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16 家族の誓い、守るべき光

 夜の帳が、エルステリア侯爵家を深く包み込んでいた。

 風がそっと庭の花々を揺らし、屋敷の壁にかけられたランプの灯が、廊下に淡い光を落としている。


 奥の応接室に集まっていたのは、クラヴィス、アリエッタ、リート、そしてリリカ――侯爵家の家族たちだった。


 小さな少女、シオンだけが、その場にはいなかった。

 昨日の騒動のあと――すべての力を使い果たした彼女は、夜遅く、母アリエッタの腕に抱かれてそっと寝室へと運ばれていた。

 今もなお、眠り続けている。

 穏やかな寝息と、やわらかに揺れるまつげ。まるで、あの奇跡が夢だったかのように、静かな安らぎに包まれていた。

 けれど、あの光景は――忘れようにも、忘れられない。


 空を覆うように広がった光。

 歌うようにして響いた声。

 傷を負った人々の顔に、涙と笑顔が同時に浮かんだ、あの奇跡の瞬間。


 家族の誰もが、それを目にした。


 誰かが喋るでもなく、応接室には静かな緊張が流れていた。

 使いの者も侍女たちもすでに下がらせ、ここには血を分けた家族だけがいる。


 クラヴィスが、深く息を吸って口を開いた。


「……始めよう」


 その声は、低く、静かだった。

 けれど、その一言に、全員の背筋が自然と正された。


「我々がここに集まったのは、昨日起きた“あの出来事”――そして、シオンの持つ力について、家族としてどう向き合うかを決めるためだ」


 ランプの灯りが、クラヴィスの影を長く伸ばす。

 その背には、侯爵家を背負う男としての覚悟と、何より父としての苦悩があった。


 クラヴィスが目を伏せ、机の上の文書に一瞬だけ視線を落とした。


「……まず、この件については、すでに動いている。町での目撃者に関しては、領主として私の名で“混乱の鎮静”と“保護”を理由に、情報の流布を控えるよう働きかけた。噂が広がる前に、できる限り手を打ったつもりだ」


 リートが軽く目を見開いた。


「つまり……領内で、この件を封じ込める?」


 クラヴィスは静かにうなずいた。


「そうだ。だが、完全に抑えることはできないだろう。それでも、時間は稼げる。――その猶予のうちに、我々が決めねばならない。“この子の力”と、どう向き合うかを」


 アリエッタが静かにうなずく。

 彼女の手は膝の上で組まれ、指先がほんのわずかに震えていた。


「……あの子が放った光。あれは、ただの魔法ではなかったわ。あれは“祈り”だった。誰かを助けたいという、純粋な想いが形になった“歌”。」


 母の目には、娘の姿が昨日までと何ひとつ変わらぬ存在として浮かんでいた。

 けれど、昨日の出来事は、世界が彼女をどう見るかを明らかに変えてしまった。


「歌……」


「……ちゃんと、聴こえたよね。人ごみのざわめきが消えて、空気が止まったみたいだったのに……シオンの“歌”だけが、真っ直ぐ響いてきた。胸の奥に届くように」


「……ああ、確かに」


 リートが腕を組んだまま、目を伏せる。


「聴こえた……でも、それだけじゃなかった。耳じゃなくて、心の奥まで、まっすぐ届いた気がする。言葉より深く、祈りみたいに……魂に触れるような“歌”だった。あれは、俺たちが知ってる魔法とは、明らかに違ってた」


