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第19話-男爵令嬢の伯爵嫡男への恋慕(リリアーヌ視点)

 ノンナは巨大な映像を見つめ、わずかに表情を緩めた。

 隣で手を繋ぐサンディと顔を見合わせ、うなずき合う。


 すぐに真顔に戻り、魔導具へと精霊眼の力を注ぎ続ける。


 ――あの子が、こんな場所で堂々としていられるなんて。


 リリアーヌは胸の奥に苛立ちを感じた。

 ――本来、こんな晴れがましい場所は、リリアーヌが立つべき場所なのよ。生意気だわ。

 ノンナの存在が……妬ましかった。


 貴族たちは息を潜め、白壁に映し出されるエリゼーヌの記憶に見入っている。

 拘束されたエリゼーヌ自身も、その過去を見せられている。その場には、エリゼーヌの夫ドナルド、兄セオドアもいた。


 ノンナが再現する母の記憶は、リリアーヌにとって不快でしかなかった。

 ……しかし、目をそらせなかった。


 ◇◇◇


 あの日。

 私は王立学校の入学パーティーで、真実の愛を知った。


 その相手は、上級生として警備役を務めていたドナルドだった。

 緊張して果実水をこぼし、転びそうになった新入生の私を、ドナルドが支えてくれた。


「おっと危ない。大丈夫ですか」


 その声と微笑みに、私の心は奪われた。

 思いやりのこもった言葉、大きな手、差し出してくれたハンカチ。

 どれもが「私だけに向けられた特別」だと錯覚させるのに、十分だった。


「あのっ! 私、ロルウンヌ男爵長女エリゼーヌと申します。お名前を教えていただけますか?」

「ロルウンヌ嬢……父君の商会はよく存じております。私はフォートハイト伯爵家のドナルドです」


 私の父は男爵だ。つまり、貴族の末席に連なる存在でしかない。

 けれど、後妻に迎えられた母は侯爵令嬢だ。

 幼い私は、そのことを誇りにしていた。

 だから、伯爵令息であるドナルドが、自分に相応しく感じられた。


 その日を境に、私は憧れのドナルドの愛を得るために奮闘を始めた。


 偶然を装い何度も接触を試みた。

 階を間違え、道を尋ねる。本を落とす。些細な言葉を交わせただけで、心は高鳴った。


 ドナルドに相応しい存在となる。そのために私は努力を積んだ。


 課題に没頭し、図書館に籠もり、誰もが敬遠する魔法理論にも挑んだ。

 成績は順調に上がり、教師からの評価も得る。上級生の討論会にも推薦され、ついにドナルドと同じ場に立った。


 そのときにはもう、私の想いは「憧れ」ではなかった。


 ――彼を手に入れたい。


 私は、強くそう願っていた。


 ◇◇◇


 映像が一瞬静止し、室内は張りつめた沈黙に包まれる。


 おじセオドアのこめかみを汗が伝い、手が小刻みに震えていた。

 ドナルドは虚ろな目で、ただ映像を見つめている。


 誰も声を発せず、過去視の続きを待っている。


 リリアーヌは動けなかった。

 映し出された若き日の母は、ひたむきで……恐ろしいほど自己中心的に見えた。

 ドナルドを礼賛するばかりで、相手の気持ちを考えていた形跡がない。


 ――自分の思いばかりで、父上のことを全く配慮していない? まあ、気持ちはわかるけれど。


 自分……リリアーヌ自身も、自分の欲を最優先してきた。


 ――さっき、ノンナが堂々としているのにイラッとした。私が私が……と思った。私も自分のことばかり。


 母はそのような人ではないと、ずっと信じていた。


 完璧だと思っていた微笑の裏に、執着と狂気が滲む。

 理想の母像にひびが入る。

 その奥にある「独善」が、今の自分と重なって見える。


 ――私も……母上と同じ?


 背筋が凍る。胸元のコルセットが脈打つ心臓を締め付ける。

 逃げたい。でも、目を逸らせなかった。


 ノンナは静かに過去視を再開した。


 リリアーヌの心が、音を立てて軋んでいた。


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