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24 王との謁見、新たなステージへ

 王都に入るのは、これが初めてだった。


 朝の光が、冬の空を淡く染めている。けれど、空気には芯の冷たさがあって、馬車の窓にうっすらと結露が浮かんでいた。


 窓の外に広がるのは、白く聳える巨大な城壁。高く高く、まるで空を裂くように天へと伸び、その上には衛兵たちが整然と並び立っていた。金属の鎧が朝日を反射し、淡く光っている。


 その門をくぐると、世界の色が少しだけ変わった気がした。外界とは違う、冷ややかな静けさと、魔術的な結界の感触――空気の重さが、肌に触れるようにわかる。


 馬車が王城の敷地へ入っていくにつれ、周囲の音が少しずつ遠ざかっていった。車輪が石畳を軋ませる音だけが、乾いた反響と共に残っている。


(……やっぱり、“お会いしたいと望まれた”って、言ってたけど……これはきっと……)


 ――呼び出されたのだ。


 私の中に生まれてしまった、“存在しないはずの力”。

 “時”という、誰も知らない、七つ目の属性。


 私は、抱きしめるようにルナちゃんを胸に寄せた。ぬくもりが少しだけ、不安の波を和らげてくれる。


「……大丈夫だ、シオン。すべては私が説明する。お前は、自分を偽らずにいればいい」


 父さまの穏やかな声が、そっと背中を支えてくれる。私は、こくりと頷いた。


 馬車には、母さま、リリカ姉さま、リート兄さまも同乗していた。皆、どこか緊張しながらも、私を囲むように寄り添ってくれている。


「きっと、大丈夫よ。王様は、お話を聞いてくださるわ」


 母さまが優しく手を握ってくれる。その手は、少しだけ冷たくて、それでも、あたたかかった。


「シオン、あまりかしこまりすぎんな。いつものお前でいろ、な」


 リート兄さまが、わざと軽く笑ってみせた。

 でも、目の奥は、私のことをちゃんと見てくれていた。


 私は、少しだけ笑って、小さく「うん」と答える。


(……こわい。けど、大丈夫。みんながいてくれるから……)


 王都に来た目的。それは、私に宿った“時”の魔法――誰もが知らず、そして存在しないとされていた属性を、王様が自ら見極めるため。


 私自身にも分からないその力。

 それを説明する言葉も、まだ上手く見つけられないまま。

 それでも、ここに来た。

 来なければいけなかった。


 王都の奥、巨大な尖塔が空に向かって伸びている。白亜の壁に朝日が当たり、荘厳な光を放っていた。


 その先に、“その人”がいる。


(……王様)


 私は、ぎゅっとルナちゃんを抱きしめ直した。



 馬車がゆっくりと止まると、扉の外に、儀礼用の制服を纏った従者たちが並んでいた。みな一様に背筋を伸ばし、整然とした所作で頭を下げる。装飾を抑えた深緑のマントが、王家直属の格式を静かに物語っていた。


「エルステリア侯爵ご一行、到着されました」


 落ち着いた声が響く。


 父さまが軽く頷くと、従者たちは一糸乱れぬ動きで扉を開けた。冷たい空気が頬に触れ、胸の奥が少しだけ引き締まる。


 外に出た瞬間、王城の空気に包まれた。


 広大な石造りの中庭。敷石には繊細な魔術紋が刻まれ、中央には魔力の風を操る噴水塔が静かに佇んでいる。その水面に、冬空の光が淡く反射していた。


 見上げれば、幾重にも重なる尖塔と回廊。どこまでも高く、どこまでも静かに、この場所が“特別”であることを告げている。


 私は、小さく息を呑んだ。


(……ここが、王城……)