 クラヴィスはしばらく黙っていた。

 重ねた手を静かに開き、ゆっくりと机の上に置く。


「……三歳のころから、兆しはあった」


 その言葉に、アリエッタが頷く。


「ええ。夜の中庭で、ひとりで草花に向かって歌っていた。あのときも、どこか空気が揺れていた。……光までは出なかったけれど」


「体調を崩した侍女の手を、そっと握ってね。次の日には回復していた。……あの子は、きっと気づいていなかったと思う。でも、私たちは……」


 ――見ていた。


 家族の誰もが、それぞれに異なる角度から、シオンの“力”に気づき始めていた。

 けれど、それを明確な言葉にする者はいなかった。

 それほどに、あの光景は――言葉を超えた現実だった。


「……三歳の誕生日の夜のこと、覚えてる?」


 リリカがぽつりと呟いた。

 その声には、迷いと戸惑い、そしてわずかな震えが混じっていた。


「あのとき……庭に咲いてた花が、一晩で満開になったんだよ。季節外れの花まで。庭師さんがびっくりしてた。“こんなこと初めてだ”って」


 アリエッタもゆっくりと頷く。


「……あれも、“偶然”じゃなかったのかもしれないわね」


「異能……いや、それすらも超えている」


 リートが低く言葉を重ねる。


「詠唱なし、意図的な制御もなく、あの規模での癒し。魔力量だけの話じゃない。理論も、体系も、何もかもが当てはまらない。……あれは、今までの魔法とは根本的に違う」


 クラヴィスがゆっくりと息を吐いた。


「……このままでは済まん。あの光景が広まれば、王宮だけでなく、教会、帝国までもが動く。いや……必ず、動く」


 応接室に、空気が張りつめる。


「目撃者は数十人にのぼる。だが、商人組合や町の要職者には、すでに手を回した。領主命として情報を抑えるよう伝えた。信頼できる者に限定して、混乱を防ぐためだ。……今のところは抑えられている」


