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 異世界人――並行して存在する他の三次元世界に、存在そのものを移動した人族の通称。異世界転移者とも呼ぶ。


 チート――異世界転移、もしくは、異世界転生を強制された者に必ず付与される概念的能力の総称。異能とも呼ばれる。



「な、なによ、こ、れ……があっ!?」


 黒髪の少女キリエは、貴賓室の床に這いつくばっていた。いや、より正確な表現をするなら、突然襲ってきた圧力によって、無理やり、床に押し付けられていた――今も、圧し潰されているというのが、今の彼女の状態である。


「あれ、最初に言ったでしょ?めんどくさいから潰すって♪」


 シエルを除いた、バルシア領主館の敷地に存在する者たち全て――領兵も傭兵たちもキリエ同様、地面にし潰されている、今この時も、現在進行形で。

 それは、聖剣キノエーダによるものではなく、精霊神ソーマそのものから発せられた力とも言える。ただし、精霊神ソーマからすれば、それは、力などと大袈裟に呼ぶようなものではない。

 普段、活動体によって抑えられている精霊神としての存在感のようなそれを――神格を、ほんの少しだけ、この世界に解放しただけ。


 神は其処に在る、ただ、それを示しただけ。


 神威とも呼ばれるそれを――全体の1%にもみたないそれを――解放しただけであり、精霊神ソーマからすれば、いつもよりほんの少しだけ精霊神として働こうとしただけ――ちょっとだけ、やる気を出したにすぎない、ただそれだけのこと。


 これが、三次元世界にて最強の呼び声高き精霊神、その力の一端である。


「ふーん、『誘い導くものテンプテーション』ねぇ……」

「なっ!?」

「随分、はた迷惑な異能だね――」


 精霊神ソーマが指を鳴らし、次の瞬間――


「がっ、ぐあああっ!?」

「な、なん、で……ぎゃあああっ!?」

「うわぁ、何回見ても慣れないなぁ……ホント気持ち悪い……」


 ソーマが指を鳴らした瞬間、今も地面に圧し潰されているセルゲイ=ガーデス侯爵が苦しそうに身悶えしたかと思うと、その身体から、黒い霧のような何かが立ち昇る。

 次いで、キリエ=ガーデスに激痛が襲い掛かり、額から、キリエ自身の頭部よりも大きい、ヘドロ状の黒い塊があらわれる。その黒い塊は波打つように脈動し、キリエの頭上を浮遊していた。


「あ、するっすね!」

「うん、シエルン任せた♪」

「な、にを……」


 ソーマの脇に控えていたシエルが、懐から、半透明で手の平サイズの匣を取り出しては黒い塊に向かってそれをかざす。すると、そうなることが当たり前かのように、あっという間に匣の中に、黒い塊が吸い込まれていく。


「な、なんなの…………え?」

「あ、神託が届いたかな?」

「は?神、た……は?」


 精霊神を名乗る少年の、何もかもを見透かしたかのような言動に、キリエは、激しく動揺していく。


「一定の困難を越えたり、何か困ったことがあったときに、キミたち宛に届くお手紙みたいなソレのことだよ♪ 神託のこと、キミたちは、こんな風に呼んでるんだよね――」


 キリエは確信した。世界で、自分たちしか知り得ないことを指摘されたことで、この世界に来る前に出会った女神に頼まれた――世界の邪悪、その根源たる精霊神の討伐――その討伐対象が、目の前で飄々と佇んでいる、美しすぎる少年だということを。

 そして、キリエを追い詰める一言が届く。


「――システムメッセージ♪」



 大地が揺れる。ひとつひとつが重なり、束ねられた衝動とともに解き放たれる――歓声。都市の外にまでは響くその音は、都市を揺るがすほどの熱狂と興奮とともに広く伝播し、更なる熱を生む。


 そこの名は、バルシア闘技場。闘士という名の奴隷たちが、その命を燃やし尽くすかのようにしのぎを削る場所である。


 一組、また一組と、闘いが始まっては終わり、観衆は、今か今かと、その闘士があらわれるのを心待ちにしている。

 その闘士とは、帝国の生きる伝説。二年の歳月の末に闘技場が完成した八年前から数えて、未だ無敗必勝。かつての帝国の英雄は、堕ちて尚、伝説を体現し続けてきた。


 そして今日、未だかつて闘ったこともない存在との対決が実現すると、バルシア中に告知されたのが三日前のこと。


 闘技場の最も高い場所にある特別観覧席、いつものようにそこに現れたセルゲイ=ガーデス侯爵、その隣には、銀髪金眼の少年の姿。

 婚姻後、公の場では常に夫であるガーデス侯爵の側に控えていた夫人の姿がないことを訝しむ観衆がいるものの、これから行なわれる闘いの前では些細なことだと、思考の外に追いやられていた。

 ガーデス侯爵が、その日最後にして最大の闘いの合図を、観衆に見せつけるように示す。直後、隣の少年から、黒い何かが飛び出してきた。

 その黒い何かが闘技場の舞台に近づくと同時に、少年が手を伸ばし、手元で何かをしたことを確認した観衆の前で、それが起きた。


 闘技場の舞台に、突如として、黒く巨大な何かがあらわれたのだ。


 観衆の中には、帝国軍人も傭兵も冒険者もいる以上、その存在のことを知っていて当然である。市井の間では、おとぎ話の類いの物語として謳われている以上、その存在の最大の特徴を知っていても不思議ではない。

 ミーティアル帝国内において最も過酷と云われている未開領域の主は、帝国内の未開領域の主の中でも別格と目されている伝説の怪物。破滅級星三魔龍。三二の首持つ龍。


 ――魔龍ベルヌス。


 生きる伝説として謳われる存在が、突如として、バルシア闘技場に出現したのである。

 観衆は沸いた。そこに悲鳴はなく、期待に満ちた声で闘技場を満たしていく。

 帝国の伝説同士の闘い、それはまるで、吟遊詩人に謳われる叙事詩の一幕のようで――帝国の伝説による龍殺しを目の当たりにできるかもしれないという状況に、観衆は酔いしれていた。

 そして、彼が来る。ただつるぎを振るうためにあるような肉体とともに、彼がやって来る。


 ――大逆の剣聖レヴァス。


 剣聖と魔龍、帝国の伝説が対峙する。



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