 広くて、静かで、重くて――けれど、不思議と怖くはなかった。

 その奥に、確かな秩序と気配がある。

 それが、なぜか心を落ち着けてくれる。


「参ります」


 父さまの言葉に、私はこくりと頷く。


 謁見には、私と父さまだけが向かうことになっていた。母さまとリリカ姉さま、リート兄さまは控室へと案内される。


 白い回廊を進む。


 壁には緻密な魔法装飾と紋章、王家の歴史が綴られた石版。空気の流れすら制御されたような静謐な空間に、足音だけが静かに響いていく。


 私の小さなブーツの音が、広い床を軽く打つたびに、背筋がしゃんと伸びていくような気がした。


(大丈夫……真っすぐ、立っていよう)


 ふと、父さまの言葉が胸に浮かぶ。


「お前は、真っすぐに立っていればいい」


 何も語れなくても、きっと、それでいい。

 この力がどこから来たのか、自分でも説明できなくても、

 私は――この世界に、ちゃんと、立っている。



 大きな扉の前で足が止まる。


 深紅の布が張られた両開きの扉。その両脇に控える護衛騎士たちが、無言で頷く。


「これより、王の御前に」


 従者の声が響くと、音もなく扉が開いた。


 まばゆい光の中、私は足を踏み出した。


 玉座の間は、まるで時間そのものが沈黙しているような空間だった。


 高くそびえる天井には、冬の陽を受けたガラス細工がきらめいている。柱は白大理石で組まれ、その一本一本に古の王家の紋章と詠唱が刻まれていた。重厚な赤絨毯が、まっすぐ玉座まで続いている。


 その最奥、石の玉座にゆったりと腰掛けていたのは――


 レオニウス・ノルディア王。


 威厳と静けさをまとった男だった。

 長く整えられた金髪と、深い蒼の外套が光を受けて淡く揺れる。

 けれど、それ以上に印象的だったのは、その眼差し。


 すべてを見通すようで、なおかつ、拒絶でも支配でもない。

 まるで“知ろうとする者”のまなざし。


「エルステリア侯、よく参られた。そして……シオン・エルステリア嬢」


 名前を呼ばれた瞬間、胸の奥がきゅっと締まった。

 けれど、私は怯まずに、静かに一礼を返した。


「陛下。このたびはご召喚を賜り、誠に光栄に存じます。娘シオンの件につきまして――」


 父さまが膝をつこうとした、その瞬間。


「よい、クラヴィス。今日は、余が自ら確かめたくて招いた。伝え聞く“力”が、いかなるものかを」


 静かな声だったが、響きは確かだった。

 王の視線が、私に向けられる。


「恐れることはない、シオン嬢。余は、お前を咎めるために呼んだのではない。知り、理解するために迎えたのだ」


 ――その言葉に、胸の奥に張りつめていた何かが、ほんの少しだけ解ける。


 王は従者から、魔術盤の複写を受け取った。


 厚紙の表面に、七つの光の痕跡が描かれている。

 《炎》《水》《風》《地》《光》《闇》――そして、中央にわずかに浮かぶ《時》。


 王は指先でその盤面をなぞりながら、ぽつりと呟いた。


「六属性すべてに反応……それだけでも尋常ではない。そして……七つ目、“時”の記録」


 父さまの背筋が、わずかに緊張を帯びた。


 私は、口を開いた。


「……はい。測定の場で、確かにその光を見ました。私にも、理由は分かりません。でも、歌うと……動くんです。力が」


「歌……とな」


 王の視線が、鋭さを増したわけではない。

 むしろ、まなざしは柔らかいまま、その奥だけが深まったようだった。


「詠唱や言葉ではなく、歌なのか?」


「はい。言葉というより……“想い”をのせた歌、です。声に出すと、胸の奥から何かが、光るような――」


 言いながら、私はあの瞬間の感覚を、心の奥から手繰り寄せる。


 柔らかな音が、心のなかに生まれる。

 旋律ではなく、言葉でもない、ただそこに“ある”ひかりのような感覚。

 それが、私の声を通して、外の世界に届く。


「心の中で“歌っている”ときだけ、光ることがあるんです。ちゃんと理由は、分からないんですけど……」


 王は沈黙のまま、魔術盤の複写を見つめていた。

 その目には、驚きや否定ではなく、ただ静かな探究の光があった。


「……この“時”という力に、心当たりは?」


 その問いに、胸がぎゅっと締めつけられる。


(“時”……)


