エリゼーヌが手をかざすと、ノンナから奪った力が流れ込む。この感覚はもうすっかりお馴染みだ。
――これがなければ、私は特別じゃいられない。
精霊眼。物の記憶を追い、過去を視る。
――でも、私は本当に特別?
リリアーヌは最上級の精霊眼の力を使えるわけではない。同学年の生徒は、3つ下の従兄弟が「
リリアーヌもいずれ対の目に出会うまでは、限定的な力だろうと教師が言っていた。
もうひとつ、不安なことがある。
かつて旅行先で、ノンナがいないとき。魔力が枯れ、生活魔法すらできなくなった。
――もし学園でこうなったら?
想像するだけで足元の崩れるような恐怖が襲う。自分が「何者でもない」ことが暴かれる瞬間など……あってはならない。
母の再配分魔法を学ぶのが怖い。もし習得できなければ、自分の中身が空っぽだと証明されてしまうから。
――私は、有能な精霊眼使いの令嬢。母の魔法なんて関係ない。ノンナの力を借りているわけではない。
呪文のように心で唱え続ける。
エリゼーヌが「再配分魔法、そろそろ練習を……」と言う。
リリアーヌは「やだぁ、できないってば」と言い、可愛らしく笑って誤魔化す。
「次の休みに頑張りましょうね」
エリゼーヌのしつこさに、苛立ちが募る。
***
翌朝、リリアーヌは洗濯場を覗く。ノンナの姿はない。
――昨日、水をかけたときのあの目。あの怒りをもっと見たかったのに。
無表情だったノンナが、ほんの少し怒りを見せた。
すぐ母に言いつけた。きっと鞭打たれているだろう。
――なのに、今日は引っかからないなんて。
***
少し前の春の日のことだ。
エドワールが微笑みながら言う。
「うちのお飾りの奥さん、同じ手にはもう引っかからないんだよね」
「えー、なになに?」
リリアーヌは笑った。
「この前、お茶会で椅子を引いたら、すごく警戒されちゃって。それ以来、座る前にいちいち確認するようになった」
「だまって引っかかっていれば良いのにね……可愛げがないわ」
エドワールは楽しげに笑い、リリアーヌも合わせて笑った。
春の光がフォートハイト伯爵家の庭を照らし、楽しげな笑い声が響く。
少し離れた場所で、母エリゼーヌが優雅にそれを見守っていた。
***
エリゼーヌは厳しい口調でリリアーヌに言い聞かせていた。
「エドワール様と仲良くするのは良いけれど、淫婦のようなふしだらは絶対にダメ。結婚までは、決して許さないで」
リリアーヌは神妙にうなずいた。
母の忠告を受け入れているふりをしながらも、内心では笑っていた。
――母上の言う「淫婦のような馬鹿なこと」はしないわ。もっと、うまくやるだけ。
***
水を掛けるいたずらがノンナの不在でできなかった日の昼。
護衛の目を盗み、昼休みにエドワールと個室へ入った。
精霊眼の幻惑魔法で、姿も音も匂いも包み隠す。
「エドワール様……」
互いの制服の下を指先で愛でる。
抑えた声。湿る下着。
あとでエドワールが拙い浄化魔法で処理してくれる。
だが、快楽の中で不意に浮かんだ別の顔。
――マクシム様。
同学年の未来の公爵。既に騎士団に所属し、講師も務める。
剣を握る指。冷たく鋭い目。
――たくましく美しいあの人になら、すべてを壊されてもいい。
リリアーヌの心を支配するのは、エドワールではなくマクシムだった。
――私は、美しく有能な令嬢。快楽も恋も、欲望も、すべて手に入れる資格がある。
エドワール様との結婚? 悪くないわ。でも、マクシム様とも……。
ふたりの間で揺れる私が、いちばん美しい。