エリゼーヌが再配分魔法の術について指導を受け始めたのは、まだ5歳のころだった。
「これが力を奪う感覚よ。覚えておきなさい」
母・オーロラの手が、エリゼーヌの手を覆う。掌に走る痺れの痛みと、背筋を這う冷たい熱。奪う者と奪われる者の違いを、母は徹底して教え込んだ。
「痛みは力。感じ取れなければ、お前は奪われるだけの存在になる」
侯爵令嬢として王家に繋がる未来を夢見ていた母。だが「家柄に泥を塗った女」との烙印を押され、夢は断たれた。現王妃との「行き違い」が原因と聞かされていた。
「奪わなければ、私たちは滅びる」
母の教育は容赦なかった。だが、エリゼーヌにはその厳しさが愛情と感じられた。
***
ある日、幼いエリゼーヌは呟いた。
「母上の言うこと、よくわからないわ」
隣にいたのは専属侍女ゴード。
5歳年上のゴードもまた、幼い頃から鍛えられていた。
エリゼーヌが「辛くないの?」と聞いたとき、ゴードは迷いもなく答えた。
「辛いです。でも、エリゼーヌ様のためなら頑張れます」
その目には燃えるような忠誠と信頼に満ちていた。
エリゼーヌはその熱に救われた。
「私、本当に特別なのかしら」
「もちろんです。エリゼーヌ様は選ばれたお方です」
きらきらと目を輝かして言うゴードの言葉に心の奥が温かくなった。
やがてエリゼーヌは母と侍女たちの期待に応え、再配分魔法を使いこなすようになった。
「私は母の夢を、私の中で完成させる」
エリゼーヌの誓いは揺らがなかった。
***
泥色の髪をスカーフで隠し、痩せた肩を丸めて歩くノンナの姿は、曲がり角を曲がると見えなくなる。
「あの災いを奪い続けるのは正しいこと」
ノンナの異質な力は、リリアーヌの「精霊眼」へと再構成された。美しさも才気も、ノンナから奪い取ったことでリリアーヌは完璧となった。
「
リリアーヌの髪は愛しい夫ドナルドの色を受け継いで、銀色味を帯びた美しい金色。ノンナの髪は汚らしい泥の色。
「光は、陰があってこそ映える」
再配分魔法は、力を奪い、変換し、与える。いくつか大きな問題点はあるが、それを承知した上で使いこなせば良いとエリゼーヌは割り切ってきた。
生命力は肌の艶に、魔力は精霊眼として昇華される。
感情の扱いは少々難しいが、たとえ何らかの欠陥があったとしても、正しい状況を実現する代償としては取るに足らないことだ。
エリゼーヌは優れたシェフのように、さまざまな要素の再配分を試行錯誤し、概ね成功している。
自分が望む結果に比べれば、小さなリスクなどあまりにも軽かった。
「リリアーヌの輝きが薄れるわけにはいかない。アレの災いは有効活用しなければ」
エリゼーヌは凍てつく道を進むノンナを見つめ続けた。
***
エリゼーヌが母を失ったのは13歳のときだった。
「あなたは私の希望よ。私から学んだことを活かして、強くなりなさい」
母の言葉を胸に刻み、エリゼーヌは優雅に礼をした。
「……かしこまりました、母上」
涙をこらえ、心の中で誓った。
「誰よりも美しく、誰よりも強く。私は、災いを奪い尽くす者になる」
その決意は今も揺らいでいない。