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第2章 継母と異母姉の思惑 第04話-愛娘のために(エリゼーヌ視点)

 その朝、エリゼーヌは執務室の窓から、泥色の髪をスカーフで隠し、通用門を出て行く継子・ノンナの姿を見下ろしていた。


「……ぶざまねえ」


 薄布のお仕着せが風に揺れる。みっともない痩せこけた姿……全てが見苦しく、娘の影として侍らせるには不快とさえ思える。

 エリゼーヌの唇に冷笑が浮かんだ。


 侍女ゴードが恭しく言う。


「ええ、わきまえるよう伝えております。お嬢様の評判を損ねぬよう、監視も怠りません」

「学校では注意深く見張って。リリアーヌに恥をかかせないようにしてください」

「はい、気をつけます。側近という名の、雑用係でございますけれど、リリアーヌお嬢様は特別な方ですから、それに相応しくあらねばなりません」


 ふたりは薄い笑みを交わす。


 リリアーヌは、優雅な微笑を浮かべ、精霊眼の力を使いこなす才色兼備の令嬢だ。

 王立学園ではその美貌と才覚で称賛を集めている。

 だが……その精霊眼の力はノンナから得たことは、秘密だ。

 エリゼーヌが施した「再配分魔法」によって、リリアーヌに与えた能力なのだ。


「私の手で完璧に仕上げた娘こそ、称賛されるべき存在よ」


 それは信念というより、もはや確信だった。


 リリアーヌはもともと美しく、才能もあった。

 だが、ただそれだけでは足りなかった。さらなる力を与え、完成された存在に仕立て上げる。

 それこそが、母である自分の役目だと、エリゼーヌは信じていた。


 荒れた髪、痩せこけた体、くすんだ肌のノンナは学校に向かって歩いていく。

 見下ろすエリゼーヌの眼差しには、軽蔑しかなかった。対照的に、リリアーヌの肌は白く艶やかで、銀の光をたたえた髪は、朝日に照らされてなお美しかった。

 ノンナの日々の仕事は、リリアーヌの輝きを支える。

 それは、罪人の娘が生きながらえるため与えられた立場として、果たさせているにすぎない。


 エリゼーヌは、その事実に一抹の罪悪感すら抱いていなかった。


 ***


 12年前。


 エリゼーヌのもとに、都合の悪い王命が届いた。


「前領主アウレスピリア家の血筋であるノンナを、ドスピランス伯爵家の次男・エドワールと婚姻させよ」


 エリゼーヌはその紙をくしゃくしゃに握りつぶしたい気持ちを懸命に抑えた。

 ――淫婦の血を引く婚外子を届け出たことが、まさか災いを招くとは。

 アウレスピリア家は名門だった。淫婦の実家であるとはいえ、その名を利用できると考えたのが、失策に繋がった。


 だが、すぐに立ち直り、策を講じる。ドスピランス伯爵家との面談を取りつけたのだ。


「形式的な幼児婚で王命に従いましょう。そして、将来エドワール様の正妻となるのは、伯爵位を継ぐ長女リリアーヌです」


 エドワールの父は眉をひそめる。


「だが、王命はアウレスピリア家の血筋との婚姻を求めている。公然と逆らえば、王家の怒りを買うことになる」

「ええ、ですから表向きは従うのです。ノンナを第二夫人という名の飾りに据えればよろしいですわ」


 エドワールの父は「……形式だけ、ということでしょうか」と、戸惑いをにじませた声で返した。


「そうです。重要なのは、名目を整えること。エドワール様がアウレスピリア家の血を取り込むことで、貴家はさらなる権威を得られる。王命に従いながら、影響力を拡大できる好機なのです」


 彼は腕を組み、沈黙する。すると、エドワールの母が慎重に問う。


「……ですが、エドワールが本当に望む相手と結婚できるのでしょうか?」


「もちろんです。ノンナは従順で、抗うような性格ではありません。第二夫人として黙ってその立場を受け入れるでしょう。それに、リリアーヌの魅力と才覚をご覧になれば、エドワール様も心を動かされるはずです」


 エリゼーヌの瞳には、確信の光が宿っていた。


「リリアーヌは、貴家の令息の誇りとなる貴婦人に成長します。伯爵位を継ぐ者にふさわしい才と品を持っています。彼女が正妻の座に就くことこそ、両家の繁栄につながる未来です」


 ドスピランス伯爵夫妻は顔を見合わせた。

 そして、エリゼーヌの提案を受け入れた。

 王命に従いつつ、実益を得られるからだ。


 ***


「エドワール様って、本当に素敵なおとなになられたわ。ノンナと結婚させられた5歳の頃も、素敵な男の子だったけど」


 リリアーヌが無邪気に語った声が、エリゼーヌの脳裏に蘇る。


 夜会服に身を包み、優雅に微笑む18歳のエドワール。その隣に、辛気くさいノンナが立つ未来など、リリアーヌには到底受け入れられないだろう。


 ――最愛のドナルド様と私の愛の結晶であるリリアーヌ。愛娘の願いを叶え、幸せな人生を歩ませることは、私の大切な義務。


 それが、エリゼーヌにとっての当然だった。


 そして、リリアーヌは伯爵家の枠に収まるような娘ではない。

 もっと上を目指せる、最高の令嬢であるとエリゼーヌは確信している。

 より高位の貴族男性との未来も、今後望める。


 アウレスピリア家に関する王命は、その野心を叶えるための有効な手札だった。

 ノンナを利用し、エドワールを保険として確保する一方で、さらに高い地位を目指す。それが、エリゼーヌの描く戦略だった。


 ――リリアーヌ、あなたは必ず成功するわ。私の手で完璧に仕上げたのだから。


 エリゼーヌは確信している。

 リリアーヌは、エドワールを惹きつけ、正妻の座を手に入れつつある。

 しかし、もしかすると、その先に、さらに高い場所が待っているのかもしれない。


 リリアーヌは、再配分魔法によって力を得た。だが、それだけではない。

 品格、知性、気品、そして圧倒的な存在感。

 ――私が与えてきたすべてが、リリアーヌを完成に近づけている。


 幼いころから、貴婦人としての教養を学ばせ、魔法の知識も教えた。

 それは単なる教育ではない。未来のための、明確な布石だった。

 可愛い娘に無理をさせないようにしつつ、必要なことはきちんと教えた。


 この娘ならば、エリゼーヌの遠縁にあたる王家と並び立つことすら、可能ではないか。


 窓の外に視線を移す。


 とぼとぼと歩いて行くノンナの後ろ姿はかなり遠ざかった。


 災いを奪われ、尊厳を削られ、従順さだけを残された存在。


 だが、エリゼーヌはその姿を見ても、心が動くことはなかった。


 哀れとも、醜悪とも思わない。ただ、必要な犠牲だったとしか感じない。


 力は、選ばれし者のもとにあるべきだ。

 意志は、ふさわしき者に導かれるべきだ。

 名前がもたらす価値は、巧みに高めて利用すべきだ。


 ――そして、価値を高めるのは、私。


 すべてを創り、操り、導く。


 それこそが、エリゼーヌ・フォートハイトという女のあり方だった。



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