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考えてはならぬ
感じることすら不要
一振りの刃を模すだけでも足らぬ
その命以って、その身、劔と化すことすら、
果てなき道の過程と心得よ
汝、万象斬り裂く一筋の軌跡たれ
ダスクード大陸東部、大森林地帯にて興った、現在主流とされている剣術の開祖が残した、武人としての心得にして――悔恨の言葉
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この世界における人族の平均寿命は、七十歳前後、男女に差はあるものの、そこまでの差は無く、誤差の範囲に収まる。
剣聖レヴァス、七三歳。肉体の全盛期はとうに過ぎ去り、朽ち果てるまでも遠からずと、レヴァス自身が誰よりも理解している。
ならば、目の前の現実は一体なんなのか。
観衆の中に混じる、いわゆる戦闘職に就いている者たちは、皆が皆、脳裏に疑問符を浮かべながら目を奪われていた。
「「「――ヴォォォォォッ!!」」」
三二の顎門から挙がる咆哮。それは、再び訪れた良き闘争との出会いに思わず口にした、多頭龍の歓喜の声。
その咆哮の意を察したのだろう、レヴァスが笑みを浮かべ――身体を揺らすと同時に、襲いくるベルヌスの首八本の内、三本をバラバラにしたのち、軽やかにベルヌスの攻めを避ける。その動きに無駄はなく、最小限という言葉がふさわしい動作である。
例えば、エレノア=ヴァルスターの剣を剛とするなら、レヴァスの剣は柔。ただし、世間からの評価では、エレノアの剣は柔の剣――敵の攻め手に適時適応し、身体の柔軟性や瞬発力を活かした受けの剣、カウンターを主軸とした戦闘スタイル。
つまり、エレノア=ヴァルスターにとってレヴァスの剣とは、自分にとって理想的な剣を体現しているともいえる。
(……似てる)
観衆に混ざり、剣聖と魔龍の闘いを観ているエレノアは、自分が思い描く理想の剣に思いを馳せると同時に、レヴァスの剣の先にそれを見ていた。
(やっぱり似てる……ソーマの剣に――)
精霊神ソーマの剣に、剣聖レヴァスの剣が似ていると、遠目に観ていたエレノアはそのように感じていた。
得物の差はある。精霊神ソーマが木の枝、レヴァスが闘技場から支給される鉄の大剣。わざわざ比較せずとも、どちらの斬れ味が上なのかは一目瞭然だろう。
しかし、そもそもの話、竜や龍の鱗は、それ自体が防具の素材に使われるほど頑強である。ドラゴン
災厄級のヒュドラともなれば、鉄の五十倍以上の剛性と強度を誇るミスリルを混ぜた合金製の武器でなければ戦いにもならない。その変異種ともなれば、純ミスリル武器やアダマンタイトやオリハルコンを含んだ武器でなければお話しにならない。
それが、傭兵や冒険者の常識。何の変哲もない鉄製の武器では、ベルヌスの首を断つどころか、傷をつけることすら難しいというのが共通認識、常識なのだ。
つまり、今、バルシア闘技場で起きていることは、常識の外のお話――おとぎ話で語られるような――虚構空想の類いであると信じられていることが現実になっているということ。
エレノアのように、世間から強者と評価されている自分たちですら敵わない剣聖レヴァス――そんな怪物すら遥かに凌駕する剣が、この世界に存在していることに戦慄している者たちを除いて。
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剣士に限らず、闘争する者が戦闘の果てに求めるものとは、基本的には勝利である。無論、戦闘すること自体を求める者もいるだろうが、大概の者が勝利を求めて、戦闘を開始する。
剣士もまた、戦闘に勝利するため、己の剣を振るう。当然のことである。
さて、戦闘に勝利するために、剣士を含めた闘争する者がすべきこととは何か。
相手に敗北を認めさせる、もしくは、敗北したという事実を強要する――相手を戦闘不能に追い込む、この二点だ。
そして、剣士の場合――刃の部分で斬る、剣のいずれかの部分で叩く、剣先で突く、徒手空拳を含めたそれ以外――相手を敗北させるための手段、剣士の根幹とも呼べる技術が四つに大別され、それらを以て戦闘に臨む。
四つ全てを戦闘中に成立させるために有用な技術――歩法や身体操作法、個人戦術、個人戦略、洞察技術など――を含め、剣士として勝利するために必要な技術を得るためには、それ相応の時間を費やすこととなる。
だが、時間を含めた大部分を補い、比較的容易に戦闘に勝利することを可能にする方法が二つ、この世界に存在する。
一つ目は、集団戦。数の暴力などとも言われるが、多対一という状況を作りさえすれば、よほどの実力差がない限り、戦闘に勝利することが可能である。無論、闘争する者個人としては落第ではあるが、どんな形であれ生き残ることが最優先である以上、非難される謂れはない。
二つ目は、古代武具と魔導武具。未開領域内に時折存在している遺跡などから出土、発見される特殊な武具類――古代武具。アーティファクトとも呼ばれるそれらと魔導武具は、武具そのものの力を使い手に付与する考え方で用いられる。
そして、魔導武具。ミスリルなどの金属と魔物の素材を組み合わせて製造されるそれは、大気中の魔素や使い手の魔力を用いて、魔道の模倣を可能にする、誰にでも扱える武具である。
例えば、魔導大双刀レギンヴァルス。ミスリルをベースに、フィアレスバードと呼ばれる災厄級星四魔鳥の素材を組み合わせ、表面にアダマンタイトの粉をコーティングすることで生まれた魔導武具。その効果は、フィアレスバードか得意とする風魔法を模倣し再現することで、機動力と切断力を向上させるというもの。
上記二つに共通するのは、本人以外の力を利用することであり、それは間違いなく、闘う者としての矜持に影を落とす、特に前者は。
だからこそ、憧れる。
だからこそ、焦がれる。
自分以外の何かに頼らず、己の身ひとつで己の武を証明する者たちのことを。そんな者たちのことを、この世界ではこのように呼ぶ。
――武人、と。