 一息おいて、アリエッタが小さく微笑んだ。


「でも……それでも、私は驚きはしなかった」


 視線が、彼女に集まる。


「あの子は、ずっと言ってた。“わたし、あいどるになるの”って」


 リリカがくすっと笑う。

 緊張を解くような、懐かしさに滲む笑みだった。


「意味も分からず、何度も言ってた。“アイドルはみんなを笑顔にするお仕事”って、得意げに言ってたもの……最初は、変な呪文かと思ってた」


「意味も分かってなかったのに、本気で言ってた。昨日のあれを見て、ようやく分かったよ」


 リートも目を伏せながら、ゆっくり言葉を紡いだ。


「“聖女”じゃ足りない。“みんなを笑顔にする存在”――それが、あいつの“夢”だったんだな」


 静寂が、訪れる。

 ランプの光が壁に揺れ、影を伸ばしていた。


 リートがふと、口を開いた。


「……覚えてる。三歳になる少し前の、春の日のことだ」


 その声に、母アリエッタがわずかに目を細めて頷いた。


「あの子がひとりで中庭で遊んでいて……」


「そう。まだ言葉もおぼつかなくて、でも……確かに何かを“口ずさんでいた”んだ。歌とも言えない、でも、旋律のような――そんな不思議な響き」


「それを聞いたあと、具合の悪かった侍女が……」


「ええ、次の日にはもう元気に仕事に戻ってきた。医師は“気まぐれな回復”と言ったけれど、あの場にいた私たちは、きっと全員、気づいていたはずよ」


 アリエッタの目が細められ、その奥にある感情がゆっくりと浮かび上がる。


「――あの子は、何か“ちがう”」


 リリカが小さく頷く。


「私、あのときちょっとこわかった。でも、それ以上に……なんだかあたたかかった。光でも音でもない“何か”が、シオンから出ていた気がしたの」


 リートが軽く頷く。


「俺は、手帳に書き留めた。『感応現象?音波反応?魔力の変質による共鳴か』って……でも、何を調べても答えが見つからなかった」


「……それでも、あの子は笑ってた」


 アリエッタの声が静かに重なる。


「春の花の中で、風に吹かれながら、ルナちゃんに話しかけていた。“おうた、ひみつね”って。まだ幼いあの子が、“これは自分のもの”って、抱きしめるように」


 クラヴィスは黙ってそれを聞いていた。

 家族それぞれの心に刻まれた、“小さな奇跡”の断片。


 それはきっと、昨日の“光”に繋がっていた。

 偶然ではない。運命として、その力は積み重なっていたのだ。


「そういえば……」


 リリカがふと、笑みを浮かべた。


「寝る前、シオンが毎晩してたこと、覚えてる? ぬいぐるみに向かって歌を歌って、“きょうもありがとう”ってお祈りするの」


「……ああ、あったな。俺も一度だけ、こっそり聞いたことがある。“たのしかったです”“またあしたも、がんばります”って」


 リートの声に、アリエッタが小さく微笑む。


「まるで、誰かと約束を交わしているみたいだったわね。あの子の“歌”は、祈りと同じ。純粋な、でも強い願いが込められていた」


 クラヴィスが静かに目を閉じた。


「それが今、形になった――“癒しの光”として」


 重く、けれど確かな真実が、そこにあった。


 応接室の空気が、再び引き締まる。

 それぞれが思い出した記憶は温かく、微笑ましいものだった。けれど、現実は――そのまま微笑んでいられるほど、甘くはない。


 クラヴィスが重く口を開いた。


「このままでは、いずれ王宮か教会、あるいは帝国の目に留まることになるだろう。そうなれば……あの子は、今のままではいられない」


 その声には、領主としての冷静な判断と、父としての苦しみが混在していた。


「王都に“聖女”が現れたという噂が立てば、最初に動くのは教会だ。魔術管理局も動くだろう。……おそらく、魔術審議会が正式に調査団を送り込む」


 アリエッタは、静かに目を伏せた。


「……わかってるわ。だからこそ、今日こうして、皆で話し合う場を設けたのよ」


「我々は家族だ。だが、それだけでは済まない。この力がどれほどのものか、理解しなければならない」


 リートが少し前に身を乗り出す。


「父上。俺が学院で学んだ限りでも、昨日の現象に該当する魔法は存在しません。“大範囲無詠唱治癒”という魔法体系は理論上不可能とされていた。もしこの力が本物であれば、魔法理論自体が覆される事態になります」


