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第20話-「エリゼーヌ」と呼ばれたい(リリアーヌ視点)

 ノンナの放つ魔力は、なおもリリアーヌの母エリゼーヌの記憶を映し出していた。


 額には汗が滲み、呼吸は浅い。隣のサンディが黙って汗を拭う。

 だが、ノンナのまなざしは揺るがない。


 エリゼーヌは拘束されながらも、ノンナを睨みつけていた。

 だが、ノンナは意に介さない。

 ノンナによるエリゼーヌの過去視は続く。


 ◇◇◇


 私は焦っていた。血の滲むような努力で得た優等生の称号すら、あの人の心を思い通りには動かせなかった。

 成績は上位、運動もそつなくこなす。教師からの評価も上々。討論会や学内行事でも称賛を受ける。

 ――それが何だというの?


 愛しいドナルドにとって、私はただの「優秀な後輩」に過ぎない。

 社交辞令の笑顔。形だけの称賛。

 そんなものでは、満足できない。


「ロルウンヌ嬢のご意見、興味深いですね」

「ありがとうございます」


 笑顔を返すたびに、心は冷たく沈んでいく。

 ――興味深い? それだけ? 私はもっと、特別になりたいのに。


 ドナルドの好みを知りたかった。ドナルドの関心を引きたかった。

 ドナルドの趣味を調べ、ドナルドが興味を示す本を読み、討論会で彼を引き立てる意見を述べる。

 時には自分の評価を犠牲にしてでも、ドナルドを讃えた。


 でも、ドナルドはただ穏やかな学友として、私の評価をするだけ。


「ロルウンヌ嬢、あなたは本当に優秀ですね」


 ――優秀? それだけ? 私が欲しいのは……そんな言葉ではない。


 誰にでも同じ優しさを向けるドナルド。

 その笑顔がかえって残酷だった。

 私が求めているのは……もっと熱い愛だった。


 ◇◇◇


 ノンナの身体がゆらりと揺れる。

 サンディがそっと支える。ノンナは足元をふらつかせながらも、投影を続けた。


 リリアーヌは恐怖に凍りついていた。


 かつて自分も使えていたはずの精霊眼。

 だが、ノンナの術はまるで次元が違う。果てしない過去を、まるで手繰り寄せるように映し出していく。

 その精度と規模、持続力……すべてが桁違いだ。


 ――どうして? 私はいつも「本物」だったはずなのに。あの子はただの代用品……だったはずなのに!


 嫉妬と苛立ちが、胸の奥でじくじくと痛む。

 それでも、ノンナの圧倒的な力に押し潰されたまま、声を出すことすらできない。


 ――ノンナはいま、何を見せようとしているの? どうしてこんなことを?


 目の前に映し出されるのは、母の少女時代。

 優雅で完璧な貴婦人の面影など、欠片かけらもない。

 笑顔の裏に潜む執着と冷たい情念。

 まるで毒が滲み出すようだ。その毒はリリアーヌの心を静かにむしばんでいく。


 ――母上。これは……本当にあなた?


 母はいつだって完璧だった。誰よりも美しく、知性にあふれ、すべてを掌握していた。

 母は自分の誇りであり、理想そのものだった。

 一方で、いまノンナが映し出している記憶は……そのすべてを裏切る光景だ。


 マクシムが「無理をしないで」と小声で言う。かすかに微笑んでうなずくノンナ……指先がわずかに震え、映像が揺れる。

 リリアーヌは、ノンナの全身を蝕む疲労と痛みに気づいた。


 ――どうして? どうしてこんなことをするの? 母上を傷つけるため? 私たちを貶めるため?


 だが、ノンナの目はただ正面を見据えている。

 自分を讃えてほしいとか、相手を貶めたいとか、そんな表情ではない。

 むしろ必死で、痛々しいほどに……何らかの正義を目指している。そんな気がした。


 ――ノンナがこんなに苦しんでまで見せようとしているものは……正義?  そのために、あの子は自分を追い詰めている?


 リリアーヌの胸の中で、何かがきしむような感覚があった。

 恐怖か、怒りか、あるいは自分でも理解できない別の何か。


 優美で完璧だと信じていた母像が、音を立てて崩れていく。

 ただ見つめ続けることしかできない。


 ――この過去視が終わったとき、私たち家族はどうなるの? 正義は何が壊し、何を残すの?




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