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第22話-彼女が失ったもの(リリアーヌ視点)

 ノンナが小さく息を吸い、背筋を伸ばした。

 一時中断していた過去視の再現は再び静かに動き出す。


 ◇ ◇ ◇


 ドナルドは誰にでも平等に微笑みを向けていた。

 それを悟るたび、胸の奥が冷たくしびれた。だが、その痛みが私の執念に油を注ぐ。


 ――私は、ドナルド様の運命の相手なのよ。この愛が、ただの憧れだと見くびらせはしない。


 彼にふさわしいのは、私だ。

 その証明のためなら、どんな手だって使える。


 ***


 ドナルドが婚約者と一緒に過ごす様子を初めて見たのは、出会って1年も経たない頃だ。

 学園の中庭で、ドナルドとユリアが昼食を共にしていた。

 ユリアの笑顔には余裕があり、すべてを手中に収めた女の空気があった。

 ユリアは品があり、聡明で、隙のない立ち居振る舞いを見せる。


 ドナルドが、そんなユリアに向けた表情は打ち解けた幸せに満ちていた。

 耳が赤くなっていた。


 何かが……砕けた。

 私の心の中の何かがカッと熱を持ち、破裂するように砕けた。

 見てはいけないものを見た気がしたのに、目が離せなかった。


 ドナルドの素直で柔らかな表情は。あの女の微笑に照らされて輝いている。

 ――ふたりはまるで「相応しい未来」を確かめ合っているみたい。

 気づいたら爪が、てのひらに食い込んでいた。


 ――どうして。なぜあの女にだけ、そんな顔を見せるの?


 ユリアの髪は、砂のように控えめな色。けれど光を受けると艶やかに揺れて、目を引いた。

 愛らしいハーフアップにまとめられたその髪型は、彼にとっては「理想」なのだろうか。


 ――でも、私の金髪のほうが華やか。誰よりも映えるのに。


 母の声が頭の中でささやいた。


「奪い取る者だけが、勝者になるのよ」


 母の言葉。


 ずっと怖かった。

 奪いすぎることで、思いやりのない人間と思われてしまう。

 ドナルドに相応しくなくなる自分が嫌だった。

 ……でも違う。今ならわかる。あれは警告ではない、人生の道しるべとなる指南だった。


 ――この世界は、奪わなければ奪われる。


 私はもう、ためらわない。

 正々堂々の勝利など、求めない。

 ――奪ってやる。ドナルド様を、あの女から取り戻す。


 ***


 運命は……私に微笑んだ。

 大嵐。

 災厄が、大きな転機となった。


 アウレスピリア子爵家の栄光は、波に呑まれて消えた。

 領地は壊滅。子爵邸は崩壊。ユリアの両親を含む多くの命が奪われた。

 繁栄していた地方都市は、一夜にして、瓦礫と涙の山になった。


 それでも、ユリアは折れなかった。

 若手文官として地位を保ち、冷静に立ち続けた。

 募金活動、復興支援、孤児の教育。

 ユリアの名前は王都中に響き渡った。


 ドナルドと肩を並べ、称賛されるその姿に、私は狂いそうになった。


 ――なぜ? なぜ彼女ばかりが讃えられるの? なぜ私ではないの?


 私の方が、美しいのに。

 私の方が、頑張っているのに。

 そう何度も唱えないと、立っていられなかった。


 傷を負った彼女は称えられ、健気に努力している私は、正当な評価を受けていない。

 この不均衡を、私は「正す」つもりだった。


 私はそんな感情を表に出すことはない。

 微笑みながらユリアの募金に参加した。

 だが心の中では、彼女から奪う栄誉を、自分が拾い上げる日を夢見ていた。


 さまざまな報道がユリアを褒めそやすたびに、胸の奥がズタズタに裂かれる。

 それでも、私は信じていた。

 ――私こそが、ドナルド様の隣にふさわしい存在なの。


 机の中にあった、募金の記念品。

 紙細工の控えめな意匠。人々がユリアに熱狂した象徴。


 ***


 募金の式典で、記念品を手渡すユリアが私に向けて微笑んだ。


「ご協力、感謝します」


 その言葉は私にとって、勝者が敗者にかける哀れみの言葉のように響いた。


 ***


 私は記念品に火をつけた。

 大胆な行為を、手を震わせることもなく、淡々と安全にこなした。

 私は冷静だった。


 ゆっくりと紙が焼けて、灰になる。

 あの女の誇りが、静かに消えていく。それだけで、私は自分を少し取り戻せた気がした。


 ――これで、いいの。

 声に出さなかった。口の中で、何度も呟いた。


 注意深くまとめた灰を窓から舞わせたとき、私は心に誓った。


 ――私は諦めない。

 彼を手に入れるためなら、何も惜しくない。

 すべてを燃やしてでも、手に入れる。

 だって私は間違っていない。


 ――私の愛は、私の信念は、至高の真実。きっとドナルド様も分かってくださる。そうよね、母上。


 ◇ ◇ ◇


 ノンナの身体がぐらりと揺れた。

 映像が止まり、広間に沈黙が満ちる。


 マクシムが静かにノンナの背を支える。

 サンディは手を離し、無言でノンナの汗を丁寧に拭った。


 リリアーヌは、目を逸らせなかった。

 ただ……身体が冷えていくのを感じていた。

 今、広間の壁に映っていたのは、自分の知らない「母の顔」だった。


 ――これが、私の母上? それとも、ずっと隠していただけの本当の顔?

 吐き気にも似た違和感と悔恨が、胸の奥でぶつかっていた。


 悔恨は……知らず知らずのうちに、母と同じように生きてきた自分への軽蔑も含んでいた。

 ――私にも、あの執念の種が宿っている?


 そう考えるだけで、指先が冷たくなった。

 いままで自分のものだと信じていた確かな安定を、リリアーヌは失った。


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