「……それは、力そのものが“脅威”として扱われるということよね」


 リリカの声が震えた。

 彼女はあの時、広場で妹を庇うように立っていた。

 ただ“すごい”と喜べたのはほんの一瞬で、すぐに“恐れ”が街の空気に混じったのを、彼女は肌で感じていた。


「誰かを助けるための力なのに、どうしてそんな目で見られなきゃいけないの……?」


 リリカの拳がぎゅっと握られる。


「それは――」


 リートが言葉を探したとき、クラヴィスが静かに代わって語った。


「この国は、理論と制度で守られている。未知の力は常に“不確定な脅威”と見なされる。意図せずとも、巻き込まれる形で“利用”される者も少なくない」


「実験材料として、監視対象として、あるいは……」


 アリエッタが低く呟き、口を噤む。


 その言葉の先にあるもの――“政治の道具”。

 力ある者は、時に意思とは関係なく、国に仕える“歯車”として組み込まれてしまうことを、彼女は誰より知っていた。


「だからこそ、今のうちに手を打たねばならん」


 クラヴィスの視線が、リートとリリカ、そしてアリエッタへと順に向けられる。


「……シオンには、まだ“選ばせる自由”がある。だがそれは、我々が正しく備え、守ることができた場合に限られる」


「じゃあ……どうすればいいの?」


 リリカが声を詰まらせながら訊いた。


 その問いに、アリエッタが、静かに語りかけた。


「私は、“夢”を守りたいの。あの子が“アイドルになりたい”って言ったこと、きっと今も心の奥で変わらずに持ってると思う」


「“みんなを笑顔にしたい”って……本気で信じてる。小さな頃からずっとそうだった。昨日の光だって、あの子の“歌”だって、その延長線にあるのよ」


 リートがゆっくりと頷いた。


「……あれは確かに、破壊の力じゃない。“癒し”だ。理屈じゃ説明できないけど……俺は、あの歌に救われた気がした」


「私も」


 リリカもすかさずうなずく。


「シオンが、あんなに小さな体で誰かを癒そうとしてたんだよ? それだけで、私……なんだか泣きそうになった」


 クラヴィスはしばらく黙っていた。

 そして、やがて、静かに立ち上がった。


 窓辺に歩み寄り、夜の庭を見つめる。

 春の花々が夜風に揺れ、淡い香りがほんのわずかに部屋に入り込んでいた。


「――我々が決めるべきことは、シオンをどう閉じ込めるかではない。シオンの“願い”をどう守るか、だ」


 その言葉に、空気が変わった。


「いずれ力は知られる。学院入学前の魔力測定が済めば、王宮からも目が向く。そのときまでに、我々は備える必要がある」


「備える……?」


 アリエッタが問い返す。


「そう。あの子を“ただの子ども”として育てながらも、同時に――この家が、シオンを守る“砦”になるように、仕組みを整える」


 リートが軽く頷いた。


「外部からの接触はすべて、俺が制限するように動こう。学院内でも不審な関係者が近づかないように“情報制御”を徹底する」


 リリカも拳を握り直す。


「私も……あの子のそばで、ちゃんと守る! 戦えなくたって、心を守れるようにする。あの子の“歌”を濁らせたりしない!」


 クラヴィスは一同を見渡し、はっきりと言った。


「我が家の誇りと名誉にかけて、我らの“光”を守る。それが、エルステリア家の誓いとする」


 家族の瞳が、すべて一点に集まった。


 応接室に、重くも確かな決意の空気が漂っていた。

 誰もがそれぞれの立場から、言葉を尽くし、思いを交わし合った。

 それは、家族として“ただ愛する”だけではなく――“守る”と誓うこと。


 クラヴィスは静かに振り返り、正面のソファに腰を下ろすと、ゆっくりと手を組んだ。


「……こうして家族だけで集まり、同じ未来を語れたことを、私は誇りに思う。だが、それだけでは足りない。今ここで、明確にしておこう。“我らは、娘を、妹を、家族を守る”と」


 その言葉に、アリエッタがそっと頷いた。

 瞳には決して揺るがぬ強さが宿っていた。


「あの子が、どんな未来を選ぼうとも……私は母として、その歩みに寄り添いたい。傷つけられることのないように、背中を押せるように……そして、歌が、想いが、届くように――ただ、それを支えるわ」


 リリカが口を開いた。


「私も、そうありたい。お姉ちゃんとして、シオンのそばにいて、一緒に笑って、一緒に泣いて、支えてあげたい」


 少しだけ言い淀んだが、すぐに唇を引き結び、声を強める。


「……でも、それだけじゃ足りないんだって、わかった。笑顔にするって、こんなに大変なことなんだって。だから、私も変わる。ちゃんと向き合う。シオンの未来を“守る”覚悟を持つ」


 リートも、少しの沈黙の後、続いた。


「俺は、兄として……エルステリアの長男として、シオンが“利用される”ことだけは絶対に許さない。どんな手を使ってでも、それを阻止する」


 少年のようだった彼の声には、明確な“剣気”が宿っていた。


「正面から抗うことも、裏から排除することも、全部含めて……俺はシオンの盾になる。誰にも踏み込ませない。約束する」


 クラヴィスが目を閉じて、一つ頷いた。


 そして、立ち上がる。


 部屋の中央へと歩み寄り、ランプの灯りが揺れるその場所で、改めて皆を見渡す。


「ならば、ここに誓おう」


 その声は静かに、けれど深く響く。


「“我らエルステリア家は、シオン・エルステリアを守り抜く”。あの子の“夢”と“歌”が誰にも汚されることのないように。我らが持てるすべての力と誇りをもって、支え抜くと」