 一瞬だけ、記憶の隙間が揺らぐ。

 あの病室。あの窓。あの最後の瞬間。

 自分は――確かに、死んだ。

 そして、生まれ変わった。


 でも、それを口にすることはできなかった。

 言ってはいけないことのように思えた。


 私は、静かに首を横に振った。


「……いえ。ただ、強く想ったとき、何かが響いて……そのときだけ、光るんです」


 王はそれ以上、詮索はしなかった。


「感情に呼応する魔力、か……興味深いな」


 その声には、確かに熱があった。けれど、それは干渉でも介入でもない。

 ただ純粋に、“理解したい”という意思。


 私は、少しだけ安心して、深く息を吐いた。


 王はしばし沈黙し、魔術盤の中央に記された《時》の紋章を見つめていた。

 指先で軽くなぞるように触れながら、静かに言葉を落とす。


「“時”という属性は……この世界における魔術理論上、記録も根拠もない。存在しないはずの力、だ」


 静かで、けれど揺るがない声だった。


 空気が一段と冷たくなったように感じられたのは、王の気配が変わったからではない。

 むしろ、そのまなざしはずっと変わらないままだった。ただ、玉座の間に流れる空気だけが、音を立てずに重くなっていく。


「だが――この目で確認した。記録も証人もある。もはや、否定ではなく、向き合うべきものだ」


 父さまが、沈痛な面持ちで小さく頷く。


「陛下。我々も混乱しております。あのとき、確かに七つ目の属性が記録されました。けれど、それが何を意味するのか……今の我々には、見守ることしかできません」


「無理もない。これは“予見されざる変化”だ。だが……」


 王は、再び私に視線を向けた。


「だからこそ、守らねばならぬ。知識も、答えも、いずれ見出されよう。だが、その前に……誰かが、お前を守るべきだ」


 その言葉は、力ではなく――温かく、静かだった。


(……守る、って……)


 胸の奥に、小さな火が灯る。


 この“力”が怖れられるのではなく、知ろうとされている。

 異端ではなく、未知の光として――向き合おうとしてくれている。


 王はしばし黙し、そして穏やかに問いかけた。


「シオン・エルステリア。この“時”という力が、どのようなものか――お前自身、何か感じるところはあるか?」


 私は、そっと視線を落としながら口を開いた。


「……いえ、詳しいことは分かりません。ただ……強く気持ちが揺れたときに、胸の奥が熱くなって……そのあとで、光が出るんです」


 王はそれを聞きながら、静かに頷いた。


「感情と魔力の共鳴……それが、この“時”の力と、お前の歌とを繋げているのかもしれぬな」


 その声には、否定も恐れもなかった。ただ、一人の知識ある者としての好奇と、理を見極めようとする深さがあった。


(……ありがとう)


