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第12話-未知(ノンナ視点)

 御者控え室の扉が静かに開き、砂色の髪をした少年が顔を覗かせた。右目は革の眼帯で覆われている。


 その瞬間、ノンナの胸に説明のつかない感覚が広がった。


 少年は誰かを探すように部屋を見回した。奥にいる赤髪の男に呼びかける。


「あの、ディズエリさん」


 静かながら緊張を含んだ声だった。少年は自分の右目を指差す。

 ディズエリと呼ばれた男は目を見開き、何かを察したように立ち上がった。


「悪い、急用だ」


 男たちの冷やかしを背に、ディズエリは少年のあとを追って廊下へ出ていく。先ほどまでの軽薄な様子が嘘のようだった。


 再開された博打の騒ぎが部屋を満たす。しかし、少年の仕草とディズエリの変化がノンナの心に引っかかった。


 もうひとつ気になることがある。

 少年が現れる前から、左目に奇妙な熱が湧き出していた。それは今、さらに高まっている。

 優しく温かい感覚が、ノンナの内からあふれ出る力の源となっていた。


 ――これは、何?


 未知の力が冷え切った心をそっと溶かすようだった。


 ***


 ノンナは幼いころから自分になんらかの力があることを本能的に知っていた。しかし、その力は「災い」と呼ばれ、継母エリゼーヌに蔑まれ、奪われた。


 夜ごとエリゼーヌが力を奪い、代わりのようにゴードが薬を飲ませる。それは災いとなる魔力を封じるための薬だと、使用人が話しているのを漏れ聞いたことがある。

 奪われた魔力が自然回復で戻っても、薬が封じる。

 エリゼーヌが不在の日は薬の量が増え、全身が動かなくなるほどだった。


 少年が現れてから、昨日感じた左目の熱が再び強まっている。その熱は、まるで誰かの力と共鳴しているかのようだった。

 同時に、身体の内側から魔力が溢れ出し、それが薬による封印を突き破っているのを感じる。


 ――薬の効果が……切れている? 昨日よりもっと「余裕」を感じる。


 身体の重さが消え、指先に力が戻ってきた。手が驚くほど軽やかに動く。

 敷布の縁が、すいすいとかがり縫いされていく。


 同時に、恐怖も湧き上がる。


 ――力を使ったとバレたら……鞭で、何度も罰される。ゴードが警戒しているのに、どうしよう。


 怯えて身震いしたそのときだった。


 左目の奥から「声」が響いた。


 ――ノンナ嬢、こんにちは。驚かせてしまったなら申し訳ありません。少しだけ話を聞いてください――


 心臓が跳ねる。

 ――誰?  声?  どこから? なぜ私の名を? これは……魔法の術?

 だが、それは冷たい術ではなかった。温かく、優しい感触……丁寧な配慮が感じられる。


 布を落とし、慌てて拾う。緊張して、喉がきゅっと詰まる。


 ――もし聞こえているなら、左目の奥に返答する意思をそっと寄せてみてください。力を入れず、ただ触れるように――


 その声は、穏やかでありながら、確かな強さを含んでいた。

 ノンナは一瞬警戒したが、同時に安らぎを感じた。差し伸べられたのは、奪う手ではなく引き上げようとする手と、なぜか確信できる。


 ――怖ければ無理をしないでください。こちらから押し付けるつもりはありません――


 声はノンナの背中をそっと押すように、目の奥で響いた。


 ――伝えても大丈夫な事柄だけを目の奥に「寄せる」だけでかまいません。それ以外の考えが漏れることはありませんから、どうか安心してください――


 丁寧な言葉と、どこまでも相手を気遣う声が響く。

 これまで他人を信じないようにしてきた。

 信じた人に裏切られる。または、その人が罰されて去る。

 それが当たり前だったから。


 けれど、この声には、不思議と怖さを感じなかった。


 ――どうして? こんな温かさ、今まで知らなかった。


 少しずつ、迷いが薄れていく。


 ――私たちは、あなたを傷つけるつもりはありません。難しいと思いますが、試しに信頼してみてください――


 恐る恐る、言われたとおり左目にそっと意識を向けた。


 ――……こう、ですか? ――

 ――はい。よくできました――


 短い肯定の言葉が、光のようにノンナの心を照らした。


 ――……あなたは、誰? ――

 ――私はマクシム・ソフォスアクシ――



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