 アリエッタが歩み寄り、その隣に立つ。


「この命に代えても、娘の心を守ると、母として誓います」


 リートが真っ直ぐな瞳で。


「兄として、どんな道でも開いてみせる。誰かの思惑になど負けない。誓います」


 リリカも、涙を滲ませながら、しっかりとした声で。


「姉として、いつだって笑って、隣で応援するよ。どんなときでも。私も、誓うよ」


 その瞬間、応接室に、ひとつの静けさが満ちた。


 ただの会話ではない、ただの願いでもない。

 それは、確かに“誓い”だった。


 家族としての意志。

 守ると決めた心。

 そして、これからをともに歩む覚悟。


 それぞれが深く頷き、静かに椅子へと戻っていく。


 まるで、長い祈りが終わったようだった。


 クラヴィスがふと、天井を仰いだ。


「……さて。嵐が来る前に、できる準備はすべて整えておかねばならんな」


 リートが肩をすくめ、苦笑する。


「まったく、妹に振り回される兄貴ってのも、案外悪くないのかもな」


「うん。きっと、楽しいよ。だって……シオンだもん」


 リリカが笑ったその横で、アリエッタがそっと微笑む。


「ふふ……いい笑顔ね」


 その夜、家族の心は、ひとつになった。


 家族が再びそれぞれの部屋へ戻り、屋敷には深い静寂が降りていた。

 夜は更け、灯りの数も減り、廊下を吹き抜ける風がわずかにカーテンを揺らしている。


 アリエッタは、ゆっくりと廊下を歩いていた。

 足音は絨毯に吸い込まれ、音はない。

 けれど、胸の中では、昨日の出来事が繰り返し波のように押し寄せていた。


 扉の前に立ち止まる。

 手をかけて、そっと――音を立てないように開いた。


 そこは、小さな娘の寝室だった。


 カーテン越しの月明かりが、優しく部屋を照らしている。

 ベッドの上には、小さな体が静かに横たわっていた。


 シオン。


 この家の希望。

 この世界に生まれ落ちた、小さな奇跡。


 アリエッタは歩み寄り、ベッドの脇にそっと腰を下ろした。

 その小さな寝顔は、まるで天使のように穏やかで――そして、どこか芯の強さを感じさせた。


「……本当によく、がんばったわね」


 誰にも聞こえないように、微かに呟いた。


 シオンの手の中には、いつものように“ぬいぐるみのルナちゃん”が抱きしめられていた。

 小さな手のひらが、ぬいぐるみの耳に添えられている。

 まるで、安心するように。

 そして――語りかけるように。


「“歌”は、もうあなたの中にあるのね。誰かのために紡がれ、誰かの心に届く……そんな力になっていたわ」


 そっと、額に手を添えた。


 体温が、そこにあった。

 息づく命の証。

 そしてその奥に宿る、確かに“歌う心”。


 月明かりが、やわらかく降り注ぐ。

 その光が、まるで子守唄のように少女を包んでいる。


「……できることなら、ずっとこのままで……」


 ぽつりとこぼれたのは、母としての本音だった。

 戦うでもなく、利用されるでもなく、ただ笑って、歌っていられる日々が続けばと。


 けれど、それは叶わない願いなのだと、彼女はもう知っていた。


 だからこそ――祈るしかない。


 アリエッタは、そっと目を閉じた。

 胸に手を当てて、言葉にならぬ祈りを重ねる。


 どうか、この子の“歌”が、誰にも奪われることのないように。

 悲しみに染まらぬように。

 誰かを癒し、誰かを救い、誰よりも先に、自分自身を――幸せにできるように。


 やがて、彼女はゆっくりと立ち上がり、最後に一度だけ、娘の寝顔を見つめた。


 その頬に、月の光が淡く差し込んでいた。

 目を閉じていても、口元がほんの少し動いていた。


 ――まるで、夢の中でも“歌っている”ように。


 アリエッタは微笑み、静かに扉を閉じた。


 その瞬間。


 星がひとつ、空で流れた。


 誰に見られることもなく、けれど確かに、世界が静かに祝福した。


 この夜の誓いを――

 この光を――

 この“歌”の、始まりを。

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