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第37話 眠れぬ夜に

※いつもより少し長いです。約4,700文字となります。

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 少し蒸し暑い夜だった。

 ヴェイルは寝室で悪夢にうなされていたが、やがて夢の中で叫んでしまって飛び起きた。


 よく見てしまうのはやはり、実の弟の様に可愛がっていたリュークの弟、ロイが殺された時の事だった。夢の中は事実とは異なるけれども、凄惨な状況だけはいつも同じになってしまう。


 あの時、リュークとヴェイルもロイと同じく拉致されて、目を覚ますと両手両足と魔法封じで口も塞がれていた。

 その場で恐ろしい話し合いもされていた。


 当時魔王だった父グラディスを脅かす為、一人ずつ殺そうと言う事になったらしい。

 まず狙われたのは一番年上のリューク。

 しかし、敵が無抵抗な彼を長刀を振り上げ斬り殺そうとした瞬間、なんと動けない筈のロイが力を振り絞って前に出てしまう。


 ―—結果、ロイが斬られてしまった。一番小さかった彼は即死だった。

 時が止まったかの様にゆっくりとくずおれて行ったその姿は、一生忘れる事は出来ないだろう……


 そのさまを見ていた自分の中で、何かが狂ってしまった。

 いや、何かが砕け散ったと言った方が正しかったのかも知れない。


 魔法は使えなくとも身体から生まれ付き発動してしまう霧散ディマスプリドを解放し、無我夢中で手足の枷を霧に変え口枷を外すと双剣を召喚した。

 そこから剣先に蒸発ロドン常態発動を掛け、とにかく敵を斬り伏せる。


 人を殺めたのは勿論その日が初めてだった。しかし躊躇ためらっていたらまだ動けないリュークまで殺されてしまう……それだけは避けたかった。


 双剣に触れた者が次々とミイラの様に萎れ、その内その場で骨までも砂と化してしまう。

 それは初めて人に向けてしまった絶対死を招く魔法で、自分でも本当に恐ろしかった。

 その様子を見て怯えて背を向け逃げようとする者達へも、氷霜剛剣グラディオスレイという魔法の氷で作った硬く鋭い剣を無数に放った。

 それが背後から次々と容赦なく命を貫いて行き、叫び声が辺りを覆う。


 表情がなくなりただ殺戮を続ける彼の、見開かれた瞳から一筋の涙が落ちた。


 ああ……自分は今、人間を物か何かのように大勢殺しているんだ……そんな悪魔になってしまった……

 でも……許せない……

 ……絶対に……許さない。

 その言葉だけが、心の奥で何度も何度も反響していた。


 実際その場にいた者は、赦しを請う者さえ誰一人として生かす事はしなかった。

 命乞いをするフリをしてこの場から去り、援軍を連れて来るのではないかと思うと怖かったのだ。


 常に誰かがリュークに刃を向けない様、ロイの亡骸を傷付けぬ様——防御魔法ランドアントを2人を覆うドーム状に展開させ、それを維持しながら動く。

 他方に魔力を集中しながら戦う事は容易ではなかったが、その時の集中力は尋常ではなかった。


 蒸発ロドンの発動が切れた双剣が血塗れで切れなくなったら素早く手放し、倒れた者が所有していた鞘から剣を抜いてなんとか斬り、相手が怯んだ隙にまた別の新しい双剣を召喚する。


 当時、12歳で身体がまだ小さかったヴェイルが機動力を最大限に発揮させるには、小ぶりの双剣を使うぐらいしかなかった。

 自分にはまだ重く長い剣は振り回せない。けれどもこの武器なら敵の懐に潜り込んで斬り付ける事が出来る上に、逆手に構えるとそのまま自分の前面を守る盾にもなる。

 リーチで勝る相手の斬撃も、クロスした刃で受け流せる。

 重さで勝てなくても『技術』で生き残れる確率が上がり、何よりも速く動けるという利点がある。


 3度目に召喚した双剣が血塗れになり使えなくなった頃、やっと全ての敵が動かなくなった。

 途中で枷を霧散ディマスプリドで解いてやったリュークがロイを抱き抱えていつまでも泣いている……もう、その声しか音はしない……


 程なく父グラディスとリュークの母ミシュレラ他の兵達が位置を特定して駆け込んで来た。しかし……最悪の状況に彼らは言葉を失ってしまった。

 自我も無くしてしまったかのような自分の前に、父が来て……


 そこからはもう彼の胸に埋まり激しく泣いた所までしか憶えていない。


 何故、ロイが殺される前に霧散ディマスプリドを解放しなかったのだろう。

 この力を解放するのはいけない事だと思い込んでいたから?

