えたかの様にサイズが合うのか……彼は母譲りの華奢な自分の体格を恨めしく思ったが、なるべく心を無にして礼を言ってその場を離れた。
ユガドの樹の元から目覚めた娘達の避難が終わった。
煌々と光っていた樹は力を失った様に暗くなり、巨大な姿をそこに晒している。
「……高さ200ガルドル(約200メートル)かぁ……」
あまりにも巨大なユガドの樹を前にして、銀の鎧の戦乙女の姿をした金髪碧眼のヴェイルは立ち尽くしてしまっていた。