エリゼーヌの目が光る。さらに狂気じみた熱が宿った。
誇らしげに説明する声は広間中によく通る。
「魔法と感情は違うのよ。精霊眼の魔力なら再配分できる。でも、感情は……移すとこうなるの」
エリゼーヌはドナルドを指差した。社交的な笑みを浮かべる夫を見て、満足げに微笑む。
ドナルドは、たくましい肉体と麗しい細面の顔立ちのバランスがとれ、健康そうに見えた。だが、その瞳は空虚だった。
エリゼーヌに向けた笑みは、整いすぎていて、不自然さが際立つ。
マクシムが眉をひそめ、気遣わしそうにノンナを見た。
ノンナは大丈夫と伝えるように軽く口角を上げた。
マクシムは表情を和らげ、軽くうなずく。
そのあと、マクシム、ノンナ、サンディが無言のままドナルドを見つめる。
その視線に、リリアーヌは息を飲んだ。
――あれは、魔法の犠牲者を検分する、研究者たちの目だ。
「感情が枯れたのよ。何も感じない。でも、いいの。愛しい人は私の
エリゼーヌはドナルドの目をじっと見つめる。
「エリゼーヌ、愛しい妻」
オルゴールが鳴るような、よく響く声で言う。再び、反射的な笑みが浮かぶ。
そこには……感情がなかった。
エリゼーヌは、うっとりと酔いしれるような笑みを浮かべた。
「それで十分」
セオドアがため息をつく。
握りしめた拳がわずかに震えていた。
「……ドナルド様がこうなったのは、エリゼーヌが……」
「ええ、私よ」
エリゼーヌは、誇らしげに微笑んだ。
「感情を奪うときは、迷いもあったわ。でも、ドナルド様がふしだらな女に揺れたから、決心できた。迷いなんて不要。私のものにすればいいだけよ」
エリゼーヌは高らかに笑った。
場の空気が、また一段と重くなる。
セオドアは視線をそらし、沈黙したまま呼吸を整えようとしていた。
リリアーヌには、おじのその姿がたまらなく痛々しく映った。
「淫婦の末路が聞きたいの?」
エリゼーヌは肩をすくめ、
「まあ、話してあげてもいいわ。ドナルド様の居場所が分かった日、私はすぐに駆けつけた。ドナルド様は扉から飛び出してきて、『呼んでくる』って言ったの。誰を呼ぶ気だったのかしらね」
リリアーヌの胸に、冷たいものが落ちた。
――まさか……?
しかし、母がそのとき犯した罪をリリアーヌは予感していた。
塞がる喉が苦しい。
「私は迷わず再配付魔法をかけた。ドナルド様が誤ってユリアに向けていた愛を、すべて奪った。感情が乱れていたから、成功は簡単だった」
エリゼーヌは楽しげだった。
「ドナルド様を連れ帰るのは護衛に任せた。ゴードと私がそのあとすべてを整えた」
エリゼーヌは爽やかに微笑んだ。
「伯爵邸で意識を取り戻したドナルド様は、私を『愛しい妻』と呼んでくれたわ」
「……さっきのように?」
「ええ、いつも同じように呼んでくれる。私が再配分した、深い愛をこめてね」
エリゼーヌの顔に、優しい笑みが浮かぶ。
その慈しみの不気味さに、リリアーヌはぞっとするような寒気を覚えた。
「その後はずっと夫婦として暮らしたわ。毎晩、再配分魔法と媚薬を使った。でも……媚薬はもう効かなかった」
エリゼーヌは一瞬だけ眉をひそめたが、再び朗らかに言った。
「それでもドナルド様は微笑んでくれた。それだけで、私は十分報われたの」
リリアーヌは背筋を強ばらせた。
――こんなことが、母上の愛だったなんて……。
セオドアはうつむき、かすかに震えていた。
リリアーヌは、その背に孤独と絶望を見た気がした。
一方、ノンナとサンディは黙ったままエリゼーヌに視線を向けている。
怒り、悲しみ、軽蔑――そのすべてが、リリアーヌの胸にも突き刺さる。
――私も、母上と一緒に……ノンナを追い詰めた。
寒空の庭で水をかけて、笑っていた自分。
リリアーヌは、その記憶を思い出すだけで、喉がさらに狭くなるうような恥を覚えた。
「ユリア嬢は……どうなったんだ」
セオドアの問いに、エリゼーヌは薄く笑った。
「淫婦の末路がそんなに知りたいの? あの女は、双子を産んで出血多量で死んだわ。存在する価値がないことを、自分で証明したのね」
使用人の失敗を優しく諭すときの伯爵夫人の顔。
「私はとても安産だったのに……本当に、どうしようもない女。出産すら生き延びられないなんて、滑稽ね」
静寂が落ちた。
「……双子?」
セオドアの声が低く響く。その動揺が、リリアーヌの胸まで伝わってきた。
「そう。アレ……淫婦の娘は精霊眼の能力を持っていたから、残したの」
セオドアがノンナを見た。
リリアーヌはおじの目に、妹の罪を防げなかった後悔と、償いきれない過去への痛みを感じた。
だが、エリゼーヌは朗らかなまま続ける。
「もうひとりは……淫婦と共に逝かせた。ふたりで育つと、余計なことをしがちでしょ? だから、無力にして処分したわ。ねえ、ゴード?」
エリゼーヌは楽しげに辺りを見回す。
しかし、侍女ゴードはすでに拘束され、別の場所に移されていた。
広間が、息をひそめたように静まりかえる。
次の瞬間、セオドアの手が動いた。
その平手が、容赦なく振り抜かれる。
鋭い音が、広間を裂いた。
エリゼーヌの頬が赤く染まる。
無言のまま兄をにらみ返す。
その目の奥には、怒りか、あるいは、リリアーヌには理解できない、別のもの……邪気が潜んでいた。
リリアーヌは息を止めた。
ずっと崩れ続けていたフォートハイト家の幻想が、またひとつ、取り返しのつかないかたちで崩壊した。
そのとき。
野太い咆哮が、部屋の空気を揺さぶった。