 自分より弱い魔力しか持たない誰かを、うっかり死なせたくはなかったから?

 でもそのせいでロイは死んだのだ。自分の判断が遅かったから……


 だからと言って……俺は……今までなんて事をして来たんだろう。


 もしかしたら、親達は―—

 俺が悔やまなくても済むように、あえて魔王の地位を与えたのかもしれない。

 それでも俺は……




「……眠れない」

 ヴェイルは思い切ってベッドから抜け出した。

 服を着替え、ベッドサイドに置いてあった果物の籠から大きな粒の露葡萄の房を持ち出し、竜用の鞍も持ってそっと中庭に出る。


 もう真夜中を過ぎている時間だが、王宮には魔導機械が全国に供給する魔力発電の灯す明かりがほんのりと灯っていた。


「来てくれ……黒竜マギシラハストライア!」

 彼は左手首に右指を当て心を込めて呼ぶ。契約している竜の紋章が皮膚内部から現れ、光った。


 暫くの後、遠くの暗い山の方から黒い影の様な竜が飛んで来て、音もなく静かにヴェイルの元に降りて来た。嬉しそうに顔を近付けてクウウクウウと囁く様に鳴く。


 この飛竜は黒竜マギシラハであり、彼にしか応じない王機竜である。名をストライアという。


 闇竜アンライト水晶竜クリスタルドラゴンのような硬い鱗ではなく、ストライアの身体は軽やかさを優先した羽毛に覆われている。全体としては漆黒に近いが、光の角度によって紫や藍、深緑などが微かに浮かび上がり、まるで夜空の中に揺れる彩雲のようだった。流線形の細身の体躯が、空を駆けるためだけに創られた存在である事を物語っている。