 私は、言葉にせずに、心の中でそっとつぶやいた。


 この場所で、私の“違い”が否定されなかったこと。

 この世界で生きることを、肯定されたこと。


 それが、どれだけ救いだったか。


 玉座の間には、再び静けさが戻っていた。


 王は手元の魔術盤の写しに視線を落としたまま、しばらくのあいだ何も言葉を発しなかった。

 ただ、その眼差しは一点を見据えたまま、深く、そして遠くを見ているようだった。


 父さまもまた、黙して王の沈黙を受け止めていた。

 その背筋には、忠誠と覚悟が滲んでいた。


 やがて、王はゆっくりと顔を上げ、淡々と語り始める。


「この件は……王命として極秘とする」


 その言葉に、空気がふっと張りつめる。


「他国に知られてはならぬ。噂のひとつが独り歩きすれば、この子の身が脅かされることになるやもしれぬからな」


「……畏まりました、陛下」


 父さまの声は、重く、けれど迷いのないものだった。


「だが――このまま領地に帰すことも、また叶わぬ」


 王の言葉に、私は一瞬だけ胸がきゅっと縮まるのを感じた。

 でもすぐに、王の声が続く。


「決して軟禁するわけではない。王都にて、静かに過ごしてもらう。日々を通じて、お前の力を見極めるためだ。それは、王としての責任でもある」


 その視線は、まっすぐに私に向けられていた。


「シオン・エルステリア。余はお前に命じるのではない。願うのだ。ここで、学び、触れ、過ごしてほしい。余たちが、この力の本質を見極められる日まで」


 それは“命令”ではなかった。

 私の存在を、一人の人として認めたうえでの、“願い”だった。


 私は、まっすぐに王を見つめて、小さく頷いた。


「……はい。まだ、自分でも分からないことばかりですけど……でも、“うた”が、だれかの役に立つのなら、がんばります」


 言葉にすると、胸の奥に灯る小さな炎が、また少しだけ強くなった気がした。


 その瞬間、王の口元が、ごくわずかに、ほころんだ。


「よい心だ」


 短い言葉だったけれど、その響きは深く、心に残った。


「ならば、まずは心穏やかに過ごすことだ。学び、歌い、自らの声を育てるのだ。それこそが……お前だけの“歩む道”となろう」


 “歩む道”。


 その言葉に、胸の奥が、ふっと温かくなった。


 誰にも知られていないけれど――

 私には、“歌いたい”という気持ちがある。

 誰かに、届けたいという想いがある。


(……ここから始めるんだ)


 そう思った。


 誰かが私を“恐れ”ではなく、“知りたい”と思ってくれた。


 それだけで――私は、きっと進める。



 謁見のあと、私は控えの間に戻った。


 待っていてくれた家族の姿を見つけた瞬間、胸の奥にあった緊張がふっとほどけていくのが分かった。


「どうだった?」


 真っ先に駆け寄ってきたのは、リリカ姉さまだった。

 その顔には、不安と心配がにじんでいる。


「……うん。思ってたより、こわくなかったよ」


 そう答えると、リリカ姉さまの表情が少しやわらいで、安心したように肩を撫でてくれた。


 母さまもそっと私の頬に手を添えて、やわらかく微笑む。


「あなたらしくいれば、大丈夫。それが、いちばんの強さよ」


 父さまも、静かにうなずいていた。

 何も言わなくても、その眼差しがすべてを語っている。


 リート兄さまが、少し照れたように言う。


「王様にちゃんと話せたんだな。偉かったな、シオン」


 私は胸にルナちゃんを抱きしめながら、小さく笑った。


「……ありがとう」


 そして、私は家族に告げる。


「これから……しばらく王都で暮らすことになったの。……でも、わたし、がんばる」


 その言葉に、リリカ姉さまがまっすぐな声で答えてくれる。


「シオンががんばるって言うなら、私たちも、ずっと支えるわ」


 その声が、胸の奥にまっすぐ届く。


 私は、大切な人たちと一緒にいるこの場所で――きっと、自分の力を信じていける。



 城を出たとき、冬の光がまぶしくて、私は思わず目を細めた。


 王城の庭に差し込む陽射しは、白く透き通っていて、けれど、どこかやさしかった。


 雪の気配を含んだ風が頬を撫で、背後にある大きな城が、静かにその存在を見守っているように感じた。


 ここが、これからの“私の場所”。


 “時”という名の魔法。

 “うた”に宿る力。

 まだ誰も知らないその力が、どこへ向かっていくのかは分からない。

 でも――


(わたしの中にあるこの光が、いつか誰かの笑顔になるなら)


 小さな足音が、石畳の上を歩いていく。


 振り返らず、前を見て。


 この王都の空の下で、私は新しいページをめくる。

 ひとつの“うた”とともに、

 まだ誰も知らない、私だけの“ステージ”が――

 いま、静かにはじまりを告げた。


 ――第一章『家族の絆』、完。

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