「久しぶり。元気だった?」

 ヴェイルの声に竜はコクコクと頷く。持って来た露葡萄を与えられると、美味しそうに食べた。


 食べ終わるのを見計らってもう一度彼が話し掛ける。

「今夜は長く飛びたいんだ。付き合ってくれるかな」

 ストライアはまた頷くと、作業がし易いようにしゃがみ込んだ。

 ヴェイルは手際良く鞍を付けると素早く跨った。

「飛べ!ストライア!」


 ストライアは軽やかに夜のナザガランを飛ぶ。

 かつて炎竜フレイムドラゴンの被害が出たが今は復旧している西の街も、ガニアの谷も、流れる様にヴェイルの視界に入り、遠ざかって行く。


 スピードは速いのに頬に当たる夜風は強くはなく、漆黒の髪を流して彼の少しだけ先が尖った長めの耳先が風を切る。

 飛竜に乗っていると、何もかもが許される様な気がする。

 ヴェイルは時々一人で飛ぶこの時間が好きだった。


 飛行ルートをカトル山脈の最高峰ウーアザーガの近くまでに絞り、そこから折り返す事にした。すると、王宮迄の途中の丘の上にある石碑の前に誰かが立っているのが見えた。


 その石碑は彼ら魔族の祖先、ダークエルフのアズサーバルを祀った鎮魂の碑だ。これまでの多くの亡くなった者を弔う気持ちで皆が祈りを捧げる場所でもある。


「こんな時間に誰だろう。……ストライア、石碑の近くまで飛んで」

 飛竜は言われた通りの道筋を辿り、石碑の近くにふわりと着陸した。


「うわっ、飛竜?……あれ、ヴェイル?」

「え?リューク?」

 石碑の前に居たのはリュークだった。

 手には小さな花束を持っている。


「どうしたんだこんな夜中に……」

 ストライアから降りて近付きながらヴェイルが言う。

「お前こそ。眠れなかったのか?」

 リュークが心配そうに聞く。


「うん……それ、供えに来たのか?」

 彼の手元に目をやりながら、改めてヴェイルが聞いた。


「ああ……オレは、今まで結構人を殺して来たからな……月に一度はここで祈る事にしている。

 皆んな酷い殺し方したけど、あの世ではちゃんと安らげてるかな……なんて思ってさ……」

 リュークが石碑の前に跪いて花束を置き、目を瞑って祈った。

 ヴェイルも同じ様に横に立ち、目を瞑る。


「それにしてもお前に見つかるとはな……」

 祈りを終えて立ち上がったリュークが照れくさそうに言った。

「ううん。時々花が供えてある事は前から知っていた。誰だろうとは思っていたけど……」


 ヴェイルは王宮で彼が密かに『副王は精密殺戮兵器』などと揶揄されていた事を思い出していた。

 大概は若き戦士への羨望と妬みから来る悪態で、実際噂の出所となった人物に注意喚起をして収めさせた。


 リュークの事は名目上は第一参謀だが、かつての魔王候補でもあった事と、実際現魔王の右腕として『副王殿下』と呼ぶ者も多いのだ。


 しかし、命令とあらば何の躊躇いもなく人を手に掛ける彼にも、この様な一面があると知れた。

 その事自体は安堵出来たのだが、同時に人目を避けて祈る程の背負い方をしているのかと気付かされてしまった。


「ああ……星が綺麗だな」

 ヴェイルの考えを知ってか知らずか、リュークが空を見上げて言う。

「……うん」

 ヴェイルも釣られて見上げる。そして彼に言った。

「リューク、一緒に俺のストライアに乗らないか?」

「え?乗っていいのか?」

 リュークが嬉しそうな顔をする。

「いいぞ。コイツは2人乗りぐらい平気なんだ。鞍がないから後ろな」


 リュークが跨った前にヴェイルが鐙をかいて乗る。

「翼の根元に凹みがあるだろう?そこに足を掛けて。俺の腰をしっかり持って」

 彼に乗り方を説明する。大きくて暖かな両手が、ヴェイルの腰を遠慮がちに包み込むように掴む。

「えーと……こう、か。なんか申し訳ない感じがする。一応お前は『陛下』な訳だし」

 リュークが恐縮しながら小さな声で言った。


「そんな遠慮をしていても、いざ飛んだら怖くて背中にしがみ付くかもな。別に構わないけど」

 ヴェイルが安全確認の為にやや振り返りながら言う。

「それは流石に……大丈夫だろう」

 言葉とは裏腹に少し自信がなさげな様子を認め、ヴェイルはフフと悪戯っぽく笑った。


「じゃあ行くぞ。飛べ、ストライア!」

 王の命令に反応した飛竜がコウ!と一声鳴いて、勢いよく空へと舞い上がった。

「えっ?!速っ……う、うわあぁっ!!」

 リュークは初めて乗る飛竜がやはり怖かったらしく、『陛下の腰』どころか背中にしっかりと抱き付いてしまった。


「うう。はあ……怖かった。けど、いい眺めだなぁ!」

 暫くしてストライアが安定飛行になって落ち着きを取り戻した彼が、上空から見る景色に歓喜の声を上げた。


「リューク。やっぱりしがみ付いた。俺の勝ち」

 ヴェイルがクスクス笑いながら言った。

「あっ、すまない。いや『勝った』ってなんだよ。初めて乗ったんだから仕方ないだろ?」

 リュークが顔を赤くして言い、彼の背中から離れて改めて腰を持った。

 ストライアがバサリバサリと羽ばたく度に上がって行き、見える山の角度が変わる。


「何処か行きたい所はあるか?何処までも飛べるぞ?」

 2人での飛行に慣れてきたヴェイルが得意そうに言う。


「じゃあ……トラフェリア王宮まで飛んでくれ」

「……え。それは……ただこっそり行って帰って来るだけだよな?」

 彼が一応確認する。


「出来ればミレーヌの部屋の窓際まで」

「お前は国家間に問題を起こしたら責任は取れるのか?」

「冗談冗談。王宮の上空を一回りしてくれよ」

 リュークが照れくさそうに笑う。


 ヴェイルも前を向いたまま、少年らしく微笑んだ。

「よし、南へ向かえ、ストライア!」


 ストライアはまた一声高く鳴くと、滑らかに旋回して南を目指した。


 ——遠くの山の間から、少しだけ朝陽が顔を覗かせて来た。


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ここまで読んでいただきありがとうございました。

次回から5話連続でまさかのヴェイル女装バトル回『戦乙女バトルマッチ』が始まります。

お楽しみに。




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